見出し画像

征服と植民地化で進む多様性④-メスティーソ:独立運動につながる分断と混血-

前回までで、先住民、征服者、奴隷というルーツの違う3つの集団がラテンアメリカに混在することになりました。

混血が進んだシンプルな理由

基本的に植民地時代のラテンアメリカの統治構造は、人種・ルーツをベースにしています。
 
最上層は、スペイン国王から統治を移譲されている副王。これは主にスペイン本国の貴族。スペインからやってきた人です。
 
その次はクリオーリョ。ラテンアメリカ生まれのスペイン人。銀山や大農園を統治している大地主(ラティフンディスタ)。
 
その下は、形式上は先住民。そして最後に黒人奴隷。
 
ただ実態は違っていて、まず先住民が最下級のように扱われていることは既に書いた通りです。また白人の中にも貧困層はいて、奴隷のように扱われていた人もいたらしいです。そして、副王―クリオーリョの序列の下に、スペイン人と先住民の混血であるメスティーソが入り込んでいます。彼らは、小さい土地の地主や職人階級です。 

メスティーソはどこからやってきたのか

植民地では、白人と先住民の結婚は禁止されていました。が、この制度は植民地統治が安定してきた16世紀後半から。それ以前の段階で、既に征服者と先住民との間に生まれたメスティーソが多く存在していました。
 
ではなぜ、まったくの未知で恐怖の対象だったはずの先住民と、征服者たちは関係を持ったのか。これは…とても単純な理由で。征服当初、ラテンアメリカに来たヨーロッパ人はほとんどが男性だったから、です。
 
そのため、例えば征服した先住民の首長の娘と征服者が結婚し、その子どもが父の後継者として支配者になるということもあったようです。また植民地時代の終わりごろには、混血であろうとも父親が「スペイン人」として育てることにすれば、子どもはスペイン人として扱われたと言われています。
 
また、黒人奴隷と征服者との間にも子どもが生まれたり、先住民と黒人奴隷の間でも子どもが生まれたりして、混血は多様に進んでいきます。なお彼らはメスティーソとは別の名で呼ばれますが、その言葉は侮蔑的な意味合いを含んでいるともされるため、ここでは記載しないことにします。

人種の分断が、人種の多様化と社会構造の不安定化を生む

既に混血が始まっているという現実がある一方で、植民地体制が安定化してくると社会構造は征服者社会と先住民社会とに分断されていきます。

メスティーソは、征服者社会からは「先住民」として扱われますが、先住民社会では「征服者の子」と扱われ、両方のコミュニティからよそ者とされます。スペイン人都市の建設に従事したり、スペイン人の使用人になったりする人もいましたが、そこも追い出されたり、そもそもどこにも居場所がない人たちも現れます。

結果的に、征服者社会にも先住民社会にも属さない、第三の層が生まれていきます。彼らは、征服者たちが手をつけていない先住民社会の周囲にある土地を開拓し、そこで農園などを経営しはじめます。やがて、近くの先住民社会から人を雇って彼らと共存していくなど独自のコミュニティをつくっていき、支配者にとってはコントロールしにくい厄介な存在になっていきます。 

「混血」だけではないメスティーソ社会

こうした混血ゆえの中間ポジションのようなコミュニティとしてメスティーソ社会というものがうまれましたが、植民地時代のラテンアメリカではこうした「どちらでもない」社会がどんどん増えていったようです。
 
例えばメスティーソの農園で働く先住民、スペイン人都市から弾き出された先住民、貧困のスペイン人、逃げてきた奴隷など。
 
こうした層は、植民と統治が進むにつれて各地に広がっていき、支配者層も無視できない存在になっていきます。そして1800年代に入ると、スペインからの独立を画策するクリオーリョ(言葉まぎらわしい)が、このメスティーソ社会をうまく味方に引き込みながら独立戦争を引き起こしていくことになります。

この記事が参加している募集

世界史がすき

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?