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窮地に追い込まれても愚策に走らず、共感力を発揮して正しい道を進む

引き続き、楽毅を読んでいます。

楽毅がお供する太子が身の危険に晒されています。
楽毅は太子を守るため、策を弄して相手を倒し、そして自分は身を隠すことを考えつきます。しかし、これについて、自身が尊敬する尊師は、どう思うかを考え、たちどまります。

このシーンは「窮地においこまれると人はつい安直な手を出してしまうが、それを跳ね除けるために相手が何と思うかを想像し、共感力を発揮して突破する」ことができる様子を示しています。

そもそもなぜ人は不正、コンプライアンス違反に手を染めるのか。

これについては、米国の組織犯罪研究者ドナルド・クレッシー氏が提唱した、不正のトライアングル理論、という有名な理論が知られています。

不正をしなければならない「動機」(借金でお金に困っている、とか)、「機会」(お金をバイト先から奪うことができる、とか)、「正当化」(ちょっと借りるだけ・・・、とか)のトライアングルがそろい、不正が発動するというものです。

その対策として、各組織はコンプライアンス教育をしたり、ルールでしばったりします。

しかし、その昔、コンプライアンスもトライアングル理論の概念もない時代に楽毅はどのようにそれを克服したかというと、自分のロールモデルとする人物が何を思うか共感を寄せ、邪念を払拭するのです。

多くのフレームワークやルールでしばるよりも、尊敬する力、共感する力がきちんと育くまれていれば自ずとコンプライアンスを守る自立した人間になれるのかもしれません。

以前、「子供をリスペクトする」にも投稿しましたが、他人との関わりにおいて普段から尊敬と共感力をもって接することがやっぱり大切だなと感じます。

以下、関連投稿となりますので、ご興味がありましたら。



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