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尊敬する大先輩の親しみやすさの源泉

私には尊敬する大先輩がいます。

定年退職の年齢はとっくに超えているのに、ちょっと前に新しい会社に就職し、若手に混じって新しい挑戦をしている元気いっぱいの方です。

かつて一緒の職場だった人ですが、ときどきお会いしては、いつも刺激をいただいています。

知識豊富、惜しみなく出すアイデア、酒豪で世話好き、そして時間に律儀。
経歴からもとても恐れ多いかたです。
・・・なのですが(というのも変ですが)、どうにもこうにも親しみやすいのです。

その親しみやすさはどこからくるのか。

一つはそんなすごいのにツッコミどころがあるところです。
ボケをかますというか。おそらく、アイデアを出し惜しみしないので、その中に「いや、そりゃないでしょ」みたいなのが混じってくるんですね。
なので思わずつっこんでしまうのですが、ご本人はそのつっこまれることをたのしんでいる。
そこになんとも愛嬌を感じるのです。

ほかに親しみやすさの源泉があるとすれば、人のために奔走するところです。バタバタする、というか。
かつて一緒の職場だったとき、私がある質問した時、大先輩は答えを持ち合わせていなかったことがありました。
すると、「あら、これ私知らないから確認するわ!」、とあちこち聞いて回ってアイデアをかき集めて、その時の最大限の解答を導いてくださったのです。
教育的観点から考えると、答えを与えすぎるのは賛否あるかもしれませんが、そのホスピタリティの精神に引き寄せられてしまうのです。

さらに、ご自身が知らないことを他者に聞くときは、相手に最大限の関心と尊敬の念を持って接しておられます。
正直ベテランになれば、自分は知ってて当然の立場であるゆえに、若干マウント気味になってしまうこともあると思います(事実、別の大ベテランでマウントしてくる方がいました)。
でもその方においては、そんなことをほとんど感じさせません。

こう思うにつけ、好奇心あふれる初心者の眼差しをもつこと、目線の高さがしっかり相手に合っていること、このあたりに親しみがもてる理由があるのかもしれません。

この私の中にある尊敬の念がどこから出てくるのかをこれからも探索しつつ、まだまだ教わりたいなと思うのでした。
学びのこころを忘れないようにしたいです。

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