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自然の大原則である多様性と人間の本能が求める画一性

多様性は自然の大原則

多様性は自然の大原則、それに歯向かえば破滅しかない。たくさんの例がそれを示していると思います。

熱帯雨林

僕たちにとって大切な酸素を作ってくれる熱帯雨林。さまざまな植物、動物、微生物、数え切れないほどさまざまな生き物が熱帯雨林を作っています。無数の生き物が複雑に関係しあって、森全体のバランスを取っています。少々の気候の変化やある特定の生き物に大病がまん延しても、超複雑に絡み合ってバランスを取っているため、森全体では大きな影響を受けません。
それを焼き払って畑や放牧地にしてしまえば、瞬く間にとても単純で脆弱な生態系となり、ちょっとした気候の変化や病気の発生でもバランスをとることができず、豊かな森は、何も産めない痩せた土地に変わってしまいます。

腸内細菌叢

僕たちの祖先は、その土地に根付くさまざまな生き物の命を食べ物としていただいて生き繋いできました。野菜・果物を丸ごと食べ、動物や魚の肉をいただき、人間の腸内にもその土地にあった腸内細菌叢ができました。ひとつの野菜、果物、肉、魚といっても、それぞれの細胞・組織の構造はとても複雑です。それぞれの中に、さまざまな栄養素が含まれています。そのような数え切れない栄養素を取り込むことで、僕たちの腸内の細菌叢もとても多種多様になれます。人ひとりの体の中には、自分自身の細胞の総数の10倍もの腸内細菌が住んでいると言われています。善玉菌・悪玉菌・常在菌が絶妙なバランスを取り、まるで様々な生き物が住み着く熱帯雨林のようです。少々、暴飲暴食したり、体調が悪くなっても、たくさんの種類の腸内細菌がバランスを取り、僕たちの腸を健全な状態に保ってくれます。
ところが便利な加工食品が登場しました。自然な食物と比べると、とても単純で画一的な栄養素のみでできています。
僕たちの祖先は、さまざまな細菌、ウイルス、寄生虫にも暴露されてきました。そのために多くの乳幼児が命を落とすこともありました。環境衛生が発達し、そのような惨劇が克服されたことは素晴らしいですが、過度に衛生的で単純な生活環境を作りすぎてしまったかもしれません。
加工食品によって腸内に入ってくる栄養素の種類が減り、衛生環境の改善でさまざまな細菌などに暴露されることも減り、これらのことが原因で腸内細菌叢の多様性が失われ、腸内細菌叢の種類が激減してしまった人が多く見られるようになりました。限られた種類の細菌叢だけでは健全な腸内環境を保てず、さまざまな現代病が発生しています。

ホモ・サピエンス

以前に投稿したように、身体能力で勝っていたネアンデルタールが絶滅し、ホモ・サピエンスが生き残ったのも、ホモ・サピエンスがもつ社会の多様性のお陰でした。

このような例を見てくると、僕たちはもうすでに、多様性は自然界の大原則であると分かっています。受け入れない限り、成長・発展できないのです。

画一性を本能的に求める人間

多様性という自然の大原則の中で生かせてもらっている人間であるのに、「多様性」の全く反対である「画一性」を本能的に求めることは、とても面白いことだと思います。でも生存戦略としてその本能が備わっていると容易に想像できると思います。

  • 決められた社会秩序・規範を守る

  • 自分の常識からハズレた人に違和感を持つ

  • 社会ルールを守らなかった人を避難する

多様性は重要ですが、社会集団を作って生きていく人間が、まったく画一性無く、ただただ集まっていたらそれは烏合の衆で、社会と呼べるものではなくなってしまいます。画一性も、人間にとって多様性と同じく超重要なものということでしょう。

画一性は、爆発的なエネルギーを持ち、短期の大発展をもたらす

画一性は、爆発的なエネルギーを持ち、次元上昇する際に重要なものです。例えば、戦後、日本が急復興、急発展したのも、たくさんの弊害も生みましたが、画一的な教育、働き方のおかげが多々にあったことでしょう。画一性は、短期間で一つの方向に突き進むためには強力な武器となるのです。

個々人の成長・発展でも、画一性はとても重要なものだと思います。自分の中で、諦めて捨てるものと、とことん追求するものを決め、自分の生き方、価値観を明確にし、単純化させることで、爆発的なエネルギーを持ち、飛躍的に次元上昇できます。

ただ、ここで注意しなければならないのが、自然の大原則である「多様性」を忘れてしまうことです。自分が確立した「画一性」だけにあまりにも焦点を当てると、小さな枠に収まり、結局は世界から置いていかれることになるでしょう。

画一性の中に多様性もうまく取り入れる

自分の中に、ある一定の「画一性」を持ちながら、「多様性」もうまく取り入れていくことが重要だと思います。そのために僕がしていることが3つあります。

アウェーで生きる

自分が生まれ育った文化の中で、同じ文化の人とだけ関わって生きていくより、全く異なった文化に飛び込み、全く異なった文化・価値観を持つ人と関わることができたら、どんなに人生が豊かになるだろうと夢見てきました。もちろん嫌なこと、不自由なこともたくさんありますが。

論破しない

以前の投稿で紹介しましたが、せっかく異なった文化や全く異なる価値観を持つ人が周りにいて、それらの人が自分では考えもつかない意見を行ってくれるのに、それらを拒絶する体制でいたら、そんなもったいないことはありません。人と一緒に仕事する際には、まずは、相手を論破しないと決めて、自分の意見はしっかりと持ちつつも、相手の意見・アイディアもうまく取り込もうと考えるようにしています。

Note

このNoteで自分の意見を発信し、同時に様々な人の投稿で、さまざまな人の考え方、価値観を知ることは、多様性を大切にする上で、とても有効です。まさに、Note自体が、多様性を育む大切な場所だと思います。


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