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自分に何ができるのか知りたい

好きなことは最初から好きだったわけではなく、最初は“できること”が次第に好きになっていくんだとSHOWROOM代表の前田さんがおっしゃってたのを聞いてなるほどなあと思った。
これは、おもしろい=わかることだとおっしゃってた『「ついやってしまう」体験のつくりかた』の著者である玉樹さんの言葉と通じてくるのかなと思う。

これらを掛け合わせると、

できる→わかる→おもしろい→好き

である。

これは「こういうことなのではないか?」という自分の仮説のもとやってみる。
そしたらできた。
やっぱりそういうことだったかとわかる。
そういうことなら、今回はこうしてみようといろいろ試して段々おもしろくなる。
あ、これ、好きかも

これが好きなことの“経歴”なんじゃないかと思う。

好きになるかどうかは、やってみるほかない。
できるけど、好きにならないことだってある。
今の仕事もそうだ。
できるけど、好きにはなれなかった。

自分に何ができるのかを確認できなくなったことが要因のひとつでもある。もっと言えば試せなくなったからである。
ひとつのポジションに収められることは、そのポジションで認められたということだから、嬉しいことではあるけれど、この仕事は横展開がなさすぎる。横展開もなければ、奥が深いわけでもない。
この仕事を続けるということは、これしかできなくなるということで、そう思ったらなんだかもったいないよなあと思ってしまったのだ。

もうひとつの要因は、慢心である。
慣れるがゆえに起こる慢心はどうしても拭いきることができない気がする。
できることに慣れて新しいチャレンジをしない、別の角度から物事を見ようとしない、最終的には考えることをしなくなってしまうのではないかと思ってしまう。
どうしても楽な方、楽な方と考えてしまうのが人間だから、環境を変えるということをしなければ、どんどん退化しちゃうのではないかと心配になってしまうのだ。

何ができて何ができないかは、チャレンジする以外方法はなくて、誰かができたからとか、誰かが失敗したからとかと、自分ができるかどうかは別問題である。
0.00000000001%でも可能性があるからこそ、時に残酷な結末を生んでしまう恐れがあるけれど、行動しなければ、その結果には辿り着けないのも事実である。

ただ純粋に、自分に何ができるのか知りたい。
そのできることが誰かの役に立つことでありたい。
それはいてくれるだけでいいとか、間接的な話ではなく、この手でできたことが誰かの幸せになってこの目でその幸せそうな人の顔を見たい。

そこにたどり着くために、知りたいのだ。

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