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天職にたどり着くまで(前編)

家庭教師という天職にたどり着くまでのお話を今日は書きます。
私が生まれ育った時代というのは、親の世代が戦後ベビーブームのジュニア世代、つまり人口が増えていた時代でちょうど大人になる頃、日本経済はバブルが弾け、少し混沌としつつも、まだまだ保守的な時代でした。
保守的という言葉をどういう意味で使用したかというのは単純で、名のある会社に就職して定年まで働く。いい車に乗って、早く結婚して家を買う。
何か、周りにはそんな暗黙の了解のようなものを感じていた時代だったような気がします。
私は家庭の事情でというのも、中学二年の時に地元の商社に勤めていた父親が突然喧嘩をして辞めてきてしまって、退職金を手にブラブラと遊んでいた光景から、仕事観というものを見つめるきっかけが生まれました。
当時の私は、中学から始めた剣道に没頭し、朝練から放課後、その後地元の体育館で練習、土曜日曜もほとんど休みもなく、ひたむきに武道を極めたい一心でした。思いと行動が一致すると、結果につながっていく、毎日少しづつ積み重なっていく何かがあること。
そんな実感が得られた人生で初めての体験を獲得しにいっていた真っ直ぐな心を育んでもらっていた時期でした。
そんなひたむきに取り組むものを見つけ出した矢先、部員40名前後のキャプテンを任されることになりました。
それまでの私は素行が悪く、学習意欲もほぼなく、学校に行けばなにか面白い事、いわゆる人に迷惑をかけても先生にひどく叱られても全く気にしないでやってはいけないとされることをしたがる少年、この場をお借りして関わった皆さんにお詫びしたいくらいのどうしようもない子供でした。
そんな私が、一所懸命取り組んでいたら、キャプテンという得体のしれない立場を任され、いかに生きるべきか、この集団をいかに舵をきっていくべきか、突然自分というものに向き合う機会を与えられたわけです。
剣道に対しては、武士道という観点も早くから意識して取り組んでいましたので、キャプテンを任される前から一つ上の学年には一度も負けないくらいにあっという間に力をつけていきましたが、ふと周りを見渡すと学業優秀な同級生たちに囲まれていることに気づきました。
当時の学業の成績はテスト期間にしか勉強をしないでオール3に体育だけ5みたいな成績でした。
そこで、待てよ、このまま剣道だけ腕を上げても頭の中身で足元にも及ばなければ、このメンバーをまとめていくことも、私の言うことも聞いてはくれないのではないかという直感的な危機感が走りました。
この直感的な危機感を行動に変えれば、難局を切り抜けることができるのではないかということをこの頃から何か心の底に刻むようになって、ひとつの習性のようになったことが、家庭教師という仕事の核心部分を掴んだ大きな部分であったことは今振り返ると人生のターニングポイントだったかもしれません。
その時の人生のタイミングと行動というものが、今を決めているような気がします。
その頃の私は何を決めてどうしたかというと、
①片っ端から歴史書を読みあさりました。
②毎日深夜2時までは勉強する。
この2点でした。
誰に何を言われたわけでもなく、世間も知らない、勉強方法も分からない、根底で今の自分を何とかしようとした時、根拠も何もなく原始的な衝動的行動は今考えると結構ストイックな方向へと進みました。
歴史の本は、中2の段階で図書館の本は全部読み尽くし、足らなくなったので近所の歴史好きのおじさんから借りたりして、とにかく、家庭学習と歴史書を読むことを日課として、休まず毎日が積み重なっていきました。
歴史の本を何故求めたかというと単に歴史に興味があり今も継続して学び続けていますが、そのような家庭事情だったこともあり、一刻も早く自立の道を歩むためには、手本が欲しかった。また折に触れて書くかもしれませんが、家庭内に学術的要素のない、ほぼ無学の家庭に育ちましたので、例えば読んでみたい本などは一冊もなくせいぜい週刊誌がそのあたりに置かれているような家庭だったために外に人生の手本を求めなくてはなりませんでした。
しかし、当時そのようなことを出会いにより求める術はなかったため、本の中の様々な歴史上の人物の人生を追体験することによって自分の人生の決断の材料としようとしました。今思えば、この判断はとても良いものだったといえ、私の人生に奥行きを与えてくれています。今も何かを決断する時、常にその頃から頭の中にいる歴史上の人物たちと頭の中で会話しているようなところがあり、人生の中で決断を迫られた時や窮地に追いやられた時に随分と救われました。
歴史を学ぶことはとても意義がある。
今も歴史について学ぶことは日常の一部であり、この事は、私の人生そのものであるとも言えます。

お話を学習に戻しますと、この頃なんの根拠もなく深夜2時まで勉強すると決めて高校生になってもそれを続けた自分というのは、年齢を積み重ねた今も、もう深夜2時をとっくに過ぎた時間にこの文章を書いている自分を創り、ショートスリーパーと言われる短眠型の自分を創り、興味のあることに時間を惜しまず学ぶ意欲の衰えない自分を創り続けてくれています。
元来その頃より、学ぶということに対し、意欲的なことはありますが、塾などに通ったこともなく、学習方法を教わったこともなく、読書の中に学習方法を探して拝借している部分はありますが、かなりの部分いいとこ取りの自分流独学でやってきました。これは、今も続けている大好きな野球や剣道に対しても同じで、野球は小学生の時の松尾監督以来、剣道も中学の山田先生以来、ほぼ誰にも指導されずにそれなりの結果を競技者としてまといながらやってこられているというのは、運命なのかもしれません。
そんな私が、自分以外の誰かをご指導する職業を選択して結果を出し続けられたということでひとつ言えることは、自分の頭の悪さを痛いほど知って、その頭の悪い自分に心底向き合って、ひとつひとつの事を解釈して理解に近づけてきたからだと言えます。自分の知らなかった新しい分野、領域を理解しよう、理解に近づこうとした時、やればやるほど頭が痛くなるほど、分からなくなる経験がお有りの方も多いことでしょう。
そんな事柄が学生時代のみならず、人生に出現してきた時、どうしても避けて通れない場合を除けば、いくつかの選択肢を取ることでしょう。
①入口から無理と決めつけて撤退(逃げるが勝ちですか)
②それなりに悪戦苦闘し、自分の頃合いまで進む。(結構頭痛いですね)
③何が何でも納得するまでやり抜く(昼夜その事が頭を巡り、どうしようもないですね)
私は、人生の中で②③以外の選択肢を取れない事が3度起こり、乗り越えてこの天職へとたどり着きました。
詳しくは次回以降に書きますが、1つ目は、止むを得ず自宅でパソコンと私というところから、生活費を捻出せねばならないことになり、苦心惨憺した挙げ句、株のデイトレーダーという道を選び、経済学の基礎から学び、株について1から学んで、利益を上げて生計を立ていっていた経験があります。その時は、死ぬかというほど勉強して、多いとき1日18時間勉強して、待ったなしの次の日の相場に挑む毎日で地獄の日々でした。その生活は3年半続きましたが、学習をすれば必ずしも結果が出るものではない世界に身を投じて、気絶する寸前まで追いこんだ日々でした。

2つ目は、その仕事を脱して挑んだ港関連の仕事で、海上コンテナを検査したり管理したりする仕事の現場責任者に抜擢されて、30数億円のプロジェクトの立ち上げのルールづくりからマニュアル作成、社員教育、人事、出入りする多いときで数千台のトレーラーの運転手の誘導など全般的に背負った時です。比較的大きな組織で日々動き続ける人間、物流をどう円滑に回していくか。私一人でできることは限られていますので、周りの人にどう機能してもらうか、また、人がやることですから、日々間違いがおきます。そのフォローをどうするか。問題が起きにくくする導線作り、最適化、繰り返す改善。
とてもダイナミックな仕事と役割と責任を与えられて、当時の評価として誰からも満足して頂ける水準まで持っていけたことは、私の人生の中の密かな勲章でもあります。この時も戦国武将や明治維新で活躍した人物が脳内で駆け巡り、大活躍してくれました。
その職を辞して10数年経ちますが、その頃の仲間たちが誘ってくれる飲み会には必ず参加して、昔話をすることも、自分がかつて情熱を燃やした場所がそこにあったことを確認できて、私にとってとても良い時間が流れます。

3つ目はやはり何といっても天職として認識してからの家庭教師です。
とにかく分からないとは言えない職業であるということ、これに尽きます。
生徒さんの前で曖昧な知識を振りかざせば、必ず見透かされます。これは、自分が学生だった時を思い起こせば分かります。 
何を言っているのかよく分からない授業、字が汚すぎて何が書いてあるか分からない授業、言葉はきついですが結構学生時代経験したことがあります。
私の見解のひとつに難しいことを簡単に説明できる人が指導者としての正解で、そこからより深いところに誘導できることが腕の見せ所だと思っています。難しいことを他者の理解をそっちのけで話せるのは真の学者に与えられた特権であって、指導する立場の人は、いかに噛み砕いて一定量の理解まで持っていけるかに力量がかかっていると思います。
ゆえに真に分かるまでの自分を作っておかなくてはならず、そうでない場合、しっかりと噛み砕いて伝えることができません。家庭教師という仕事をやり始めた頃、まだ天職としての認識が自分で持てていなかった時は、うまく説明できないことに対して、次回に持ち越して家で説明の仕方、もしくは自分の中の理解度を高めることを場合によってはやり直さなければならないこともありました。
ローマは一日にしてならず。
昔の人はよく言ったものです。
振り返れば、わからない、わからないと1人もがいていた日々が、その頃想像もしていなかった家庭教師という仕事につながっています。
職業というのは、人生の歩み、歴史です。私はそういう意味では、もがき苦しんではきましたが、天職と呼べるものにめぐりあいその職に就くことができて幸せだと思います。



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