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大学の授業について

大学の授業中に学生が鍋を作って食べながら授業を聴いているという様子がSNS上で話題を呼んでいる。まー、私も教員がそれでいいというなら(そして授業を受講している学生さんもそれなりに同意しているということならば)それで構わないという考え方に近い。私が感じるのは、鍋を作って食べながらでも聴ける(参加できる)授業ってどんなものだろう?という疑問だけだ。

私も一昨年まで大学教授だったし、1997年に博士号を取得した直後から、九州大学(3年8ヶ月)、京都大学(10年半)、熊本大学(4年半)、東工大(7年)と渡り歩いたので、大学で講義をしたことは多い(なにしろ仕事でしたから)。私がやってきた講義は数学(全学共通と専門(大学院を含む))と数学史(全学共通)だったので、科目内容によるバイアスもあったと思うが、25年以上の経験の中で一人も授業中に鍋を作ったり、あるいは鍋を作りたいという(あるいはそれに類する行為をしたり希望をする)学生さんはいなかった。私はもちろんそのような希望を述べる人がいれば、できるだけそれを実現する方向で一度は考えると思うが、おそらく他の学生さんたちが反対するだろうから実現はしなかっただろう。でも、そういうことが(数学で)実現できる状況というのには、普通に興味がある。

私にとって、大学の授業における自由とは「参加の自由」である。参加した上で何をしてもいいという自由は、少なくとも数学のような集中力を必要とする科目にとっては、少々慎重にならなければならないだろう。

そもそも、私は毎回学期初めの最初の授業では、次のようなアナウンスをするのが常だった。

  • 授業の評価は試験(期末・中間試験)と(必要ならば)レポート問題等のアサインメントによるが、期末・中間試験だけでも合格して単位を取得することはできる。よって、授業の中身を最初から理解している人は、授業を毎回受講する必要はない(出席はとらない)。授業に出るか出ないかは、基本的には学生さん本人の自由である。

  • 授業に出る限りは、他の受講生もいるのだから、ある程度は最低限のマナー的なものを守ってもらわなければならないが、小規模な飲食(その講義室が飲食不可な部屋ならダメだが)とか、居眠りをわざわざ咎めることはしない(だろう)。

  • 授業の予習・復習は、やっておくに越したことはないが、これも個人個人の理解度・達成度の問題なので、特にやらなければならないというわけではない。

  • ノートをとるかとらないかも自由である。ノートをとる方がやりやすい場合はノートをとった方がいいだろう。しかし、それより私の喋る内容(や板書)に集中したいのでノートをとる時間がないという人は無理にノートをとらなくてよい(試験は一切の持ち込み不可なのでノートをとっていれば有利というわけでもない)。だから、授業の板書を自分の携帯のカメラで写してもらって構わない。ただし、写真は個人使用に限定する(SNSとかに流さないこと)。それから、動画を撮るのは勘弁してほしい。

つまるところ、私が学生さんにお願いすることといえば、すべて授業に参加した場合の最低限のマナーくらいなもので、それもほとんどわざわざ口に出して言ったりはしない。強いていえば「参加するからには頑張って勉強してね」「動画は勘弁してね」くらいなものだ。だからそれなりに「自由だ」と思う人もいるかもしれないが、その自由は基本的には「参加・不参加の自由」だ。数学の場合は、授業に出たからには集中して聴いてもらわないと理解できないだろう。本人はそれでよくても、授業に参加している他の学生さんの中には集中して授業を聴きたいと思っている人が多いだろう。だとしたら、「出席するか否かは自由」「参加の形態(ノートをとるか否かとか)も自由」でも「参加するならマナーは守ってね」ということになる。これが常識的に考えた「自由な学びの空間」としての大学の、あくまでもひとつの形だろう。

しかし、他の形もあり得るとは思うので、個別具体的な個々の状況においては、もちろん「授業中に鍋してもいいですか?」という問い合わせに対して「いいよ」と答えられる状況だってあるだろうとは思う(大学ですから)。でも、私にはいままでそういう機会がなかったなぁ、あったらどう考えただろうなぁ、というか、具体的に数学の授業でそういうふうになる状況ってどんなのかなぁー?と考えた次第である。


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