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【人生開拓家について】吾輩は人生開拓家である。まだ名前しかない。

人生開拓家という肩書を自分につけて10日ほど経過した。このフワっとした肩書は自分の中でも定義が定まっていない。今日は少しここを掘り下げてみる。

この肩書を名乗る背景を考えるには、まず前職を退職した経緯から振り返ってみるべきだろう。

前職のこと -人事の仕事-

私は前職ではかなり大きめのアメリカ系の会社で人事をしていた。入社した当初は英語がバリバリできたわけでもないし、人事の経験があったわけでもない。縁というのはつくづく不思議なものだ。

入社してから約5年くらいは採用の仕事をしていた。マネージャークラスから、現場で働く契約社員の採用、新卒採用、障がい者採用、エンジニア、生産管理、予算管理、人事、様々な部署や役割の方の採用を担当した。恐らく2,000~3,000名の方とお話させて頂いただろう。その他にも採用予算の計画、募集広告の管理、面接とその調整、候補者のフォロー、採否会議の進行、面接官のトレーニング、採用トレンドの分析など、採用に関する仕事はほぼすべて担当した。5年経ったときには入社当初から会社の規模は2倍くらいに拡大していた。

しかし、自分の経験が増え、スキルが増えるにつれて仕事がマンネリに感じ、飽きがきていた。良くも悪くも予想通りに仕事が進みすぎるのである。良い成果が出ても、想定の範囲内。悪い成果が出ても想定の範囲内。世間からは急成長企業としてスピードがすごく早いと言われていたが、慣れてしまえばそんなものである。そうしてモチベーションが下がり始めた私は、上司に相談し別の担当に異動し、採用ではなく労務の仕事に就いた。

それまで労務の仕事の経験は全くなく、手探りで進めるしかなかった。社員教育、社員間のトラブル解消、社員評価、制度の変更、新拠点の立ち上げなど多岐にわたる仕事を経験させてもらった。最初は採用の仕事と比べると数字のプレッシャーもなく、人事と書いて"ひとごと"なので気楽に捉えていた。しかし経験を積むに従って、受ける相談がヘビーになり、対応する案件もドロっとしたものが増えていった。お陰様で、様々な世代の人、立場の違う人とのコミュニケーションの取り方を学んだ。ミスコミュニケーションが発生するカラクリを学んだ。人のモチベーションを高め動機付けしやすいアプローチの仕方を学んだ。人事という仕事を通じて、人間的に成長させてもらうことができた。

仕事に対する疑問

しかし、一方でその仕事が誰を幸せにしているかとシンプルに問うた時に答えを見出すことはできなかった。もちろん会社のための機能であり役割ではあるのだが、社内問題の解消というのは企業を助け守ることであり、一方で問題を起こした社員を指導し、時として罰をするものだ。世の中が白と黒のどちらかしかない世界であれば単純な仕事だが、人を相手にするとそうはいかない。誰しもが自分の中に正義を持っている。そして苦しいかな、個人的に共感できてしまうことも少なくはない。例え社内でのルールに即していないとしても。

そして転機が訪れる

そんな矢先、2020年1月から新型ウィルスに関するニュースが世の中に出始めた。社内でも様々な対応が始まっていた。そして3月に私は体調を崩したことがあった。38度を超える発熱があり、病院に行った。担当医はインフルエンザの可能性を考えてその場で検査をしたが結果は陰性だった。診断は扁桃炎で抗生物質と数種類の薬を処方された。

その頃にはすでに自宅からリモート環境で仕事をしていたが、3日ほど経過してもなかなか解熱せず「まさか・・・」と思い、再度に通院したが違う薬を処方された。心配になり保健所にも連絡をしてみたが、対応は自宅で様子を見てくださいと言われるだけだった。当時は海外渡航者との濃厚接触や4日間以上連続する発熱といった"複数条件への合致"がなければPCR検査を受けることはできなかった。1週間ほど体調が回復しない日が続き、別の病院を受診した。その頃には熱は少し下がっていたが、ひどい咳が出ていた。

その新たに行った病院は80歳ちかいであろうおじいちゃん先生が診察してくれた。症状を伝え、聴診器をあて、喉の様子を見て「レントゲン撮りましょうか」といった。念のため・・・といった感じではあったが、肺炎を発症していれば肺に影が映るのですぐわかるということだった。

数分後、レントゲンの確認が終わり結果が伝えられた。
「この部分に影があるので、恐らく肺炎ですね。」
(まさか・・・)緊張で心臓の鼓動が早くなる。
「ただし、新型の肺炎なのか、それ以外の肺炎なのかは検査をしないとわからないので、紹介状書きますね」そういって医師は保健所に連絡を取り、PCR検査を受診できる近くの総合病院の予約を取ってくれた。体調は悪かったが、公共交通機関を使わずに歩いて病院に行くよう指示された。

訪れた総合病院の受付で紹介状を渡すと、すぐに担当の看護師が一人付きっきりになり、別病棟に案内された。鼻の粘膜の採取、尿検査、血液検査、唾液、MRIとあらゆる検査を受けた。検査が終わり、結果は翌日電話しますと伝えられて帰宅の途についた。

死のリスクを感じた夜に

その夜、緊張と不安でなかなか眠りにつくことができなかった。例え新型ウィルスに感染していたとしても、必ず死ぬわけではない。自分は運もいい方だしきっと大丈夫。頭ではそう理解していても数パーセントの不安を払拭することはできない。

そうして死のリスクを考えたときに、ふとある考えが頭をよぎった。
「今の仕事を(まだ見ぬ)子供に胸を張って語ることができるだろうか?いや、できない」
結婚はしているが、今のところ子供の予定がないくせに、まだ見ぬわが子に思いを馳せてそんなことを考えてしまった。

翌日、病院から連絡があり、新型ウィルスへの感染はなく、ただの肺炎であることがわかった。緊張から解放されて一気に力が抜けた。自分が感じていた以上に不安だったらしい。それから数日して体調は十分に回復した。

新たな課題と対峙する

しかし、新たに別の問題を抱えていた。
先の自分自身の問いについて、一つの結論が出てしまっていたからだ。そこからの日々は葛藤が続いた。人事の仕事を続ける動機探しが始まった。待遇的にも環境的にも悪くない会社だ。あと10年も働けば50歳を前にしてアーリーリタイアできるメドが立つ。しかし、考えても考えても答えは見い出せなかった。そんなときに限って仕事は増え、難しい問題の対応も増え、別の部署のマネージャーから「もう少し頑張ってもらえます?」と言われ、答えが出た。(このモチベーションが湧かない状態で、これ以上頑張ることは出来ない。)とはいえ、次に明確に"やりたいこと"はなかった。

自分を見つめなおす3週間

自分の中で結論が出て、すぐに上司に相談した。3週間ほど溜まりに溜まった有給を使い、進退を考えるための時間を作った。こうやってまとまった休みを気軽にとれるところもこの会社のよい環境の一つだ。捨てるのは惜しい気もする。人事以外の別の部署への異動も検討した。

3週間の休みの中で、改めて自己分析を行った。何が好きで、何に興味があって、これまでどんなことをやってきたのか。当時、自分の中には"やりたいこと"や目標といったものがなくなっていたが、何か出てこないかと、自分の中を掘り返し、自己啓発本を読み漁り、答えを探していた。
転職エージェントともコンタクトを取り、自分の市場価値的なものも測ってみた。数日間の旅行にも行って一人で自分を見つめる時間も作った。しかし3週間経っても明確な答えは見つからなかった。

そして退職を決断する

そして3週間の休暇が終わり、最初に出勤した日に「よし、辞めよう」と決心した。なぜだか分からないけれど、自分の中で答えが出た。次にやることは決まっていない。採用担当の経験を持ってしても、次が決まらないままに退職するというのは、リスクが高くできれば避けるべき判断だということは分かっていた。けれど同時に、追い込まれなければいつまでもダラダラしてしまう自分のことも理解している。なんせ10年働いてきた会社だ。居るだけなら、いくらでもできる。

けれど、なぜか悟ってしまった。急成長を続ける組織の中で、モチベーションを維持し続けなければ高いパフォーマンスを発揮することは出来ないし、チームに貢献することは難しい。もはやここは自分の居場所ではなくなったのだと。その日のうちに上司に退職の意思を伝えた。次の仕事や予定が決まっていたわけではないのだが、有給休暇の残日数を数えながらカレンダーを見たら、10月8日(大安)というのが目に入った。八日の末広がりで大安。門出にはピッタリの日だと思ってその日にした。そうすると残りの出勤が5日となり、急いで引継ぎをして有給消化に入り、退職日を迎えた。(もし当時のチームの方がこの記事を目にすることがあれば、謝ります。ごめんなさい、身勝手な私をどうかお許しください)

退職のアナウンスが社内に出された後、たくさんの方からメッセージを頂いた。嬉しかった。色んな仕事のことが脳裏に蘇る。失敗して助けてもらったことも少なくはない。ただ、それと同時にどれだけのことをその人たちにお返しすることが出来ていたか、本当に自分はベストを尽くし続けていたか。けっこう頑張ったとも思うし、いやもっと出来たはず(自分、やれば出来るんですという妄想を抱く)と思う自分もいる。出来ていなかったことは、これから先、何か違う形でお返ししよう。

さて、そんなこんなで迎えた退職日。社員証や保険証の返却も終わり、ただの個人になった。やりたいこと、次の仕事、何も決まっていない。10年間でためた多少のお金があるだけだ。世間はなかなか大変な状況にある中で、恵まれている方だと思うし、ワガママな選択をしているとも思う。けれど、それが自分なのだと受け入れ、言い聞かせる。

退職後、模索の日々が始まる

10月はとにかくゆっくり過ごしていた。それまでほとんど見ることのなかったテレビドラマをAmazon Primeで見て、You Tubeで動画を見て、料理をしてのんびり過ごした。妻は普通に仕事を続けており、私を急かすでもなく「やりたいことをやればいい」と温かく見守ってくれている。有難い。

偶然の出会い

11月に入り「どうしようかな・・・」と何気なく眺めていたFacebookで1件の投稿が目に留まる。前職の先輩があるキャリア開発&自己啓発系のプログラムに参加をしたという内容のものだった。もともとその先輩は自己啓発本とかに興味がないような方で、ちょっと意外な気がした。プログラムの内容は3か月(全6回のグループセッションと個人課題+個人面談)を通じて、自分自身を深く内省し、今後のキャリアや人生の方向性をクリアにし、歩みだす(アクションを起こす)という内容のもの。参加費用は大卒初任給くらい。けっこう高いという印象。

数年ぶりにその先輩にコンタクトして話を聞く。本当に価値があるプログラムなのか。参加して何を得たのか。価格の妥当性があるのか。自分にとって意味のあるプログラムかどうか。
正直に価格の妥当性があるかどうかの判断は難しいと言われた。ただ、キャリアのことや人生観はクリアになったということは伝えてくれた。その上で興味があるならば・・・と、プログラムを運営している企業の代表にもつないでくれた。

代表の方と1時間半くらいの相談セッションを持たせてもらい、率直に色々なお話をした。上述のキャリアの現状のことや、自分自身のこと、そして気になっている価格のことも聞いた。セッション1回あたりの単価が約3万円(セッションは2時間半)と考えると、まぁ妥当とも思えるが、どのように設定しているのか?と。答えは「最後はえいやっ!で決めている」もちろん、投下する時間のことや、参加者の期待成果のことなども話してくださったけれど、人件費以外に原価がほとんどかからない商品で、成果も定量的に測ることが難しい商品である。それらのことも踏まえた上で包み隠さずに正直にお話して頂けた。何より1時間ちょっと話した中で、確実に自分の話を内容してもらえただけではなく、いくつかのインプットももらい、それが芯を食っていた。もともと疑り深い上に、こういった有料セミナーに参加したこともなかったのだが、この人からのインプットは何か大きなきっかけになるような気がして、参加を決めた。

自分を深堀する - I, We, Itの視点を持つ -

プログラムに参加して最初の3回までは、ひたすら自分を深堀する。ただそれまでの自己分析と少し違ったのは、I(自分)、We(自分の身の回りの近しい人:家族や友人など)、It(不特定多数の第3者、世の中)といった視点で捉えること。Iでは自分がどうしいたいのか。Weでは周囲の人たちどんな影響を与えたいのか。或いはどのような価値を提供したいのか。Itでは世の中や不特定多数の人にどのように価値を提供したいのか。どのような社会課題の解決に貢献したいのか。

正直、社会課題なんてこれまでの人生で考えたこともなかったし、プログラムが終わった今でも強い意識は持っていない。けれど、自分がこれまで経験してきたことや、自分の中にある強みや意識といったものをどこに向けていけばいいのか?という大きな方向性を考える上では、自分にとっては新しく、重要な視点となった。

第3回のセッションでは"中間発表"として、自分がどのような目標を持つのか、そのためにどのようなActionをするのかを発表するのだが、この時はまだ明確な答えがなく、暗中模索という感じだった。

自分の価値観の根源にあるもの

そんな状況ではあったが、他の参加者との会話や自分との対話を通じて、おぼろげながら自分のコアにある興味関心のポイントが徐々に見えてきた。どうやら人を愉しませるということが好きらしい。愉しませるには、冗談を言って笑わせるということも含まれるし、新しい気づきを得て知的好奇心を掻き立てるということもあるし、価値観が広がって新しい世界を発見するということも含まれる。これまでに行ってきた活動、子供頃の記憶、趣味、その他の諸々のことが、繋がっていくのを感じた。

自分を活かす職業とは

だが、ここでもう一つ越えなければならない壁がある。
「人を愉しませる」は分かったけれど、それをどうやって仕事につなげるのか。「芸能事務所に入って芸人を目指す?」なんか違う。

たぶん、これまでに自分が何度か経験した、新しい価値観を得て、世界が広がる瞬間に立ち会いたいのだ。願わくばそのきっかけの一つになりたいのである。

何かやりたいし、その意欲や能力もある。だけれど何をやればいいのかわからない。どう進めばいいいのか分からない。そういった葛藤の中にいる人に対し、きっかけを創りたいのである。人は小さなきっかけで大きく変わる。その瞬間に立ち会いたい。(できれば、ちょっとくらい感謝されたい、自分が頼られ、認められたい というスケベ心もある。)

就職か、起業か

自分を掘り下げる中でそのような考えに至り、それが実現できそうな企業はないか?と求人情報を眺めてみる。前職が大きいところだったこともあるので、次はある程度会社全体が見え、且つ顧客の顔も見える小さなところがいいと思って、ベンチャー企業の求人を見てみたが、残念ながら私が住む福岡では合致するような企業が無かった。

じゃあどうするか、自分でやるしかない。起業ありきではないが、自己実現の一つの手段として現在、起業を考えている。そう思って起業に必要なことをブレストしてみる。
・屋号
・理念
・事業内容
・ビジネスモデル
・ブランドイメージ
・顧客ターゲット
・サービス詳細
・インフラ(HP等)
・管理(備品、経理など)
まだまだあるが、「誰に」「何の価値を提供するのか(=どんな問題を解決するのか)」、イメージはあるが言葉には出来ていない。自分は何者(何ができる人)ですというのを端的に伝える言葉が必要だ。人を愉しませる方法は無限にある。どれか一つに絞ることは難しい。けれど、分かりやすい言葉がなければ、人からの認知を得ることは難しい。自分へのラベリングが必要だ。

「人生開拓家」との出会いと、これからのこと

そんな風に妄想をしている中で、ふと出てきた言葉が「人生開拓」というワードだった。それをする人だから「人生開拓家」。名前が先に出てきてしまった。なので「吾輩は人生開拓家である。まだ名前しかない。」である。

人生開拓家を名乗り、これから様々な人生を開拓していくことになるが、まずは「人生開拓家」を開拓し、その目指す姿や、提供できる価値、提供したい相手をクリアにしていくことからはじめよう。


人生開拓家の道はこれから拡がる。

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