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歴史の話

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歴史が人生を生きやすくする 個人的な考察①

歴史で何を学べるのか今も昔も、歴史のコンテンツは人気で、数多くの人々が多様な考察を世に発信しており、今後もその流れは変わらないと思われます。 歴史から学べるものは本当にたくさんあると思いますが、ここでは「人生を生きやすくする」というアプローチで歴史を使おうと試みているわけなので(自分もよく忘れますがw)、その観点から考えたいと思います。 先に言っておくと、人の考えは日々刻々と変わっていくものなので、しばらくしたらしれっと原稿を書き換えているかもしれません。 まず前提

歴史が人生を生きやすくする 個人的な考察②

前回の続きです。 「Why」の力について例えばビジネスの場合 結構前から言われている定番の理論として、「Why → How → What」の考え方が重要と言われています。「Why」はミッションや理念、「How」は戦略、「What」はサービスや商品などを当てはめます。 ビジネスでは、効率的にスピード感を持って成果を出すことが最も評価される傾向にありますよね。そのため人はどうしても、与えられた課題に最短距離で「何をするか(What)」を提供することを重視しがちです。既に「W

ラテンアメリカ -体感しにくい価値観を、歴史で感じる-

ラテンアメリカとは、南北アメリカ大陸とカリブ海の島々の国のうち、アメリカ合衆国とカナダ、除いた国のことを総称しています(ガイアナ、スリナムの2国も除くという説もあります)。もっとも、この「ラテンアメリカ」という呼称自体も、果たして彼らの総意の概念なのかというと、議論の余地が結構あります。 超多民族圏・ラテンアメリカ国名に「多民族」と明記したボリビア 南米の中央やや西よりにあるボリビアは、2009年に「ボリビア共和国」から「ボリビア多民族国」に国名を変更しました。時の大統領

征服前の背景について①スペイン-レコンキスタと複雑な西ヨーロッパ-

ラテンアメリカの征服は、そのほとんどがスペインによるものでした。きっかけとなるコロンブス(コロンもしくはコロンボとも)の西インド諸島到達の前、スペインや西ヨーロッパがどんな状況に置かれていたのかをまとめたいと思います。 ※長めです。 イスラム勢力と700年以上も戦争中のスペインまず、スペインと隣国のポルトガルがあるイベリア半島です。 ここは西ゴート王国というキリスト教国がありましたが、711年にイスラム勢力のウマイヤ朝によって実質滅ぼされます。(日本では藤原不比等と長屋

征服前の背景について②スペイン-海に出るぐらいしかやることなかった?-

レコンキスタ中に、隣国が力をつけ始めるスペイン(カスティーリャ、アラゴン)は、それぞれポルトガル、フランスと国境を接しています。スペインがレコンキスタを推し進めている一方で、隣の2国は国力を大きく高めていきました。 フランス:長い戦争を終えて中央集権の強国へ イベリア半島の隣にある大国・フランスは、1339年から1453年までイギリスと百年戦争を戦っていましたが、なんとかイギリスに奪われた領土も取り返し、辛勝します。 戦争終結後、イギリスで王位継承をめぐってバラ戦争

征服前の背景について③アメリカ大陸-先住民は恐怖の対象?-

多民族化の話をしたいのに前段が長すぎるので、ちょっと駆け足にします! コロンブスの航海以降、スペインの征服者たちが入植していくことになるラテンアメリカ。彼らを待ち受ける先住民社会は、こちらが思っているような“弱者”ではなかったようで…。 「強者ヨーロッパによる一方的な征服」ではない前提として、ラテンアメリカの先住民は決して弱者ではありませんでした。確かに彼らは古代から踏襲された宗教観念を持ち、ヨーロッパと比べて洗練された武器も持っておりませんが、彼らが優れた学問・技術

征服と植民地化で進む多様性①-征服者:複数要因が絡んだ早期の制圧-

本格的に征服を始める征服者たち。その中には以前にも記載したように、レコンキスタを戦った兵士、受刑者、坑夫、農民など、 “スペインでは将来を期待できなそうな人たち”も多くいました。 そんな征服者たちは、現地の社会情勢をうまく使ったり、先住民側の疫病の蔓延という想定外の事態も作用し、征服を進めていきます。 征服の要因①:インディアス・アミーゴ前回書いた通り、征服者を支えたのは、彼らが武力で臣従させた辺境の民族や帝国への不満分子などです。 征服者にとってみれば、彼らの存

征服と植民地化で進む多様性②-聖職者:ストイックな布教の背景と功罪?-

新大陸発見でにわかに活気づく大航海時代は、数多くの宣教師が世界中に布教活動を展開する時代でもありました。彼らがなぜ世界へ飛び出したのか。それにはいくつかの背景があるようで…。 ストイックな入植聖職者たちそもそも当時のスペイン人は、征服者も聖職者も信仰心の篤いカトリック信者なのは、以前に書いた通りです。そのためかなり早い段階から、聖職者は新たな地での布教活動を目的として、征服者に同行しています。 本格的に布教活動が始まるのは1520年代の後半あたりからで、初期の布教活動

征服と植民地化で進む多様性③-黒人奴隷:奴隷ありきでつくられる社会-

大農園と銀山の開発でスペインとポルトガルはこの世の春を謳歌し、ヨーロッパはその恩恵を受けて豊かになっていきます。その一方でラテンアメリカの労働環境はひどく、労働力不足を補う切り札として奴隷貿易が加速していきます。 世界を変えた「Made inラテンアメリカ」元々、航海者たちが狙っていたのは、インドの香辛料とジパングの黄金でした。新大陸はインドでもジパングでもありませんが、代わりに未知の食材が豊富にあることが分かります。 一例として。 ジャガイモ、トマト、トウモロコシ

余談:石見銀山は、富岡製糸場につながるらしい

ラテンアメリカの奴隷構造を調べていたときに気づいたこと。 16世紀はスペインの植民地だったラテンアメリカで銀山開発が進み、ヨーロッパは「銀の時代」になった。一方で、この頃ポルトガルはアジアに進出していて、そこでラテンアメリカに引けを取らない“銀の国”日本を知る。(そして当時の日本の銀は、そのほとんどが石見銀山で算出されていた。) ポルトガルは南蛮貿易によって日本の銀を確保し、それがヨーロッパに流れ、ヨーロッパは銀の時代をさらに加速。その他の社会要因なども絡み合って価格

征服と植民地化で進む多様性④-メスティーソ:独立運動につながる分断と混血-

前回までで、先住民、征服者、奴隷というルーツの違う3つの集団がラテンアメリカに混在することになりました。 混血が進んだシンプルな理由基本的に植民地時代のラテンアメリカの統治構造は、人種・ルーツをベースにしています。 最上層は、スペイン国王から統治を移譲されている副王。これは主にスペイン本国の貴族。スペインからやってきた人です。 その次はクリオーリョ。ラテンアメリカ生まれのスペイン人。銀山や大農園を統治している大地主(ラティフンディスタ)。 その下は、形式上は先住

藤原不比等 -古代日本を決定づけた大政治家で俯瞰力をつける-

藤原不比等は、飛鳥時代後期から奈良時代初期に活躍した人物。この後、奈良時代・平安時代、それどころか婚姻関係だけであれば大正天皇まで、天皇家に深く関わり続ける藤原家の基礎固めをした傑物です。 彼の活躍期間を西暦で表すと、680年代から720年まで。この頃、中国(唐)では最終的に中国史上唯一の女帝となる武則天(則天武后)による統治が行われ、唐は本格的に科挙(試験)による官僚採用など、律令体制が強固に整備されていきます。朝鮮半島では、長らく続いていた高句麗・新羅・百済を中心とし

不比等が生まれる前の話① -倭からヤマト朝廷へ-

ヤマト朝廷が出てきた流れ話は不比等が生まれる遥か昔に遡ります(……)。 日本列島(当時は「倭」と呼ばれていた)に暮らす人々は、旧石器・縄文・弥生時代を経て、農耕の発達などにより定住生活が進み、やがて集落を形成していき、余剰生産などをめぐって戦いが始まり、集落が統合・拡大していくことで、各地に「クニ」とよばれるものができます。 彼らはそれぞれのクニの実力者(豪族)の墓として古墳をつくったり、独自に中国・朝鮮とのネットワークを駆使して金印を授かったりしていましたが、徐々に大和地

不比等が生まれる前の話② -氏姓制度と豪族たちの主導権争い-

前回書いた通り、5世紀後半から6世紀前半にかけて、大王を中心とした畿内の勢力、いわゆるヤマト政権が、葛城氏や吉備氏、磐井氏など各地の豪族を制していく時代となりました。そして6世紀後半は、このヤマト政権内で特に力をつけてきた豪族同士の主導権争いが進みます。 氏姓制度についてヤマト朝廷における各豪族は、氏姓制度により役割が明確に分けられていたとされています。「氏」とは今の名字のようなもの。「姓」とは役職のようなものです。 「氏」は、一応男系つまり父親側の血縁をもとにした集団