オンナの戦い
書店、図書館、コンビニ、美容院…
本が置いてあるところならどこでも、どんな本が紹介されているかをチェックするのが私の習慣です。
先週末は地元の図書館に行きました。
そこで生物学出身の私にとって、まさに「セレンディピティ!?」と思うような本に出会いました。
「ビッチ対ビッチ」
結構太めの本の目次を開き、まずこの章のタイトルに目をひきました。
いや・・・どんな対決やねん。
そこでは年に一度だけ必死にたたかうメスのトピの物語が語られています。
有能な精子を持ったオスをめぐり争うメスがいて
勝ち上がって交尾に成功したメス。しかし、それを押しのけてオスを奪おうとするメスもいる。
そして、有能だけどヘロヘロになるオス。
一方で、有能なオスもいるということは
当然選ばれなかったオスもいるわけです。
そんな無能なオスは姑息な手段に出て、
少しのチャンスも逃すまいと、
メスを囲いこもうとします。
そこで、
「へへ、ここから離れたらキケンっすよー」
と警戒の声を出してメスをその場に留め置き
事にかまえようとする。
・・・なんだ、このトピの世界は!?
自分の価値観
そのように思ったりしながらとても楽しくよめる本なのですが、でも、ふと思うのです。なぜその世界観に驚くのか。
それって人間目線の見方であってトピ界では常識の話なのでは?
人間の繁殖方法を基準に、動物の繁殖を考えようとしているのであれば、それはそもそも傲慢な考えだなと思うのです。
そして、名の知れた生物学者ですら、そんなトピのメスのような行動を普通ではないと考えてしまうようなのです。おそらく、自分の価値観をもとに他者の行動を当てはめようとする心理がはたらいているのだと思います。
トピのような例以外では、たとえば鳥のなかには通常オスがするような派手な装飾や鳴き声をメスがすることもある。しかし、生物学者のなかにはそれをあたかも遺伝子のバグのようにとらえる人もいるようなのです。
つまり、オスはメスを求めて飾り、踊り、鳴くのが普通であって、メスが鳴くのは意味がなくてただバグっているだけと思う人がいるということです。
しかし、繁殖、という案件においてはオスもメスも必死なのです。
オスはメスへのアクセスのため、メスは繁殖と子育てのため戦う。
どのような形態をとるかどうかの問題であり、共に子孫を残すことを目指しているのです。
動物は人間のわかる言葉を話さない故に、私たちはつい擬人化して理解しようしているのかな。
しかし、動物は動物。本質的なところで違う考えを持って行動していますよね。
俯瞰してみる
この本のストーリーは俯瞰してみると非常に示唆が深いです。
自分の価値観を広げるには、あれ?と思うような行動に対する指摘や感情の動きに疑問を持つことが大切だなぁと感じます。
自分の考えなんて、自分の頭蓋骨の大きさ以上のことは超えられないのだから、限られた脳細胞のリソースフル活用する必要があるなぁと思うのでした。
最後に、唐突ですが、ミーアキャットって可愛いですよね。
でも・・・ひどい時には5匹に一匹の確率で仲間に殺されるのだそうです。
ミーアキャットも社会性を営む生き物で、女王のようなメスがいます。しかし、そのメスの力が弱まってくると、その力に拮抗するように他のメスの力が上がってきます。その結果血を洗う戦いとなり、こどもを食べるという殺戮繰り返されるという構図なのだとか。
ヒトの歴史をみれば、ヒトのオスもそれと一緒で、力が弱まってくるとそれに対抗するかのように闘争が起こります。動物界ではこれをメスがやっていることもあるということですね。
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