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待たせる工夫と待つ努力

先日生まれた子供の出生届を提出するために市役所へ行った時のこと。
戸籍登録のカウンターに行くと、カウンターの上に小さな文字で「戸籍登録は30~60分かかります」との記載が。さほど混んでいるわけでもなかったのに、意外とかかるのだと感じた。

申請書をカウンターで手渡して、呼ばれるまで待つように窓口担当者から指示される。

「30~60分かかります」の看板を見ながら、先ほど対応してくれた職員の姿を遠目に眺める。何やら書類を確認したり、バインダーを開いたり、上司らしき人に話したり、どこかに電話をしたり、色々とやることがあるようだ。

だがしかし、行政手続きに関して全くの素人の私は、書類一枚確認して登録するのに、どうして1時間近くもかかるのだろうと思ってしまう。先ほど記載した通り、決してサボっているわけでもないし、私が行った時はそれほど込み合っていたわけでもない。純粋に1人分の登録作業をするのに、えらく時間がかかる仕組みになっているらしい。

これまた偏見かもしれないけれど、役所というところは、なんとなくいつ行っても待ち時間がずいぶんと長い気がする。あと未だにペーパーワークが多くて、どうしても効率的ではない印象が強い。結果として、不要な待ち時間が発生しているのではないか?と邪推する余地が生まれてしまう。

しかし、これは双方にとって何のメリットもない。
もちろん、お役所側は時代の変遷と共に、IT技術の発展と共に、作業効率を上げる工夫や努力は必要である。けれど、現時点のワークフローの中で、それぞれの窓口担当者はまじめに作業をしているのである。それを感覚的に長く待たされているからといって批判したってしょうがない。でも、待つ時間(待たされる時間)は長く感じやすい。

例えば横断歩道のように、メーターが付いていてあとどれくらい待てば信号が切り替わるかがわかるように、作業の進捗状況が分かるようなものがあるとか、30~60分かかるのが致し方がないものだとして、その作業内容みたいなものが看板に表示されていれば、待つ方も「それなら仕方ないよね」と納得しやすくなるのかもしれない。

待つ側は、相手が一生懸命にやってくれているという前提で真摯に時間と向き合わねばならない。30分、本を読んだり、音楽を聴いたり、勉強したり、ゲームしたり、「待つ」という時間から、何かをするためのアクティブな時間に変えていければ、多少はストレスが緩和されるのかもしれない。


待つも待たせるも、心苦しいものですね。
などと書きながら、お役所の方の対応のおかげで、生まれたばかりの子供が市民権を得ることが出来ました。ありがとうございます。



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