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私が会社員を辞めて上海で独立した理由

2022年1月上旬。

私は17年勤めた会社と訣別するべく、当時の上司であった上海支店の総経理に辞表を提出し、受理された。

その後、3月上旬まで40日残っていた有給を全て使い果たし、晴れて正式退社となった。


そもそも、私自身は特に独立願望が強かったわけではない。どちらかというと諸葛孔明的なNO.2的な位置が心地よいと感じるタイプで、そもそも自分が社長になって人を雇って会社を切り盛りしていくというタイプではないと、自分でもある程度理解していた。

それでも、私が家族がいる中リスクを冒して会社を辞めるに至ったのは、会社という組織の闇の部分に心底うんざりしたからである。

基本、どの会社でも駐在員というのは、「元の部署に戻す」のが原則である会社が多いと思う。ただ、私の場合はそうではなかった。

突然の呼び出しと新上司からの連絡に戸惑う私


11月も終わるかという頃のとある日の午後、総経理から急に会議室に呼び出された。私は直感的に「帰任の話だな」と理解した

総経理「ケニー君、君の次の配属部署が決まりました。●●部の●●課が君の配属先や」

私「???どこですか?その部署??聞いたこともないですけど。ていうか事前の相談一切なかったですけど。」

総経理「わしは本社から連絡来たからそれをお前に伝えるだけや。俺もよう知らんけど、欧米向けの輸出部隊らしい」

私「なんで私を出身部隊に戻さないんですか?」

総経理「お前の元上司が受け入れ拒否したからと聞いとる」

私「は?意味が分かりません。それにしても、なぜ私が縁もゆかりもない業界の部署に異動になるんですか?受け入れ先も私みたいな必要ないでしょう?」

総経理「人がいなくなるらしい、だから補充や」

私「補充なら新卒でもいいし、他の若い人間を他部署から持ってきたらええ話やないですか」

総経理「俺に言われても知らんがな、いずれにせよ、他に行き場所はないみたいや」

私「私に選択肢はないということですか。ひどい会社ですね。」

総経理「せやな。どうする?」

私「わかりました。その条件のみます」

総経理「よっしゃ、そう伝えとくわ」


総経理との面談後、2日後の午後、私の固定電話が鳴った。日本からの電話だった。私は少し嫌な予感がした。

「もしもし、ケニー君?君の新しい上司となる●●だけど、早速引き継ぎしてもらいたいから仕事振っていくからよろしく!」

私「は!?私こっちの引き継ぎも何もしてないし、そもそも3月上旬までは子供達の学校があるから上海から日本には戻りませんけど?」

「え?そんなこと聞いてないけど??1月からこっちに異動ってなってるから、すぐにでも引き継ぎしてもらわないと困る」

「いやいや、無理ですよ。せめて人発出てからやるもんじゃないですか?とにかく今はそんな余裕ありませんので、せめて1月以降にしてくれません?なんでこっちが全てそっちの都合に合わせないといけないんですか?家族もいるのにそんなに簡単に動けませんよ。」

「う〜ん、困ったなあ。分かった、君のいう通り1月下旬からしっかり仕事してよね!」

こんな感じで、私は新手の敵(?)を撃退し、自分の身の振り方を考えすぐに行動することを迫られたのである。

身の振り方に悩むも、新しい道を歩くことに決めた自分


上海駐在時は、誰も挑戦したことのない事業に挑戦してあと一歩で完成の目を見れるというところで引き摺り下ろされ、挙げ句の果てにはよく知らない部署への左遷。自分の中で怒りの炎が急激に湧き上がっていた。

それに加え最も腹立たしく、むなしかったのは、出身部隊の取締役や部長など、酒を何度も酌み交わし会社のより良い未来について熱く語り合った人たちが、私を必要としなかったことであった。これについては、心底がっかりした。(後日、この裏話を上海時代の上司から詳細を聞いたが想像以上の組織内の混乱ぶりで、この会社を辞めてよかったと心底思った。)

そこで、私はこの会社を辞めた場合どうするのかを考えてみた。このまま上海に残り、現地採用で会社を探す、日本に戻ってから退職し、転職する、もしくは上海で会社を作って独立する。このあたりだろうか。

現地採用に関しては、定期的に案件を以前から紹介してもらってはいたが、総経理クラスでも2万元の月給で住宅手当なしとか、いい人材を取りたいと口ばかりの日系企業の悪さをもろに見てきたし、実際異動の内示があってから紹介してもらった会社も酷い待遇だった。

とは言え、今の時点で日本に帰って転職するにしても何をすればいいのかわからない。40過ぎのおっさんが就ける職業なんて限られているだろう。

正直妻は、今の会社のままでも首にならない程度に仕事してれば給料もらえるからいいじゃないと、私が会社を辞めて独立することに対しては終始一貫反対だった。

ただ、私の中では選択肢が既に一つしか残っていなかった。今でもその判断が正しかったのかどうかはわからない。ただ、一つ言えるのは自分が決めたことに後悔はない、だ。

決めたからには、すぐに動かねばならない。私は早速代行会社を通じて、会社の設立と登記を行った。また、長く一緒に仕事をしてきた中国人ラオバン等に私の意向を伝え、仕事をくれないかと話を持ちかけた。全てのラオバンが首を縦に振ったわけではないが、それでも一緒にやろうと言ってくれる人がいるのはとてもありがたいことだった。

ついに「退職届」を出し、受理される


2022年1月上旬。

とうとうこの日が来た。正直な話、辞表届を出すのはこれで3回目だ。特に緊張もしないし、感慨深いものがあるわけでもない。

前日の夜に総経理に明日の朝イチでお時間くださいと伝え了承をもらっている。

あとは、この退職届を出すだけ。

もっと太いペンで書けばよかったw
めっちゃ貧相な感じがぷんぷんする

*ちなみに、退職届と辞表届は意味が全く違う。


会社に着くと、総経理は既に出社していた。彼に声をかけ、先に会議室で待っている旨を伝えた。

会議室で待つこと10分


いや、

なんか遅ない??


何してはんのあの人??


会議室をでて、総経理の方を見ると、立ったまま席の周りをうろうろしていて、なんか物を落としたかと思えば拾ったり、机の上を整理したり何をしているのかわからない(笑)


明らかに動揺している様子だった


いや、意味がわからんけど。
俺を要らんって判断したのオタクらやで?


これ以上時間が経つと出社してくる人間が多くなるので、声をかけて会議室に来てもらった。


総経理「どしたん?話聞こか?」

私「はい、今月末を持って退職させて頂きます。退職届をお渡しさせていただきます。よろしくお願いします」

総経理「ふーん、そうか。そんなことやろうなおもたわ。理由はなんなん?」

私「私の意見も聞かずに勝手に配属先を決めたことですかね。別に私があの部署にいるべき理由が見当たらないですから」

総経理「サラリーマンっちゅーのは、そんなもんや。自分ではどうにも出来へんことばっかりやで」

私「では、受理して頂けるということでよろしいですね。」

総経理「お、おう。まあわしも海外支店も含めて、辞めますって言われるの初めてでもないから、なんとも思わんけど、ほんまにええんか?後悔はないか?」

私「後悔は一切ないです、あるとしたら恨み節ぐらいですね、ははは」

総経理「ま、何を思おうがお前の自由や。とにかく、これ(退職届)は受け取っとくわ。あ、そや、辞めるんやったらお前すぐに家探さなあかんで?1月には今の家出ていかなあかんかもしれんで?そこだけきぃつけや」

ということで無事に受理された。後は家を早急に探さなければならない。


本社人事とのやり取りを通じて心底うんざりした話


総経理の話を受け、残り20日以内に引越し先を決め、引っ越しを完遂しなければならなくなった。これは今思えば妻にも相当負担をかけたなと反省している。

駐在員時代お世話になった不動産屋の営業マンにも色々手伝ってもらった。物件を見回っている際、「ケニーさん、家族五人で上海で会社辞めて独立するなんてすごい度胸ですよね、我很佩服您。奥さんも心配でしょう、奥さんよく了承しましたね〜」と言うので、私が口を開こうとしたら妻が「そりゃ私だって反対したわよ、今でも正直反対。でも、私はこの人に一生恨まれて今後生きて行きたくないから仕方ないじゃない?」と苦笑いしてた(笑)

なんとか価格的にも住居的にも妥協できるところが見つかり、さあ引っ越ししようかと思った矢先、本社の人事から連絡が来た。

「ケニーさん、有休消化が終わる日まで現在の住宅に住んでもらって大丈夫です。だってその日まであなたはうちの社員ですから。」と。

いやいや、この話散々電話やメールでやりとりしたやん。もう引越し先決めてもうたし、敷金とか払ったよ??1ヶ月分の家賃も無駄になったやん。私はそこから今までの鬱憤を晴らすべく猛烈に捲し立てて抗議を行った。無論、私が先払いした新居の費用が返ってくるわけでもないし、会社が立て替えてくれるわけでもない。

この社内のグダグダに巻き込まれて心底私は疲弊していたし、うんざりしていた。さらに追い討ちをかけるように、3月中旬までは社員なので、日本の給料はその日まで払うが、上海で支給されている手当分に関しては2月以降払わないという訳のわからないことを人事が言い出し、これもまた揉めに揉めたのだが、最後は馬鹿らしくなってもうええわとなった。

そして、最終出社日を迎えた。
人事の最後のヒアリングということで、Teamsでつないで面談を行った。

先方曰く、海外駐在員が現地で退職するのは社内史では初ということで(笑)、色々聞きたかったらしい。なので、この海外支店は何か相当酷い問題を抱えているのではないのかという感じで色々聞いてきた。

私はもう辞める身なので、形式的な「一身上の都合で辞めるだけです」の一点張り。痺れを切らした人事部長と課長は「会社のより良い発展の為に、あなたの忌憚なき意見を聞かせてください!」と執拗に縋ってくる。

そんな彼らに私は、「じゃあ逆にお伺いしますけど、私が本当のことを話せば御社が綺麗さっぱり生まれ変わっていい会社になるんですかね?言っても変わらないの分かってるから言わないんですよ、言って変わるんだったらとっくの昔にいい方向に会社は向かってるはずですけどね?」と。

人事課長が「いや、でも・・・」と言おうとしたところを私は「でもも、クソもないんですよ。腐った蜜柑が一つでもカゴの中にあれば、他の蜜柑も腐っていくんですよ。この意味わかりますよね?」とさえぎり、面談を終わらせたのであった。

こうして人事との面談を終え、後は社内の人に声をかけておさらばするだけ。私が辞めることを知っているのは、総経理、人事部長、直属の上司と私の部下の一部だけ。挨拶回りで皆今日で私がいなくなることを知り驚いていた。中には初めて会話を交わし、そしてさようならとなる人もいた(笑)


こうして、私のこの会社での17年間の会社員生活は幕を閉じたのであった。

ここから新しい生活が始まるはずだったのだが、上海をどん底に陥れるあのイベントが刻々と迫ってきているのであった。

あの「魔の2ヶ月」については、また別の機会に書いていこうかな。正直思い出したくもないことだらけなんだけどな(苦笑)

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