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構造の芯と枠:工学中心の視点へ

システムエンジニアやアーキテクトの立場から物事を考える時、構造が重要なキーワードになります。構造は様々な意味を持ちますが、基本的に形を保つ性質を持つ物を指します。

構造のこの性質を詳しく見ていくことで、物質に限らず概念に対しても構造の性質を拡張できます。私は以前からエンジニアのスキルやアプローチが技術だけでなく学際的な研究や社会問題にも役に立つと考えているのですが、構造の性質から科学の限界を整理することで、この考えがより鮮明になりました。

この記事では、構造の芯と枠の話と、科学の限界、そして工学の可能性への話へと話題を展開していきます。

■構造の芯と枠:中心性と境界性

構造について考えた時、骨や細胞骨格のように芯となるものが構造を成している場合と、皮膚や細胞膜のように枠となる物が構造を成している場合とがあります。

私たちが知っている生物は、基本的に芯と枠の両方を持ち合わせます。

柔らかさには差がありますが、脊椎動物のようにしっかりとした骨を持つ生物は通常、芯は硬い骨で、枠は柔らかい皮膚です。甲殻類は芯は柔らかい筋肉などで、枠は固い殻です。軟体動物や単細胞生物は、芯も枠も柔らかいですが、どちらも液体のような流動性のある物ではなく、しなやかな構造です。

無生物においては、液体や気体のように流動的で構造を持たない物、石や金属の塊のように芯と枠が明確に分離されずに硬直した一体的な構造を持つ物、水風船のように枠はあるけれど芯はない物、磁石や星のように磁力や重力で引き付ける芯を中心としているが枠はない物も、存在します。もちろん、無生物であっても芯と枠を持つ物を作る事は可能ですが、考えてみると案外に特殊な構造です。

■概念への適用

芯と枠の考え方が興味深いのは、物理的な物質だけでなく、頭の中の概念にも適用する事ができる点です。

例えば、明確な定義を持つ概念は、対象がその概念に当てはまるかどうかが区別されます。例えば三角形は3本の真っすぐな線と3つの角を持つ図形と定義でき、角が4つであれば三角形ではないと分かります。これは定義という枠を持っていると言えるでしょう。

一方で、明確な定義が難しい概念も数多くあります。愛や命のような抽象的なものだけではありません。例えば、食べ物のケーキですら、明確な定義が難しいことに気がつきます。一般にスポンジケーキのように小麦などの粉を使ってふわふわで甘い食べ物を想像しますが、レアチーズケーキのように粉類が主体にならずに成立するケーキもあります。

こうしたものを定義という枠で境界を定めようとすると抜け出せない迷路に迷い込みます。柔軟な枠として捉えるか、あるいは芯を定めて、その芯に近い物とか似ている物、と言った形で理解する方が適切でしょう。

このように、私たちの頭の中にある概念も構造を持つ物であり、それらには芯を持つ物と枠を持つ物があります。そして、その両方を持つ物もあれば、芯や枠の硬直性と柔軟性にも違いがあります。

■古典科学の限界

このように考えると、古典的科学の限界が分かりやすくなります。明確な定義や理論、再現可能性とエビデンス(証拠)に基づく古典的な自然科学の手法は、明らかにこの世界の狭い領域にしか光を当てることはできません。

この科学の狭さを理解すると、様々な議論を科学的か非科学的かという二元論に当てはめることは明らかに問題になります。科学にはまだわからないことがあるとか、解明されていないことがあるという話ではありません。そもそも、定義、理論、再現性、エビデンスという科学の枠は、現実世界の枠とは、大きさと性質が異なるのです。

■工学の領域

科学が理性であり、科学の限界は理性の限界であるという理解もまた、大きな誤りです。かといって完全に科学的なものから離れた感覚や直感を理性とすることもできません。この古典的科学の限界を超えた部分を扱う理性は、工学の領域です。

厳密な定義とエビデンスを必要とする科学に対し、工学が必要とするものは実用性です。役に立つ事が、工学の本質的な目的です。

役に立つのであれば、明確な定義やエビデンスが無いものでも工学は喜んで扱い、取り込み、利用します。過去に経験がないため、役に立つかどうか分からないものでも、シミュレーションや小実験、あるいはいきなり実践投入してでも、役に立つかどうかを確認します。他人が理論や定義に納得をしなくても構いません。役に立てば工学は成功ですし、定義や理論が確立していなくとも、どこかで役に立ったものを似たような事例に適用する能力が、工学の実践者であるエンジニアの領域における理性です。

ここで言う工学は、従来イメージされる科学技術を使って物を設計するという領域だけではありません。そうした分野で培った知見と、科学的な知識や科学技術を活用し、有用性の観点からアプローチする知的作業です。

■エンジニアのイメージ

部屋に照明があれば、夜でも安心して暮らすことができます。

電気が流れたら照明が光を放つ現象には科学的な法則があり、その知識に基づいた科学技術をベースにして照明器具は機能します。そのあたりまでが、科学と科学技術の領域です。

多くの人が押しやすいスイッチとはどんなものか。天井からぶら下げた照明器具が落ちてこないようにするにはどうすればよいか。照明器具の中の消耗してしまうランプが切れてしまった時、電気工事の専門家を呼ばずに一般の人が交換できるようにしつつ、端子がショートしたりゆるんだりしないようにするためにはどうすればよいか。家の壁にスイッチをつける時に、壁を傷つけずに手早く取り付けられるようにするにはどうするか。万が一過剰な電圧や電流が流れた時や、10年後、20年後に壁や天井裏の電気配線が劣化した時でも、火事にならないようにするにはどうすればよいか。配線、電球、照明器具、スイッチがリーズナブルなコストで工場で製造できるようにするにはどうすればよいか。日々の電気代を抑えつつ十分な明るさで部屋を照らすにはどうすればよいか。

工学の実践者であるエンジニアが考える実用性とは、こういう事です。

エンジニアと一言で言っても、多様な人がいます。私が期待しているエンジニアとは、単に目に見える機能を作る作業を行う人ではありません。先ほどの照明の例で挙げたように、様々な非機能的な観点から配慮を詰め込みつつ、しかし投げ出したり破綻させることなく、実用的で有用な、安全で豊かな生活の提供を目指している人たちです。

■多面性、フルスタック、アーキテクチャ

従来イメージの工学は、工業社会における工業製品の設計開発という領域に対して行われてきた知的作業になります。コンピュータとソフトウェア、インターネットの登場により、単品の製品に対する工学だけでなく、情報通信システムに対する工学、いわゆるシステム工学へと工学はその裾野を広げました。

その延長線上に、私のイメージしている工学の世界が広がっています。つまり、社会であれ文化であれ、個人であれ組織であれ、あらゆる分野に科学的知識や科学技術の応用をする際には、その対象への有用性という観点から理性的にアプローチする工学という知的作業が必要になる、という発想です。

私の情報通信領域のエンジニアとして経験上、こうした新しい領域へ工学的理性を使ってアプローチする際の重要な3つの観点は、多面性、フルスタック、そしてアーキテクチャです。

有用性と一言で言っても、多面性を持ちます。単に効率を上げたりできなかったことをできるようにすることだけが有用性ではありません。コスト効率や、品質、安全性、セキュリティ、理解性、メンテナンス性、過去と未来のレガシーへの対応、社会性や倫理性など、多くの観点から有用性のバランスを取る必要があります。また、関係者が多くなれば、重視する観点も異なります。それらの全てを考慮し、粘り強く最適な点を見つける努力が求められます。

フルスタックとは、情報通信システム工学の領域では、ソフトウェア、ハードウェア、ネットワーク通信という異なる技術領域を網羅的に理解することです。一般にこうしたシステムは、ソフトウェア、ハードウェア、ネットワーク通信の各分野の専門家を集めて分業して設計開発することが多いのですが、最低限誰か一人は、その全域にわたってシステムを理解することができるフルスタックエンジニアがいないと、システムの設計開発は難航し、出来上がったシステムの有用性はとても悪いものになります。

従って、より工学の領域を広げていくことを考えた場合、更に多彩な領域の知識を網羅的に把握できるフルスタックエンジニアが必要とされます。新しい領域では、自然科学や技術だけでなく、社会科学や人文科学などの知識も必要になるでしょう。自然科学と同じように、これらの学問の知識も応用して有用性を追求できる学際的フルスタックが求められます。

アーキテクチャは、情報通信システム工学の領域では、開発するシステムの土台となる基本構造を指します。別の言い方をすれば、アーキテクチャ設計はシステムの芯と枠を定める事です。芯と枠の形状をどうするかだけでなく、どこを硬直的にして安定させ、どこを柔らかくして柔軟性を持たせるか、そして、外部に対して開放する部分はどこか、といったことを決めていくイメージです。この時、物理的な側面からの芯と枠、論理的な側面からの芯と枠、そして、概念的な側面からの芯と枠を考えていくことになります。

工学の領域を広げる場合も、このアーキテクチャをどのようにするかという視点が、重要になってきます。

■工学中心の視点へ

一般に工学は科学の応用と捉えられています。しかし、科学的アプローチの限界が浮き彫りになるにつれて、工学的アプローチの重要性が高まっていくことになります。そうなると、工学中心で物事を捉える視点に移行すると考えられ、その視点からは、科学は工学の一つの道具のように映るはずです。

道具である科学が進歩しなければ、工学の進歩も無いことは確かです。一方で科学が進歩しても、それを使用するかどうかは工学が握っています。工学は単に科学の応用ではなく、科学技術の判断と制御を握っています。

そうした意味で、社会における様々な対象を制御するフィードバックループを作る事で、工学自身も強化されるという二重のフィードバックループがそこにはあります。

今後、工学は学際的フルスタックになるはずですし、多様な分野に適切なしなやかさを持ったアーキテクチャを再定義していく新しい理性とならなければならないのだろうと思います。

そして、いわゆる専門家としての科学者への過度な期待と、その落胆が浮き彫りになってきた今日、新しい形の理性としてのエンジニア像が要求されていると思っています。自然科学や技術だけではなく、社会や文化を含むフルスタックの知識を持ち、有用性を突き詰めていく知的活動を担う主体としての新しいエンジニア像です。

この新しいエンジニアは、従来のエンジニアがその知識を社会科学や人文科学にも広げるという方向と、社会や文化に関わる専門家が技術知識や工学的スキルを身に着けるという方向の、両面があります。その意味で、新しいエンジニア像は多様性を持ちます。そして、新しい工学の基礎知識は、多くの人が多かれ少なかれ保有するべきリテラシーとなることが望ましいと思っています。

■さいごに

新しいエンジニアに、多面的でフルスタックの知識が必要となると、その知識は膨大な量になるのではないかという疑問が浮かぶかもしれません。

エンジニアリングは、複数の人で手分けをして分業することもできます。このため、それぞれに得意分野を持つ多数のエンジニアを集めるという手があります。

一方で、少数ではありますが、確かにフルスタックの知識を持ったエンジニアも必要です。彼らは、基本となるアーキテクチャの設計を担うという意味でアーキテクトという役割を担います。

システムや建築物だけでなく、社会や文化なども視野に入れたこの新しいアーキテクトが必要とするフルスタックの知識は、対象分野の広さは求められますが、個々の分野における幅広い知識よりも、その多様な分野を横断する知識の方が重要です。学際的な類似性や接続性と言えるかもしれません。それは、各分野の芯となる部分と、枠となる部分の理解です。その知識さえあれば、中身の詳細な知識はそれぞれの分野の専門エンジニアに任せることで、アーキテクトの役割は務まります。

こうした学際的な芯と枠に相当する知識を形にしていくことができれば、新しい工学におけるエンジニアとアーキテクトの役に立つでしょう。


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