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#006 徒然なるままにChatGPTやAI考

たとえば電話。
一人一台どころか一家に一台なかった時代に生まれた人は、今のこの状況になるまでを経験しているのだからわかるはず。
なのに、何を恐れているのか。
わからない言葉、昔は辞書で調べなければ意味がわからなかった。けれど、今は、歴史でも料理でも病気でもなんでもかんでも、一人一台(以上)のスマホ一つで、一瞬にしてすべてがわかる。
それを当たり前にしている人が、なぜ手をこまねくのか。

そんな人は置いておいて、でもこれからの人たちは数年後には、当たり前にAIを使っている、もっと進化するであろうChatGPTのようなものを別のことのために道具として使っている。
今という今は、そんな未来に繋がっている今なのに。

その未来と今の繋ぎの役割を一番ちゃんとしなければならない教育現場が、夏休みの宿題を生成AIに作らせるのは不正だから禁止せよとかなんとか。(ニュースで言ってます。)
相手(AI)がそう来るなら、その先を行けばいいと思うのだけど。
作文書いて、先生が添削して、ってそういう今までの前提を取り払って、じゃあどうするって考えるの、わくわくしません?

こういうことを考える過程で、意外にも、今まさにのCEFR、私たちにとっての日本語教育の参照枠の考え方と交わる部分も見えてきて、ますますわくわくしています。

今、一番一生懸命にしていること。
それは、この間成立した日本語教育機関認定法に係る色々で、本当の本当に今一番重要な時なのだけれど、
それが一段落したら、上に書いたような新しい道を見つける、おこがましいけれど道を作ることに一生懸命になれたらいいなと、徒然なるままに。

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