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目的でなく、ありたい状態を考える

目的を達成することや、何かになる、というのは、ゴールがあります。ゴールにたどり着いたら、そこで終わります。

一方で、ありたい状態、というのは持続的です。その状態に到達していなければ、到達するように活動する必要があります。そして到達したら、今度は維持し続ける必要があります。

私たちは自分や誰かの活動に対して、目的やゴールを問うことの方が多いように思います。しかし、到達しようとしている状態やありたい姿を問うことは、それ以上に大切なことではないか、そう思うのです。

この記事では、いくつかの観点から、目的と状態について、考えてみようと思います。

■友人やパートナー

何のために、結婚するのかと問う人がいますが、よく考えてみると不思議な話です。何のために友人を作るかいう質問は、あまり聞かないように思います。

私たちは目的やゴールに意識が向いてしまいがちなのかもしれません。しかし、人生には目的があるものと、目的がないものがあるはずです。その事を、見落としてしまっているように思います。

後付けのようにして友人を作る理由を考えることもできますが、目的など考えなくてよいのです。私たちは、ただ気の合う友人がほしいのです。結婚も同じように、ただ人生のパートナーが欲しい、そう答えても良いはずです。

■進路

将来、何になりたいか、という質問を受けることもあるでしょう。進路を決める時期には、特にそうでしょう。

もちろん、明確になりたいものがある事は、素晴らしいことです。目標も明確にしやすく、そこに向かって進めば、生き生きと充実した生活が送れるかもしれません。

一方で、そうした目標やなりたいものがない人も、多いと思います。そういう人は、無理になりたいものを考えても答えは見つからないでしょう。その代わりに、ありたい姿を考える方が建設的です。

人の役に立つ、お金を稼ぐ、趣味と仕事を両立させる、など、どんな姿でも、自分が本当に望んでいる事を素直な心で考えてみるのです。

自分を鼓舞するためにカッコつけても良いと思います。犯罪的なものや人を傷つけるものでなければ、素直に弱さや欲望を反映してもよいでしょう。自分で決めることが大事です。

■地域振興

地域の振興のための活動にも、同じような側面があると思います。

明確な目的やゴールを立てて推進できれば、わかりやすい計画や作戦も立てやすいでしょう。

ただし、明確であるがゆえに、それが本当にその地域の人たちが求めていることと合致しているかという点で、ジレンマが生じることも多いでしょう。

人によって意見はバラバラでしょうから、明確に問題意識が共有できていることでなければ、意見が分かれることはむしろ自然です。

その場合、目標に価値があると信じて力強く進むリーダーシップが不可欠でしょう。

一方で、そうした目的やゴールを持つ活動だけが地域振興や活性化ではないと思います。

ありたい姿を考える、というアプローチも良いと思うのです。

それであれば、多くの人に積極的とまでは行かなくとも、消極的には賛成してもらえる姿も、描ける可能性はあります。

少なくとも、地域に任意で参加できるようなコミュニティを作り、それを維持することは、大きく反対されることはないのではないかと思います。

コミュニティ作りは、その地域への地域愛が強い人には、魅力的な仲間づくりの場になるでしょう。自治体や公的な組織とは別に、一定のメンバーを持つ質の高いコミュニティがあれば、その地域の問題を吸い上げたり、自分たちに出来ることを自分たちで考えたりする土壌となり得るでしょう。

明確なゴールがなくても、そうしたコミュニティを作り、維持するという姿をありたい姿として実現していけば、それだけでもその地域にとって十分にポジティブな変化となるはずです。

■さいごに

目的やゴールは、達成すれば終わりですし、仮に達成できなければ失敗です。

一方で、状態やありたい姿は、到達するまでは道の途中であり、到達しても道の上です。終わりのない永遠です。大げさに言えば、それが生きるということなのでしょう。生きることに、ゴールも失敗もありません。ただ、道を歩き続ける、そういうものです。

剣道、柔道、華道、茶道など、日本の武芸や文化には「道」が付いているものが多くあります。ナンバー1やチャンピオンというゴールを目指して競い合うのではなく、道を求め続けるという思想があるのかもしれません。

サステナビリティも、状態やありたい姿の例です。

近代社会の合理性を求める姿勢にとって、目的やゴールは扱いやすいものだったのかもしれません。扱いやすいがゆえに、ついつい、目的やゴールが全てだと考えることが当たり前になってしまったように思えます。

そのため、サステナビリティのような、状態のことを考えることが苦手になっているのかもしれません。また、ありたい姿を考える機会も、あまりなかったのでしょう。

ありたい姿は主観的に決めるしかなく、客観的で合理的な理由はありません。理由や理屈ではなく、ただ自己決定するしかありません。しかし、深く考える必要はないのかもしれません。目的やゴールは、答えを出してから合理的な計画を立てることが重要ですが、ありたい姿は、道を歩きながら探していくものではないかと、思えるためです。

理由や理屈を求めすぎる現代においては、個人にも組織にも、むしろ、ありたい姿、それを探し続ける姿勢こそが、問われているのだと思います。


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