本屋の楽しさについて考えてみた。

 □イラスト提供 いまがわゆい様( @othellolapin )□

スーパーはもちろん、雑貨屋、服屋、家電量販店などなど、買い物をしなくても店内を巡っているだけで楽しい空間というには、人それぞれに色々とあるだろう。
僕にとって、それは本屋だ。家電量販店もおもちゃ屋も好きだけど、幼い頃から本屋は楽しい場所だった。それが高じてうっかり本屋で働くようになってしまったし、そのおかげで本のある空間を少しだけ深く楽しめるようになった、と思う。
そんなわけで、本屋が好きだ。

本屋の何が楽しいのか。
それはもう、たくさんの本が並んでいるからだ。
整然とだったり雑然とだったり、店の立地や形態にもよるけれど、どんな状態であれ、本が並んでいるという状態そのものが眼福だ。
とにかく本が並んでいる様は、ただそれだけで心が躍ったり落ち着いたり満たされたりする。
感情がちょっと忙しいが、それもまた楽しい。

ここには、できれば自分の部屋の本棚もそのようにしたいという欲求もある。
しかしそれは、ガンダーラよりイスカンダルよりはるかな夢なので、その欲求は本屋に行って擬似的にでも満足させるしかない。
できることなら広大な地下室に素敵な書庫を作ってこもっていたいのだ。でもできないのだ。だから満たされない心の隙間をそっと埋めてもらうのだ。
もちろん大袈裟に言っています。

さてここまでは遠景。
もう少し本棚に近づいてみる。どんなジャンルを眺めるかはその時の気分次第。
明確な目的や決まったルートが無くとも、その時の状態で求める本の方へ行ってしまうということもあるらしい。お腹が空いていれば料理書へ、仕事で悩んでいればビジネス書へ、などなど。

ずらりと並ぶ本本本……最近はバッグとかスリッパとかも目に入るようになったけどおいといて。
意匠を凝らした表紙や、色とりどりの背表紙にさまざまなタイトルの文字が躍る。文字はデザインであり情報だ。それだけでも面白い。
文庫の背表紙には決まったフォントの文字が印刷されているだけだけど、それだって同じ。漢字三文字が与えるインパクトとひらがなの柔らかな曲線から受け取るイメージ、その違いだけでも目にした本に対する印象は変わる。
『地獄変』と『ささらさや』では全く違う。近頃はあらすじみたいな長いタイトルも増えて来たけど、そういう推移を眺めるもの面白い。

そんなことを考えながら歩いていく。
並んでいる本の中に、持っていたり読んだことがあったり知っていたりするものを見つけると、知り合いに会ったような気分になる。よく会う人かもしれないし、久々の再会かも知れない。記憶の底に沈んでいた遭遇だってあるかも知れない。
読んだ、面白かった、でも細かい内容は覚えていないということも増えたし、読んだような気もするがはて?なんてこともある。クラスは違えどなぜかよく見かける同級生に、話したこともないのに妙な親近感を覚えるような感じで、読んだこともないのに面白そうだなと手に取ったことがあるだけかもしれない。
どんなかたちであれ、その本と自分との間には確かなつながりがあることを感じられる。

さらにその結びつきは、新しい出会いも連れてきてくれる。
それは同じ作者の作品だったり、同じシリーズの新ナンバーだったり、同じジャンルだったり。
読んだことのある本に関連した内容だったり、よりブラッシュアップされたものだったり。
ただ隣り合っているだけのこともあるけれど、そこに目が止まったのは、結びつきのおかげだ。
そして新しく出会えばまた読みたくなる。知り合いの紹介であれば安心して手に取ることができる。そうして縁は広がっていく。
知り合いが多くなれば、その場所はより自分にとって親しみがある場所になり、居心地も良くなっていく。

行けば行くほど、巡れば巡るほどに、本屋は楽しくなり、行くたび巡るたびに新しい出会いがある。
もちろん、そんなに深く考えたり感じたりしなくても、本が並んでるのを眺めるだけも十分に面白い。
だからついつい足が向かってしまう。長じてこんな理屈をつけるようになったけれど、子供の頃から気づけば本屋にいたくらいなので、結局ただただ好きなのだろう。働くようになって見方は多少変わったとは言え、これから何度でも赴くことになるのだろうと思う。



ただし。
職場ではないというのが大前提。働いてしまうと無心ではいられないので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?