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ビビリの克服

橘玲さんの本を呼んでいて、面白い章タイトルがあった。「対岸の火事で自分の家に水をかける

対岸の火事で自分の家に水をかける

川をはさんだ対岸の家の火事を見て、それにビビって、自分の家に水をかける?
冷静に考えれば、そんな馬鹿げたこと、自分はやるまいと思える。でも、実際にはたくさんやっている。この本章の内容も、厚生年金での問題に過剰反応して、厚生年金ではなく国民年金の対象者までが自分の年金が受け取り損となるとビビって逃げ出していくというものだった。確かに人間ビビると、ろくな判断ができなくなる。

ビビリの功罪

物事に全くビビらないと、あまりにもリスクが高いから、ビビリはある程度自分を守ってくれる役割を果たしているかもしれない。でも、それ以上にビビりには残念な面が多い。僕の回りでも、僕自身もビビってろくな目を見なかったことがたくさんある。

仕事では、あるプロジェクトの失敗でビビり、うまくいっているプロジェクトまで弱腰になり、プロジェクトの進行を不必要に滞らせてしまう。こんなことは、自分でも何度もやらかしているし、組織全体、会社全体でもやっている。

高校生最初の定期試験で一番を取ったら、次の定期試験で順位が落ちることにビビることになった。僕の行った高校は進学校でもないから、その中での順位なんか本当は意味がない。でも、一番から落ちたら、まるでこの世の終わりが来るかのように超ビビった。本来は自分の将来の夢を叶えるための勉強だった。でも、ビビったことで、勉強の目的が夢を叶えるためから、とにかく一番をキープするためにすり替わってしまった。勉強は試験前だけに試験範囲だけを丸暗記する方法に変わった。もちろん定期試験後、丸暗記した知識は急速に頭の中から抜けていき、何も残らなかった。大学受験に失敗した。

ビビると、自分のイメージした最悪を避けようと中途半端な解決策に逃げる。自分の志望していた大学に受かる実力がないと分かった僕は、受験失敗というカッコ悪い結末になるのにビビり、受験校のランクを下げるという愚かな行為に出た。またアメリカでレイオフされた時は、長期間仕事がなくなることにビビり、後先考えずに手っ取り早く近所の転職話に飛びついた。この2つの中途半端な解決策のどちらかがそのままうまく行ってしまっていたら、今の僕はない。今では、神様が中途半端な解決策を許さなく、容赦ない失敗に導いてくれたことに感謝している。1年発起して志望大学に入れたし、近所の転職話が消滅した後、最高の転職が待っていた。

ビビリの最悪な点は、回りに自分がビビリだと思われるのにビビって、冷静な判断を欠くことだ。そのまま、何もできず、悲劇に突入。表面上強がって全く勝算のない無謀な選択をする。

ビビリの克服

僕は本来、超ビビリだ。だから以下のことを意識している。

ビビリであることを認める

僕はビビリであると認める。そして、人は誰でもビビリだと理解する。進化論的に、人間は、良いこと・楽しいことより、悪いこと・怖いことを気にするように遺伝子に組み込まれている。原始時代、全くビビらない奴は、勇敢に草原に出て、すぐにライオンに食べられた。猛獣に襲われることにビビって、ビクビクしながら逃げ回った人間が生き残った。そう考えれば、今いる人間はビビリ人間の子孫だ。まずは、自分がビビリだと認めてしまうと、ビビったまま浅はかな行動を取ってしまう自分がそこにいると認識できる

早い思考から遅い思考へ切り替える

ビビったら、感情に任せた浅はかな判断をしてしまう。感情に任せた早い思考が優位になっている。そんな自分を認識して、遅い思考へ切り替える。感情的判断の早い思考から、冷静に論理的判断ができる遅い思考へ切り替える。ビビった原因を作った問題が、自分にとって重要なものであればあるほど、遅~い思考が必要だ。自分の頭の中でモヤモヤ漠然とした感情が回っている状態から、言語化してすっきり論理的に考えられる状態にする。字が綺麗で、メモ魔の人、手書きのノートにまとめるのが好きな人は、手書きで言語化するのが向いているのかもしれない。でも、僕は、手書きの字がきれいに書けないし、自分の手書きの字を後で読む気がしないから、もっぱらマインドマップ(MindMeister)を使って、言語化し、自分の遅い思考を発展させることにしている。自分に最もあった方法で言語化して、頭の中をモヤモヤの状態からスッキリな状態に移行させるのだ。

バザールの世界で生きる

これも橘玲さんのいくつかの本で紹介されていることだが、伽藍(ガラン)とバザールとの比較で世界を表現されている。伽藍とは閉鎖的な世界で、失敗が許されない。如何に失敗しないように生き残っていくかの世界。バザールは、リスクを取って失敗が許される世界。失敗したら、別の場所で別のことをやればいい。

日本のヤフー記事などを見ていると、つくづく日本は伽藍の文化だと感じる。有名人がスキャンダルを起こすと、ここぞとばかり、それを追求したり、さらにおとしめる記事が相次いで乱発する。失敗が許されない。特にこれまで成功して幸せ(そう)な人が、何かやらかすと、とんでもない誹謗中傷が起こり、おとしめられる。そんな世界で生きていたら、もちろんビビらずには生きていけない。

だから、自分だけでもバザールの世界で生きると決める

バザールの世界で生きると決めれば、
八方塞がりではなくなる。
失敗は許される。
逃げ道はある。

そして多様性がある。
どんな生き方、選択肢にも、正しい・間違いはない。
例えば、ある有名人がとった同じ言動に対しても、
ある人は、カッコいい、イカす、潔い、肝が座っていると評価する。
別の人は、ずるい、卑劣、往生際が悪いなどと酷評する。
完全に誰からも100%支持されることはありえない。反対意見・敵対意見は避けられない。バザールの世界で生きて、多様性と捉える。自分がワクワクすればそれでいい。

バザールの世界で生きると決めれば、起こった失敗・試練はすべて自分の責任だ。その結果を招いた行動や選択肢を決めたのは自分だから。すべてが自分の責任だと考えると、可能性が無限になる。次の行動や選択肢を決めるのも自分なのだから。

自然に出る

そして最後は自然の中に身を置く。幸い原始時代と違って、近所の少々の大自然を歩いても猛獣には襲われない。大自然の中を歩く。自分が生まれるよりもずっと前から何も変わらない岩山を見る。大木を見る。大自然の中に身を置くと、自分の中にあるビビリーも勇敢も、どうでもよいくらいちっぽけなことだと気づく。

こうして、自分の中にあるビビリを克服するチャレンジを続けたい!



#わたしのチャレンジ

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