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「戦没者を追悼し平和を祈念する日」のこと

お恥ずかしいことですが、8月15日が「終戦記念日」というのは「通称」で、閣議決定されたのは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だった、という経緯を読売テレビニュースの【タカオカ解説】で初めてじっくり知りました。
https://youtu.be/Uj-gjUeeZWs

閣議決定 1982年
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002h59g-att/2r9852000002h5ax.pdf

Wikipediaにも、ちゃんと読めば書いてありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5

恥ずかしい、というよりも、怖いですね、自分。
「あたりまえと思っていることは疑わない」ということ。

1961年生まれの僕としては、子供の頃から日本武道館で「全国戦没者追悼式」が行われているのをテレビで見ていて、高校野球も中断してサイレンが鳴り黙祷をする、という儀式も見てきて、「8月15日は終戦記念日」という認識で生きてきました。

次第に、歴史を学ぶにつれて「8月15日に戦争終わってないじゃん」ということばかりが先に立って、「その日を記念日にするの、おかしくない?」という方向にばかり考えが及んでいてそもそも「終戦記念日」というものの有る無しについて考えもしていなかったのです。

逆に、いろんなタイミングがあるからこそ、どこかに「祈念する日」を設定しておこう、という考え方で1963年から「全国戦没者追悼式」が8月15日に行われるようになったのだそうです。

納得。

来年からは安心して黙祷させていただきたく思います。

それにしても。
もっともっと、ひとつひとつ、「自分が持っているあたりまえ」を細かくアップデートしていく努力をしないと、とんでもない失敗をやらかしますね。
生徒に指導するという役割も担っているのに、その自分の一般常識が根本から間違っているかもしれない、という恐怖と常に向かい合わなければ。

中学時代、教員の言動に違和感を感じていました。
今にして思えば、1970年代ですから、戦争経験者と戦後生まれの人たちが職員室に同居していたわけです。さらに1960年の安保闘争時に大学生だった人たちもいたことでしょう。

つまり、先生たちが言うことが人によって違うのです。

だからこそ、すべての教えられたことを疑ってかかる、という習性はついていたつもりでした。

それなのに、「終戦記念日」についてはしっかり調べていなかった、という自分。
盲点でした。

演劇に関しては「演劇とはこういうものだ」という常識を次々とぶち壊してきたくせに、なんたる失態。

今日から心を改めます。

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