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SMクラブでの初めてのお客

私は女王様としての初めてのお客さんをはっきりと覚えている。その人に使うべきプロナウン(人称代名詞)は何だろうと考えると、未だに困ってしまう。(英語で表現するとしたらジェンダーが「男」「女」に括られない「they/them」 を使うが、日本語だと何を使えばいいのか迷ってしまう)そしてその人と初めて会った時、その人は少し時代遅れでサイズも合っていないような男性服を身に纏った中年男性のように見えた。けれどもそれはその人の中身とマッチしたものではなかった。ある時その人は自認性が女性であると私に告げたが、その後自分は「Xジェンダー」であり、男性でもなければ女性でもないということを告白された。出会った頃、私はアダルトショップの店員だった。地下にあるSMがテーマのフロアで働いていて、就業中に着させられていた制服が嫌いで仕方がなかっ た。その日はお店が暇で、フロアに与えられた iPadで販売できそうな新製品を調べているふりをしていた。
「あの...すみません...」 これが私とSの最初の出会いだった。マスクでほぼ顔が隠されていたSがレジに近づいてくる。
「いらっしゃいませ。」
「あの...しばらく来てなかったんですけど...えっと...この階で働いていた女性の方がいらしたんですけど、まだいらっしゃいますか?」
この時点で地下で働いている女性従業員は私だけだった。
「残念ながらもう辞められています。」
「あぁ...残念です...その人から良くアドバイスを頂いてて...その...」
「商品に関するご質問でしたらお答えできますが。」
私の返答は痛々しいくらいマニュアル通り、型にはまっていたものだった。けれど他に何と言えばいいのだろうか。
「本当ですか?」
Sの目は輝いていた。私はマサミが何故そんなに嬉しそうにしていたのかが分からなかったので、どういう気持ちでいればいいのか分からなかった。どんな質問を聞きたいのだろう?アダルトショップ店員をしている中で私 は数えきらないくらいの男性の「お客様」(とは呼ぶが彼らが商品を購入することはなかった)に不適切であった り、うざったいだけのセクハラまがいな質問を聞かれていた。そんなことに対しては耐性はあったし、黙ったままじーっと見返したり、動じないまま彼らの汚い口から発される質問にストレートな返事を返すことだってできた。Sを前に私は「今度はなんだ?」としか思っていなかった。
「私...私本当は女だと思うんです。でも男性には惹かれません。男なんか大嫌いです。自分が男だって 思っただけで気持ち悪いんです。私は女性になりたいんです。女性なんです。」
その言葉は明らかに私が予期したものではなかった。なんでこの人は自分のジェンダー・アイデンティティを行き 当たりばったりの、アダルトショップの地下にいるアルバイト店員を公表したのだろうか?自分の問いかけに対して答えを持っていなかったけれど、私はSに思ったことを素直に言うことにした。
「自分が女性だと思うんだったら、女性ですよ。ジェンダーってそんなもんだって私は思います。」
私の言葉を聞いたSの目がパッと明るくなった。
「私...私は自分のジェンダーについてオープンになれないでいるんです。自分は変なんだって思って。 母親はゲイなんじゃないかって心配しているし、休みの日に女性の服を着ているなんて言えないですし。女性に 惹かれるっていうのが救いなんですけど、ただ...話し相手がいなくて。」
「この近くにいて、話し相手が欲しいなら...私で良ければここにいますよ。」
「...本当ですか?」
「もちろん。他にお客さんがいなければお話できます。」
私の言葉は決して嘘ではなかった。過去に自分自身の生まれた性別に対して違和感やストレスを感じたこともあった。そしてジェンダー移行をしていく友達を何人か見てきて、彼らや彼女らの強さや忍耐力に圧倒されていた。Sが自分自身と戦い、もがいているのは見れば分かった。私からすればSの告白はとてつもなく勇ましいものだった。何故そのことを私に打ち明けたのかは謎だったけれど、私はその「何故」を無視することにした。

私とSはちょっとした奇妙な友情を育んでいった。強い社会不安を持つSは SNS上のプロフィールはおろか、携帯電話すら持っていないと主張した。私たちの唯一のコミュニケーション手段はSが私が勤務中の時 にアダルトショップに立ち寄ることだった。シフトを教えて欲しいと言われたこともなければ共有することもなかったので、私が休みの日にSが店頭を訪れることもあった。月に二回ほどSに会うことになり、会うたびに少しづつ打ち解けていった。Sは商品を何も購入しないのに、私はSとのお喋りに結構な時間を費やしていたので、お店の経営陣がそのことを知っていたら問題になっていたと思う。でも、彼らが何て思うがどうでもよかった。Sとの側から見れば奇怪な友人関係は私にとって大切なものであったし、Sが地下へと続く階段を降りて来るのを見つけるとどこか喜んでいる自分もいた。
「私、女性に虐げられる妄想を持っているんです。」
それはその年の12月が終わりにさしかかっている時のこと。私が初めて所属することとなる女王様専科のSMクラブの面接を受けた直後で、2月から そのクラブでの仕事が始まるのが決まった頃。
「そう言えば...私あと少しで SMクラブで働き始めるんです。2月から。」
「...うわぁ、おめでとうございます!」
レジにローションとリモコンバイブを持ったお客さんが近づいてきた。Sはそそくさと頭を下げ、そっと手を振った。

数週間後、私はまた会社用のiPadをいじっていた。見慣れた顔が地下へと降りて来る。
「あ、Sさん。こんにちは。」
「こんにちは...あの...えっと...聞きたいことがあるんです。」
「え?」
「私、クラブでの一番目のお客さんになりたいんです。」
なんと返して良いのか分からなかった。女王様になると言うことを告げた時、深く考えないで言ったし、Sからこんな反応が来るとも思っていなかった。
「本当に?」
「はい。今までの妄想を現実のものにして頂きたいんです。」
その時はまだ1月で、クラブの宣材写真すら撮影していなかった。そして私がクラブで働くことすらクラブ側から公表されていない状態。
「うーん...今月の終わり位に電話で問い合わせるのがいいかも。まだ予約の受付も始まってないと思いますし。」
「そうします!」
Sが去っていく。Sが思ってくれていたことを光栄に思うと同時に、私にはちょっとした不安感もあった。何故かというと、Sが30年近く女王様とプレイすることを夢見たと言うことを聞いていたからだ。その夢を現実化しようとしている姿に...私の頭が色んな所に飛び交い始めた。けれど、確信がある。Sに今まで味わったこと のないような特別なひとときを与えるんだ。

あっという間にSの予約日が来てしまった。歌舞伎町にあるひっそりとした道で待ち合わせをし、ラブホテルに向かう。Sはシャワーを浴び、私は「もう一つの制服」に着替える。エナメルのトップスにソング ショーツ、網タイツのストッキングに海外のストリッパーが履くようなヒール。アダルトショップで着させられる制服は私をなんの面白みのないくたびれた人間にするけれど、この制服は真逆だ。気分は高揚し、なんだか力強くなった気になる。自分に自信を持てる。その姿である時、私はもっと「自分らしく」なったような気になった。そしてその「自分」に心地よさすら感じる。
「入ってもよろしいでしょうか?」
聞き慣れた声が聞こえた。ベッドルームとお風呂場を仕切るカーテンを開く。そこには安っぽい、ヒラヒラなピンクのランジェリーに身を包んだ、肩より先まである長い髪の毛を下ろしたSがいた。
「うわぁ...」
Sが息を呑むのが聞こえた。その時私たちはお互いの本当の姿を目の当たりにした。
「本日はご調教のほどをお願い致します。」
跪くSの上に私はそびえ立つ。私の唇の端が上がって、微笑になる。

Sとその日、何をどうやってしたかという詳細は秘密にしておこう。それは特別なものだった。穢らわしくも神聖な儀式。プレイが終わった後のSの晴れやかな笑顔は私にとってどんな褒め言葉よりも意味のある賛辞だった。ただ、この物語には私にとって少し寂しいエンディングがある。プレイ終了後、私のことをホテルの室内から手を振りながら見送る姿。それが私が 最後に見たSの姿だ。女王様としてのキャリアをスタートした後も何ヶ月かはアダルトショップの店員を続けていたけれど、お店の地下でSを見ることは一度もなかった。Sはただ一度とも私の元へ戻って来なかった。

私はSが「女王様」を自分にとって(罪深くも)神々しいものにしておきたかったのだろうと信じることにした。その女王様 はきっと最低賃金でアダルトショップで働く女のコなんかはなく、押さえ込んでいた妄想や空想を現実へと変換してくれる、圧倒的で抵抗し難いけれど、優しくその身を受け入れて抱きかかえてくれる、神秘的な存在なのだ。

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