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背水の陣を振り返って、40歳。

四十歳は二度目のハタチ。

と書いたのは眞木準さん。伊勢丹の広告だった。本で出会った頃は「へえ、やっぱり上手いこと言うなぁ」という程度だったけど、当事者として受け止めると、なんて前向きで素敵な捉え方なんだろうと感心する。

本日、40歳になりました。

もう歳を重ねることになんの新鮮味もないはずなのに、昨日寝る前に「これで30代は終わりなのか」と思いながら目を閉じ、朝起きて「今日から40なのか」と鏡を見ながら確認してしまった。

40歳。

はやいなぁ、という思いがある。
まだここ? という思いもある。

逆に、いくつでもいいよ、という投げやりな感じはあんまりない。年齢には頓着ない方だけど、この歳を重く感じる理由のひとつは、自分で自分に巻いた縄の存在がある。

「僕のコピーライターの寿命は45歳」

これを書いたのは4年前だった。当時の自分からしたら9年も先だった寿命が、もう片手で届くところまで迫ってきている。光陰矢のごとし。

怖いか?と聞かれたらそりゃ怖い。

まだまだ会社の売上の大半は僕が背負っているし、毎月のオフィスの家賃もあるし、給料払わなきゃだし、銀行からの融資も返さなきゃだし、「仕事の声が掛からなくなったら?」を考え出すと冷や汗が止まらないほどの怖さはある。

でも同時に、「寿命を決めておいてよかったな」と思う。

それは、これからスタッフを増やし、LANCHを組織として動かしていくことを決めているからだ。その中心には「左ききの道具店」がある。必然、クリエイティブは傍流に置かれることになる。もう、僕が手を動かし続ける会社じゃなくなるのだ。

この5年は、僕のコピーライターとしての黄金期であり、同時に事業の移行期間でもある。会社の本業を変えるのだ。

不思議なものだなと思う。コピーライターの寿命を45歳と決めたのは、自分に発破をかけるためだった。この世界で長生きを望むなよ、限られた現役期間を意識して生きろよ、と。背水の陣をひき、自分を奮い立たせるための宣言だった。

事実、この決意が僕をひとりの制作者としてここまで連れてきてくれたと確信している。もし残寿命を意識しなかったら、過去の思い切った手は打てなかっただろう。

でも、今改めて自分の45歳を想像すると、コピーライターの延長からは想像もできない姿になっている。川を背にして必死に戦っていたはずが、いつの間にかワープして誰もいない草原で空を見上げているような、清々しいほどの呆気なさ。

面白いなぁ。

たぶん、実際にその年齢になったら今の想像ともぜんぜん違う、分けわかんない場所にいたりするんだろうね。きっとそうだ。

二度目のハタチ、か。

一度目のような根拠のない自信と独り身の身軽さはないけれど、踏んだ場数の分だけの確信はある。たぶん、どこにでもいける。

そんなわけでみなさま、40代もどうぞよろしくお願いします。楽しむ!

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