日本を恋愛先進国にするには?- 3

4. 学術理論から考える等価交換の恋愛(ちょっと脱線)

良い恋愛とは何か - こんな難しい問いに100%の精度を持って答えられる人はまずいないと思う。もしそれを100%と言い切るならば、その人は頭か性格が悪いか、または双方かだ。

人類学者のベイトソンは数あるコミュニティの構造の中で分裂が抑制され、比較的持続可能なものが備えている関係性を「交換型」とした。ここでいう「交換」とは同様と見なせるものを交換を意味している。例えば共働きの夫婦などで、時には夫が家に収入を持ち込み、時には妻が家に収入を入れる場合など。これが達成されれば確かに持続可能なのかもしれない。

しかし、社会構造や文化から察するに、明らかに女性が持続的に働く方が困難度が高い。例えば男社会であった集団における下品な会話、犯罪被害のリスク、異文化を持つために淘汰されるリスクなどがある。そこで私は何ならば対等交換が可能なのか、ということを考えた結果「知識」ということになった。知識の交換で繋がる関係性である。この場合知的レベルなどや趣味などがある程度適合していないと、対象交換とはなりえない。

また、一方で人間にはそれぞれ求めている(または必要なことが)違うという事実がある。有名なマズローの理論で言えば、低次元から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、そして自己実現欲求という5段階に分かれる。もし各レベルごとに相手を選べば、適切な「等価交換」は成り立つのだろうか。

例えば、各次元ごとの交換はこのようになる。というより最初の生理欲求は交換不可能なので、安全欲求から始まる。

1. 安全欲求:安全に生きる。相手にも安全を提供する。

2. 社会的欲求:所属感覚を得る。相手にも所属意識を与える。

3. 尊厳欲求:相手から認められる。自分も相手を認める。

4. 自己実現欲求:自分の能力を引き出して創造的活動をする。相手にもその自由を与える。必要であれば能力のシナジーを起こして協力する。

自分が経験してきた中のおかしな人間関係では、たいていの場合低次元欲求が満たされないまま、高次元の欲求を押し付けられるなど。(つまり性犯罪にあわない、暴力を受けない、という安全性を担保できていないにも関わらず「所属意識を求める」「認めてほしい」などという欲求をぶつけられる場合である。)そういう場合にはひどく剥奪感を伴い、持続不可能である。

※一つ気になって調べたところ、「性的欲求」は生理欲求に入る場合と社会的欲求に入る場合の双方の説があるらしい。何れにしても安全欲求か自己実現欲求の人間には親和性が低い。

そしてもう一つおかしなことに私の場合で言えば、安全欲求が満たされないのでそこから転落し、逆に自己実現欲求の方にワープした、ということである。(マズローによれば全てを諦めて自己超越の方に向かう「躓き型」もあるらしいのでそれかもしれない。)まあマズローの理論自体も100%正しいということはないのだが。

それに尊厳欲求や、社会欲求について少し不思議に思うのは「所属できればどこでもいい」「認められれば誰でもいい」ということは決してありえないのではないかということである。ただ、マズローの理論を読んでいる限りはそれらには「選択可能性」が含まれていないので、選択を含めるともしかすると自己実現フェーズなのかもしれない。安全欲求に関して言えば「より安全な場所を選ぶ」か、それともその場を安全にしたいか、で種類が異なるのだろうか。当然ながらマズロー理論が絶対正しいということはないのだが、何か納得のいかなさが残る。

いずれにしても求めているものが違う人と一緒にいるというのはひどく困難な関係だし、できれば同じようなものを求めている人と一緒にいるのがいいと思う。(なんか雑w)


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