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【書き起こし】『ウィーアーリトルゾンビーズ』長久允監督×森直人

活弁シネマ倶楽部です。
不定期になりますが…本編の書き起こしをnoteに掲載します。

通信制限などで映像が再生できない方は、こちらの書き起こしでお楽しみください。

ただし、一点注意があります。
テキストはニュアンスが含まれにくい表現媒体です。
しかも、書き起こしは通常のテキストのように発表前に何度も推敲し、論理を確認し、細かいニュアンスを調整することができません。
だからこそ、書き起こしのテキストは誤解を招いたり、恣意的な切り取られ方をする可能性があります。(それによって炎上するニュースは日常的に起こっています。)

もし書き起こし内で引っ掛かる点があれば、映像をご覧になっていただきたいです。
映像はテキストでは表現しきれない被写体のゆらぎを写します。
そのゆらぎに含まれる情報があってはじめて、語り手の言葉は生きた言葉になります。

この書き起こしだけ(それも断片だけ)で判断するのではなく、語り手が語る言葉に耳を傾け、じっくりと楽しんでいただければと思います。
映画を見るという行為と同じような、能動的な体験をしていただけたら何より嬉しいです。

最後になりますが、YouTubeチャンネルのご登録もお願いします。


それでは、『ウィーアーリトルゾンビーズ』の書き起こしです。是非お楽しみください。

サンダンス映画祭を席巻した『ウィーアーリトルゾンビーズ』を長久允監督が語る!!活弁シネマ倶楽部#32

(森直人)始まりました。「活弁シネマ倶楽部」。MCを務めさせていただきます、森直人と申します。どうぞよろしくお願いいたします。「活弁」というのは聞き慣れない言葉かと思いますが、「活動弁士」の略称です。活動弁士とは、サイレント映画の上映中に語りを加えて、映画を楽しむ豊かさを提示してきた方々です。この番組では、動画配信を通して、映画を楽しむ豊かさを、視聴者の皆様に届けていきたいと思います。それでは早速ですが、今回のゲストのご紹介でございます。
世界的にね、注目を浴びている、新鋭監督でございます。『ウィーアーリトルゾンビーズ』の長久允監督でございます。

(長久允)よろしくお願いします。

(森直人)ようこそ、お出でいただきました。

(長久允)はい、ありがとうございます。

(森直人)あのね、普通初対面と思うじゃないですか、みなさん。ところがですね、我々、実は本日10年ぶりの。

(長久允)そうですね、10年ぐらいぶりの。

(森直人)再会でございまして、どうもお久しぶりでございます。

(長久允)お久しぶりでございます。

(森直人)ほんと、ご立派になられて。

(長久允)いえいえ、全然。

(森直人)色々もうちょっと、各メディアでお姿やインタビュー記事などを拝見していたんですけれども…もう目が潤みそうになるくらい。素晴らしい監督だと思っております。
なぜこの新鋭監督に以前お会いしているのかっていうのも、おいおい判明することになると思いますので、そのへんもお楽しみください。
というわけで、恒例のパターンとして、長久監督のプロフィールをざっくりと紹介させていただきます。

(長久允)お願いします。

(森直人)1984年8月2日生まれ、東京都出身。大手広告代理店にて、CMプランナーとして働く傍ら、映画やムービーなどの監督。そして、2017年に監督・脚本を務めた短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が、第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門にで日本人史上初のグランプリ。これは大々的に報じられましたけども。傑作で、ユーロスペースで劇場公開されたね。

(長久允)そうですね。

(森直人)そうして今回、『ウィーアーリトルゾンビーズ』が長編デビュー作となります。

(長久允)はい。

(森直人)既に、サンダンス映画祭のワールドシネマ部門で審査員特別賞・オリジナリティ賞を。あと、ベルリンでジェネレーション部門のスペシャルメンション、準グランプリにあたる受賞をされているということで…海外からの凱旋上映のような形で、6月14日からなんで、この動画流れてるころはもう大絶賛公開中ということで。

(長久允)はい、公開中です。

(森直人)今の心境は、いかがですか?

(長久允)そうですね、あのー、公開前なんで、やっぱりどきどきしていて。海外では、評価いただいたんですけど、パッと見の表現として色々激しい映画ではあるので、日本での公開でみなさんにどう捉えられるかというのは、緊張してますね。

(森直人)なるほど、なるほど。海外では、賛否というのはくっきり分かれていた感じですか?どんな感じでした?

(長久允)そこまで否の声は届いていなかったんですけど。アメリカだと新しいブラックユーモアのコメディの、本当にニュージャンルのものとして笑って楽しんでいただけて。ベルリンとかヨーロッパだと、よりその哲学の入った新しいタイプの芸術映画だというふうに評価いただいて…

(森直人)なるほど。

(長久允)その軸の違いがだいぶ面白いなと思ったんですけど。

(森直人)そうですね、では日本ではどういう軸が待ち受けているのか?という…でも『そうして私たちはプールに金魚を、』の時も、日本でもたくさん見られたと思うんですけど、すごく評判良かったんじゃないですか?

(長久允)そうですね。でも、やっぱりそのこれは映画じゃないみたいな。なんかPVの…

(森直人)あー、日本意外にありがちな。

(長久允)「こんなもんPVだ!」みたいな評価とかをやっぱりいっぱいいただいたので。まぁそこも含めてわかって作ってはいたんですけど…好きだからしょうがいない!と思って。気にせず作ってたんですけど、今回も同じ想いで作っているので、そういう声はあるかもなと思いながら…

(森直人)うん、そういう声はいいかなっていう気はしますけどね。

(長久允)まぁ、そうですよね。

(森直人)その先ですよね。

(長久允)はい。

(森直人)えー、ではなぜね、我々が10年前に会っているかというと…2009年に『ゼロ年代全景』というですね、オムニバス企画が劇場公開されまして、アップリンクかな。

(長久允)アップリンクでですね。

(森直人)当時、20代の若い監督3人のオムニバスで。伝説の作品が。

(長久允)伝説の作品(笑)

(森直人)そのパンフレットで、座談会をやったんですよね。

(長久允)あ、そうですね。そうそう。パンフレットで。

(森直人)現物があれば良かったんですけど、僕の仕事の場の地層から発掘されなかったんですよね。コピーなんですけど。

(長久允)あ、すごい。

(森直人)じゃーん。これはもうね、今語る人があんまりいない。

(長久允)そうですね。

(森直人)でね、これコピーなんでペラなんですけど、「僕たちは、希望ばかりで、ばかになった。」って。

(長久允)そうそう。そのコピー、僕が書いてますね!

(森直人)そうなんだ!なんかね、通じるなと思って。

(長久允)ありがとうございます。

(森直人)この辺から長久ストーリー感じ始まってるって感じでしょ。というわけでね、星崎久美子さん、ここには波多野純平さん、で長久さんは最年少だったんですね。

(長久允)あー、そうですね。

(森直人)うん、84年。で、まぁ一人おっさんがいて(笑)、世代越境座談会。まとめてくれたのがライターの那須千里さん。進行・構成がすごく面白かったんですけど。それぞれのゼロ年代とか答えてて、面白かったんです。

(長久允)そうだ、家になくて。

(森直人)ここ、長久さん。なんて書いてあります?

(長久允)え、なんだろう、これ。

(森直人)ちょっとつぶれてる…

(長久允)それぞれのゼロ年代、「ダメ日本語レゲエとGReeeeN」。好きなものじゃないものを書いてる(笑)あと、身体って書いてあります。

(森直人)あー。

(長久允)身体が。身体的なものへの興味が。概念より身体に変わっていくのがゼロ年代だな、という感じが当時していたんです。

(森直人)なるほどね。

(長久允)はい。

(森直人)この時から鋭い答えがね。僕は「インターネット格差社会」って、普通のこと言ってる(笑)当時って、電通入ってたんですか?

(長久允)入ってましたね。僕が専門学校のバンタンの卒業制作で作っていた映画があって、それがどこの賞にも引っかからなくて…何の上映もしていないものが2、3年埋まっていたんですよね。その時に、他のお二方の作品と合わせて3つでなんとか上映できないかっていうのを色んな劇場さんにお願いしていた時に、アップリンクさんが「いいよ」って言ってくださったので。僕が就職した後から2、3年経っている状態で…

(森直人)じゃあ『FROG』はバンタンの時に撮ってた?

(長久允)そうですね。

(森直人)そういう話をした覚えがありますね。

(長久允)学生映画として。

(森直人)そう。電通ってね、言っちゃったけど(笑)

(長久允)大丈夫です、大丈夫です(笑)

(森直人)この座談会でも語られているんですけど、大学が青学で、大学に通いつつバンタンデザイン研究所で映像のことを勉強されて。大学を卒業してるっていうのはここにも書いてあるんですけど、就職先は書いていないんですけど。(パンフレットを見ながら)ここにね、「漫画で言うと、しりあがり寿さんが好きです。あとフランス文学科出身なので、ポリス・ヴィアン『日々の泡』が好き」…

(長久允)あ、言ってましたね。

(森直人)そうそうそうそう。この頃から、他のお二方に比べて、自分のルーツをはっきり語られる方だなという印象があって。今回、そういうところも延長しているのかなって。

(長久允)そうですね。自分のルーツを掘り起こして、その根っこから種を全部植えまくるっていう作り方はしてると思います。一貫して。はい。

(森直人)この『ゼロ年代全景』で発表した『FROG』という作品は、その後は上映なり配信なりで見られる機会っていうのはあったんですか?

(長久允)配信とかはしてなくて。ゲオさんとかTSUTAYAさんでレンタルには置いてあって、全然借りられないからセールされていると思うんですけど(笑)

(森直人)今回の『ウィーアーリトルゾンビーズ』で、『FROG』のことをすごい思い出してるんですよ。だから、見られる環境にあった方が作家研究としては絶対いいなと思ったんですよ。ご本人の中では、幻となりかけている秀作と『ウィーアーリトルゾンビーズ』ってやっぱ繋がっているんですか?

(長久允)うーん、そうですね。表現技法は変わったなと思うんですけど、伝えたいものとか、情報量の多さ、この多さがちょうどいいんじゃないかっていう多さに関しては、一緒だなって思いながらつくっていたり。人に対しての諦め、社会や人に対しての距離のとり方とかは、やっぱり同じ人間がつくっているので、15年前ぐらいの作品ですけど変わってないなと思っています。意識はしてなかったんですけど…

(森直人)そうですか。作家の全てがデビュー作・処女作にあるという言い方はよくしますけど。『FROG』をちょっと説明しますと、もうしばらく雨が降っていないという世界で始まる。「世界が終わるぞ」っていう絶望的な噂が流れていて、そんな世界の中の色んな人間群像を描く、という内容ですよね。『ウィーアーリトルゾンビーズ』も「雨」っていうモチーフが特に後半にキーポイントとして出てくる。なんかね、『FROG』を反転させたような感じに見えたんですけど…

(長久允)そうですね。それこそルーツで、中学校からキリスト教の学校に通っていたんですよ。中高大と。なので、物語とか、人の救う・救われるみたいなものでがあって。ノアの箱舟で雨が降って世界が終わる話であったりとか、その引用のモチーフとかがすごい好きなんで。『FROG』も『ウィーアーリトルゾンビーズ』も聖書を頭に描きながら書いた。

(森直人)欧米での反応で、そういう観点からのご意見とか出たりしました?

(長久允)あ、しますね。

(森直人)やっぱりありますか。それは一つすごく重要なんじゃないかなと思って。「雨が降る」っていうその光景が、長久さんの世界観の、世界の始まりだか終わりだかの部分に必ず出てくるっていうのがね。

(長久允)そうですね。

(長久允)なんかね、うまく使っちゃって…

(森直人)面白いですよね。今回思ったのが、両親を突然なくした中学生4人の話なんですけれども、火葬場のすごくブラックなシーンから始まる。「デフォルトで孤独」って言葉が出てきたり…そっか、やっぱり長久さんって、「スタートラインが絶望から始めるストーリーテラー」なんだっていうのをまず思って。そこで『FROG』をパッと思い出して。

(長久允)本当に学生の時から、「幸福」っていうものが。「ハッピーエンドな話を描きなさい」と学校で教わるんですけど…「うるせぇ!」って思ってて(笑)僕は「0が100になる幸福よりも-100が-99になるもの」とか、その「+1の幸福」をちゃんと描きたいなっていう想いが昔からあって。かつ「-100」も客観評価であって、当人にしたらそれはフラットでゼロなんじゃないかという想いが強くあるので。客観的に見て絶望的な状態っていうものを描きたいなという想いはありますよね。

(森直人)『そうして私たちはプールに金魚を、』もそうですよね?

(長久允)そうですね!「ここから出られない」っていう想いがある人たちを描く。

(森直人)『そうして私たちはプールに金魚を、』の人たちも、埼玉県狭山市の中学生女子4人。

(長久允)はい。

(森直人)最初は「ここから出られない私達」って感じなんですけど、段々ね。じわーっと温かい感動に変わってくる。だから、ブラック・シニカルみたいなところから始めて、すごく全うなものを描かれている、あるいは目指されているんじゃないかな。すごくヒューマンな感じがしますけどね。

(長久允)嬉しいです。

(森直人)うん。

(長久允)学生の頃と変わったのは、やっぱり子ども生んだりとか。僕は生んでないけど(笑)

(森直人)そっかそっか。それね。プレスのインタビューで拝読しまして…

(長久允)すごく優しい視点というか。全ての人間に良い悪いもなくて、みんながどうなったら幸せに感じられるのか、そのための映画はどういうものなのかみたいなものを純粋につくりたいという想いがすごく強くあるので、基本的には人間に優しいですよね。

(森直人)そう。

(長久允)うーん。

(森直人)いや、本当そうなんですよ。関係ないですけど、『ゼロ年代全景』座談会の打ち上げでも、好青年ぶりが。年下だったこともあって、甲斐甲斐しくやっていた姿をよく覚えています。

(長久允)はい。

(森直人)優しい方だなと思ってたんですけど…なんでベースがこんなに暗いんでしょうね?(笑)

(長久允)うーん、なんでですかね(笑)学生時代のカーストがすごく下の方にあったり、カーストから外れているところにいて。キラキラしたものとかに本能的な拒否感があるのかもしれないですね。ポカリのCMとかのキラキラしたダンスとかを見ると、チャンネル変えちゃう。

(森直人)まじすか!?CMプランナーなのに(笑)

(長久允)普段生活をしていてハッピーな人は、そのままハッピーでいいので、日の当たらない、なんか悩んだり辛いことを思っている人のために、映像とかはあるべきだと思っていて。CMつくっている時も、CMもそうあるべきだと思っていたので。なかなかうまくいかないですけどね…

(森直人)面白い話ですよね。今回の企画の経緯ってところをちょっとお聞きしたいんですけど…もともと『そうして私たちはプールに金魚を、』自体を長編で撮りたかったっていうのもあったみたいですね?

(長久允)そうでもないですね。「長編でどうですか?」というお話いただいたんですけど、あれは30分でぎゅっと完結できた物語だったので。

(森直人)短編を伸ばすってことじゃなくて、『そうして私たちはプールに金魚を、』自体を最初から長編で撮ろうと思っていた。

(長久允)そうそうそう。一番最初ですよね?一番最初は長編で。「あ、これは長い映画になる」と思ってシナリオを書いていたんですけど…なんか色々あって、頓挫して。短編をつくれる企画のコンペがあったので、短編でもいいかもしれないなと思って。それは結構お金もついたので、『そうして私たちはプールに金魚を、』がつくれて。それでもう消化できたというか…

(森直人)お聞きしたかったのは、最初に長編分の企画として用意していたものを、27分の短編に変えていく中で、ご自身の中で方法論を変えたりはしましたか?

(長久允)全く変えましたね。
(森直人)あ、そうなんですか。

(長久允)長編で書いていたシナリオは一回捨てて、その物語の構築とかじゃなくて、概念的に自由に構成できないかなと思って、短編は組みましたね。

(森直人)うーん。

(長久允)(企画から映画化まで)数年経っているので、僕の「こういう映画をつくりたい!」というマインドセットもすごく変わっていて、「インスパイアを受けたシーンを断片的に羅列していくだけで映画になるんじゃないか」って気付いた後だったので、短編はああいうつくりに変わったかなっていうのはありますね。

(森直人)『そうして私たちはプールに金魚を、』もすごくストーリーテリング的な映画に見えたんですよ。だから、絶妙なバランスだと思うんですけど。映像の洪水的なものでもありつつ、ちゃんと物語としての魅力がグッと27分で。それこそ長編分の満足感として伝わってくる感じがあったので、「どうやってつくったのかな?」と思っていて。なんかご自身の中で、そういうサイズ感とかフォーマットの意識っていうのは…長編は今回初めてだと思うんですけど、どういうふうに意識したのかなと思ったんですよね。

(長久允)そうですね。『そうして私たちはプールに金魚を、』に関しては、伝えたいメッセージの軸が僕の中であって、僕も「会社辞めたいな」っていう想いがあって、でも辞められない。それってなんか(『そうして私たちはプールに金魚を、』の主人公が)狭山から出たい・出れないっていうのと同じ感じで。

(森直人)当時、辞めたかったんですか?(笑)

(長久允)辞めたかったですね。仕事が辛くて。広告が向いてないなっていう想いがやっぱりあって。その想いがあって、そのまま彼女たちと共通するものとしてあったので、想いの軸はつくれて。それは起承転結によるものじゃないということもあったので、そこの軸から描いていって。かつ、(僕の作品は)ナレーションが多いんですけど、僕が言葉が好きっていうこともありつつ、ナレーションを多用することで、かつての邦画に多かった「空気感とか間で伝えさせていただく」ということではなくて、感情なんてものは僕ははっきり言ってしまって良いと思っていて。その上で言葉が楽しければ、エンターテインメントとして成立してると思うので。ナレーションとして全部言ってしまうことで、サイズ感をちゃんと縮めても成立できるようになっているのではないかなと思って。

(森直人)これはぜひお聞きしたかったんですけど、長久さんのナレーション素晴らしいですよね。

(長久允)ありがとうございます。

(森直人)単なる説明とはまったく違う。例えばですけど、トリュフォーの『恋のエチュード』(1971年)で、原作の文学的な文章をそのまま映像に重ねたりする、そこにちょっと音楽的な快楽もある。同時に、今回は「エモーション」「感情」というキーワードがありますけども、すごく「エモーション」を伝えるものになっている、というのに近い。

(長久允)あー、嬉しい、ありがとうございます。

(森直人)やっぱそういうのは意識するんですか?

(長久允)しますね。説明するだけの言葉では意味がないと思っていて。それは僕がせっかちだったりする性格からかもしれないんですけど、映画を観ていて1秒も無駄な時間を味わいたくないって想いが視聴者としてあるので。より面白い表現で説明をしたいっていう想いがあったり、「おもしろい」の幅として「ポエティック」だったり「ポリティカル」だったり、意図みたいなのを伝えたくて。それこそトリュフォーとかゴダールだったり の言葉の使い方がすごく好きで、かつ、言葉を音としてこちらに投げ掛けていくような編集がすごく効果的だなと、彼らの映画を見て感じていたので。そのエッセンスは吸収して出そう、使おうと思ってやっています。

(森直人)実際影響は受けられたんですか?

(長久允)受けてますね。ゴダールの音楽のぶつ切りな感じとか大好きなんですよ。

(森直人)なるほど。会社にはまだいるんでしょ?(笑)

(長久允)いますいます(笑)

(森直人)ははは。『そうして私たちはプールに金魚を、』は、会社でちょっと煮詰まっている時に「じゃあ映画撮るか」ってなったんですか?久々に。

(長久允)そうですね。広告は合わないなと思いながらも、やらなきゃいけないので。もちろんうちの会社の人はみんな、僕のようなストレスを抱えてないんですけどね(笑)僕は特に抱えちゃってて。その時に、「NATURE DANGER GANG」っていう狂ったバンドがあるんですけど。

(森直人)あー!はいはい。2年前くらいに解散しちゃった。動画を見たことあります。

(長久允)すごく狂ったバンドで、下手くそなんですけど、たまたまそのライブを見て、「上手くなくても下手でもいいから、今この瞬間自分たちが存在しているためのエネルギーを発散しよう」みたいなことを言っているわけじゃないんですけど、そう感じさせるライブをしていて。それを本当に辛い時に見て、「自分が今生きていることをちゃんと残さなければ」ってことをすごく感じて。ちょうど、たまたまリバイバルで『青春の殺人者』(1976年)がやっていて、「あ、僕は映画だ!映画をやらなきゃいけないんだ!忘れてた!」と思って。

(森直人)なるほどね。『青春の殺人者』についてはここのインタビューでも語られていて、目黒シネマで見たっていう。また思い出したんですけど、(『ゼロ年代全景』の)座談会で言ってますけど、『FROG』の時に、大学の隣にあった映画館(渋谷のイメージフォーラム)で新藤兼人監督の『ふくろう』(2003年)をご覧になって、映画を作ろうと思ったと語られていて。インスパイアされるものが、これはNATURE DANGER GANGもそうなんですが、いちいち特濃(笑)えっらい濃いものにやられて、「俺も…」っていう感じになるんだなと思ったんですけど。

(長久允)そうですね、より作り手の意志の強い、「映画」っていうものとか表現の枠を拡張しようとしている心意気のあるものとか、実験性のあったり衝動性があるものに惹かれてしまう特性がありますね。

(森直人)新人、巨匠関係なくって感じですもんね。

(長久允)そうですね。

(森直人)『ふくろう』は東北の山奥で大竹しのぶさんと伊藤歩さんが親子なんですけど、母娘で売春をやっている。あれもね、ブラックなコメディ。『青春の殺人者』は長谷川和彦監督の第一作、ATG。原作は中上健次さんですけど、ベースは実際にあった事件で。両親殺しの事件ですけど、『そうして私たちはプールに金魚を、』も一応事件ベースですよね。今回、(『ウィーアーリトルゾンビーズ』に使用されている)ゴダイゴの『憩いのひととき』が『青春の殺人者』のエンディングで流れている曲ですよね。ゴダイゴの『新創世記』というファーストアルバムに入っている名曲なんですけど。それをさりげなく使われていたりとか。

(長久允)新録していただいて。

(森直人)あ、わざわざそうなんですか。さりげないですよね。

(長久允)やっぱり大事で。ちょっとネタバレだけど、火事のシーンで家が燃えてしまうところでかかるんですけど、『青春の殺人者』も家が燃えたりするし、両親との関係の話であったりとか、家の思い出、家族の思い出についての話だったりするので、すごくコア部分が同じだなと思って、拝借させていただきたいなと。

(森直人)新録で部分的な使い方、贅沢ですね。音楽についてもじっくりお伺いしたいんですけど、選曲も使い方も素晴らしいですね。やっぱりこだわられている部分ですか?

(長久允)そうですね。音楽が好きなので、シナリオを書く時点で、ここにはこの音楽をあてて、ここにはこの音楽をあてるというのを全部書いているんです。

(森直人)シナリオの時点で。だから意味的にも結構あてている。

(長久允)雰囲気を盛り上げるために後からここに入れようみたいなものはほぼ無くて、この台詞の裏ではこの意味を持ってこの音楽をあてるっていうのを全部明記して書いている。

(森直人)だからね、僕が何を言っても長久さんの手の上で転がれている状態(笑)全部わかってらっしゃるタイプの監督。『そうして私たちはプールに金魚を、』の『ヴァージン・ブルース』はさりげないけどウケましたね。確かに「ヴァージン・ブルース」だもんな、この女子中学生の映画と思って。『そうして私たちはプールに金魚を、』は自主映画という形で撮ったんですか?

(長久允)そうですね。「NEW CINEMA PROJECT」という企画のコンペで、「一位の人に500万円をくれます」というプロジェクトがあって、応募して一番を取れたので、十日間有休をいただいて撮影をした。500万円あるので、僕としては趣味だけど、スタッフの皆さんはお仕事として来てもらった。

(森直人)今回のスタッフの皆さんも、割と『そうして私たちはプールに金魚を、』からの延長戦という感じがしますよね。

(長久允)メインスタッフ、撮影、照明、衣装、ヘアメイク、美術、音の人たちは『そうして私たちはプールに金魚を、』と一緒。僕の映画の作り方は、普通の映画とちょっと違うんですよね。『そうして私たちはプールに金魚を、』で出来上がったものが、僕がやりたかったことの100点満点だったので、そのスタッフが一番早いしクオリティが高い。バンドがデビューしても別にメンバー変わらないじゃないですか。その気持ちでそのままハリウッド行けたら面白いなと思っています。

(森直人)なるほどね。『そうして私たちはプールに金魚を、』の手応えというものが、受賞も含めて大きかったということですよね。映画ナタリーの池松壮亮さんとの対談を読んで、『ウィーアーリトルゾンビーズ』も実は実際の事件がベースということで。ロシアのコミュニティがあって云々。その事件が基なんですか?

(長久允)ストーリーの基では無いんですけど、この物語を書こうとした動機が、ちょうど2年前にロシアで「青い鯨」っていうカルト集団がいて、ティーンエイジャーの子たちにSNSゲームみたいなもので洗脳をしちゃって、毎日毎日色んな指令を送って追い詰めて、自殺させちゃうっていう事件があって。十何人もの子たちが自殺してしまっていて、日本には入って来なかったんですけど、海外で若い子たちが自殺しちゃってて、そのニュースがすごくショックで。ニュースを見た時に、ティーンエイジャーの子たち、ローティーンの子たちが絶望的な状態にあっても、絶望せずにユーモアとかニヒリズムとかを持って生き延びて、サバイブする物語が書けないかなと思って。それがそういう子たちに機能したら嬉しいなと思って書き始めたのが最初です

(森直人)すごく面白いなと思うのが、インスパイアされるものは70年代の作品だったり、色んなものがあると思うんですけども、一方ですごく時代的なものですよね。今起こっている事件に長久さんが触発されるという部分って、『FROG』の時から、「ゼロ年代全景」というお題で、「ゼロ年代とは何か?」みたいなことを一番理論武装されていたのが長久さんという印象があった。「今、この世界ってどうなっているんだろう?」という視点がある。

(長久允)わざわざ社会を分析したいという想いは無いんですけど、センシティブかわかんないんですけど、ニュースを見て「これは本当はこうなんじゃないか?」とか「ここのの裏にはこういう想いがあるんじゃないか?」っていうのを考えてしまう性格。

(森直人)センサーが反応しちゃう。

(長久允)センサーが反応しちゃって、何か心苦しいなとかよく思っちゃう。

(森直人)世界というものを批評的に見つめていらっしゃる方だなと思うんですよね。中学からキルスト教系の学校に通われたり、『ゼロ年代全景』の座談会もそうなんですけど、その中で世界への懐疑的な眼差しみたいなものが生まれていったのかなという印象もあって。(『ゼロ年代全景』パンフレットの)この見出しも良くて、「世界を見つめる男と現実を生きる女」とか。やや引きつつ、でも主観が反応しつつの「世界を見つめる男」としての監督がいらっしゃるのかなと。

(長久允)当時も「群像劇を描きたい!」という想いは無いんですけど。自然と引き目の客観で描いてしまっていて、世界に対するフラットな眼差しを描きたいという想いはありますね。

(森直人)世界の縮図的な様相が、特に『FROG』は強いですよね。プレスのインタビューによると、『ウィーアーリトルゾンビーズ』つくる頃に二人目のお子さんが生まれた。『そうして私たちはプールに金魚を、』の時にはもうお一人目が?

(長久允)そうですね、いましたね。今もう7歳で。

(森直人)あ、うちと同じ(笑)男の子?女の子?

(長久允)女、女なんですよ。

(森直人)じゃあ、娘さんがいた時に女子中学生の話をつくったっていう。色んな想いが『そうして私たちはプールに金魚を、』にアウトプットとされているんですね。今回の主人公のヒカリくん(二宮慶多)が、長久さんご自身のメンタリティがすごく入っていると仰られていて、両親に対してアレですけど(笑)

(長久允)客観的に見たらそうかもしれないですけど、ヒカリ自身両親に対して恨みも無いし、それを適切な距離だと思っているという表現をしている。僕もそうなんですよね。両親が共働きで、小学生の頃とか朝起きて、自分でダイエットブラン食べて、学校行って帰って来てずっとゲームして、ラザニア食って『Mステ』見て、9時には寝るみたいな。それがデフォルトなので、寂しいって想いもないし、愛が足りないとも思ってないし、むしろ愛を感じながら生きていたんですよね。今でもそれは適切な距離感だと思っているので、それが愛だと思ってるんですけど。

(森直人)お子さんにはどういう距離感になっているんですか?

(長久允)それとは違う距離感で面白く育ててみようと思って。へらへらやっているんですけど(笑)

(森直人)育休取られたりとか、子育てもちゃんと熱心にされている。この辺もすごく聞きたいんですけど、たくさん聞かなきゃいけないことあるので次に行きますけど。さっきご自身で仰ってましたけど、『FROG』の時と、『そうして私たちはプールに金魚を、』『ウィーアーリトルゾンビーズ』で明確に変わったのは話法ですよね。すごく高速のストーリーテリングで、短いカットを物凄い密度で詰めていくという語り方。ワンカット毎のビジュアルの強度が物凄く高い。「PVみたい」、この批判はもうそろそろいいんじゃないかとマジで思うんですけど…広告業界で映像をつくり始めたことは大きいですか?

(長久允)大きいですね。広告は短い中で、例えば15秒とかを設計するにあたって「これぐらいの情報を詰めても人は理解できる」みたいな検証を1,000本ぐらいやったので。大きかったのは、ずっとイオンさんの店頭ビデオを10年ぐらい担当していて、店頭ビデオって「人の興味の無いことを通るお客様に対してよりアテンションをつけてずっと見てもらうために何をするか?」っていうことを延々毎秒し続けなきゃいけなかったりする。お肉の焼き方とかこの牛は何を食べててみたいなことを、興味をそそるようにつくっていくトレーニングをしていて、それは表現筋トレとして相当役に立っていて、めちゃくちゃマッチョになる(笑)その時に「音が重要なんじゃないか」とか、「これぐらいストーリーとしてジャンプしていてもナレーションが繋がっていさえすれば、人は付いてきてくれるのではないか」とか、「音楽が繋げてくれれば感情は繋がっていくんじゃないか」っていう検証をたくさんさせてもらったんですよね。『FROG』の時は想いだけでつくっていて、かつ「評価されたい」という想いもあったんですよ。「映画ってこういう間でしょ?」とか。

(森直人)いわゆる「映画らしい映画」。

(長久允)「映画らしい映画」をカッコつけてつくっていたところがあって。十何年経って、映画をつくらない状態があった時に、カッコつけた・評価されたい映画よりも自分が最高だと思う表現で、自分が良ければ良いというものをつくった時に、カッコつけをやめて自分しかできない表現を模索した時に、『そうして私たちはプールに金魚を、』は、あの密度とあのペース配分で新しいものができるんじゃないかっていうことだけをトライしてつくれた。

(森直人)良い話ですね。「プロモーション的」という言葉を今のお話だけでガンガン反転されている。たしかに起点では「道行く人にどうアピールするか?」といった興味の惹き方は、ある種プロモーション的な手法なのかもしれないけど、結果的には作家の一番コアなものを叩き付けようとする時の手法になった、そこまで昇華された。

(長久允)そうですね。こちら側にメッセージさえあれば、表現はそれで良いんじゃないかと思えた

(森直人)『FROG』はたしかにいかにも自主映画っぽい。それの方がカッコつけていた、装っていたというのが面白い。情報量の詰め方という意味では、さらに、ある種効率良く、もっとギューッと入ってるやり方になりましたよね。

(長久允)そうですね。

(森直人)本領発揮というか。

(長久允)布団圧縮機でギューッと全部。「あ、もっと入る、まだいけるなぁ」みたいな。

(森直人)そう!だからマジで、それを聞いていったら5、6時間くらいかかると思うんですよ(笑)だからざっくりいきたいんですけど、8bitの、ゲーム調の映像・音楽のトーンにするアイデアっていうのはどこからなんですかね?

(長久允)僕はまだ映画作家として超プロ、憑依系じゃないので、自分の中の物語から切り出してしかつくれないって時に、小学校の頃にファミコン、スーファミを超やっていたっていうので、自然に物語の中に8bitを入れた。視点としてですね。それがありつつですけど、今のリアリティのあるゲームより8bitの方が、より見てる人の想像力の余地があるんじゃないかと思っていて。かつその8bitで表現されているものって、こちらが想像しないといけなかったりする。

(森直人)なるほど。

(長久允)でも実際はその奥行きに本当の人間が、8bitで描かれたマリオの奥に本当のマリオがいたりすることを想像しなければいけないじゃないですか。その構図っていうのが、大人が子供の心情をより想像しなきゃいけないっていうか。

(森直人)なるほど!

(長久允)大人にとって子供は8bitの心情に見えてるかもしれないが、本当には奥が、しっかりとした情景があるっていうことを感じれるなって思ったり。ゲームがそもそもより人生的だなということを思ったりしてたので、それが映画的でもあるなと思って。

(森直人)8bit=子ども、目からうろこですね。

(長久允)ありがとうございます。

(森直人)素晴らしい、メタファー。ちょっと未分化なものであるっていうことかもしれないですね。大人が捉えるには想像力がいるんだよっていう。

(長久允)ただそこには確かに生きてるものがあるというか。

(森直人)面白い。でも世代的に言うと、ファミコン、スーファミって…(長久監督は)もっと若くないですか? 

(長久允)共働きが早かったんで、保育園の頃からずっとファミコンしてて。

(森直人)そうか!もうガチもガチなんですね。

(長久允)そうなんですよ。保育園児なのに、ずっと「エキサイトバイク」とかやってたんですよ。

(森直人)なるほどね。だからもう最初から知ってる。

(長久允)最初から知ってるんですね。

(森直人)そうか、それでちょっと世代の混乱が(笑)

(長久允)超早くから到達してるというか(笑)

(森直人)音楽絡みでお聞きしたかったのが、『ウィーアーリトルゾンビーズ』の楽曲はLOVE SPREAD。ブルックリンのユニットなんですけど、昨年Ryotaさんが急逝されて…前から知り合いだったんですか?

(長久允)いや、知り合いじゃなくて。元々YouTubeで見たりとか、楽曲が好きで聞いたりとかしてて、ただのファンで。この映画のシナリオを書く時に、LOVE SPREAD好きなので聴きながら書いていて、チップチューン的なものを使いながらガレージパンクをやるみたいなものなので、本当にインスパイアされながらシナリオを書いたんです。実際音楽をつくるってなった時に、やっぱりLOVE SPREADから得たもので書いているので、本物に頼むのが一番クオリティが高いんじゃないかと思って。知り合いじゃないのに、TwitterのDMで「初めまして!」って(笑)「好き!ファンです!」って言って。「映画をつくっています。やってもらえませんか!」って言って、あっちは「誰だよ」って感じだと思う。映画もつくってなかったんで。

(森直人)でも、『そうして私たちはプールに金魚を、』はもう発表していた?

(長久允)そうですね、一応あったんで、「気にいってもらえたらやりませんか?」って。

(森直人)あれ見せられたら誰だってやりますってなると思う。

(長久允)ずっとSkypeでやり取りしながらつくっていったんです。

(森直人)お会いはせずにつくった?

(長久允)そうですね。つくってる時はお会いせずに。つくり終わった後、来日されてライブした時に普通に客として行くみたいな(笑)「う~!」って暴れ回るみたいな。

(森直人)LOVE SPREADはゲームコントローラーとか使ったライブしてたり、言わば「同じコンセプトである」っていう言い方できますもんね。トーン&マナーみたいな話で言うと。細かい情報量で言うと、カフカの『城』とか、佐野史郎さんがリトルゾンビーズの音楽を聴いて、The Shaggsみたいって。

(長久允)細かいところ拾ってますね。

(森直人)The Shaggsって、60年代末に出てきたアメリカの伝説の姉妹バンドで、下手だけどクセになるっていうね。リトスゾンビーズもアウトサイダーミュージックっていう感じですよね。さっき仰った、NATURE DANGER GANGも。そういうのに惹かれるんだなと。

(長久允)そうなんですよね。やっぱり僕は技術的にクオリティの高いものよりも、技術的に低いけどそれを打ち出さざるを得ないっていう衝動の大きさにドキドキしてしまうので。The Shaggsってやっぱりそういうものだと思うし、NATURE DANGER GANGももちろんそれだし。その衝動性、やらざるを得なかったことの方が大事だなと思っているので、引き合いに出させてもらってますね。

(森直人)でも不思議なのが、そういうものにインスパイアされる長久さんご自身は超スキル派だと思うんですよ。これって面白いですよね。なんか転倒が自分の中にある?でも変換されてますよね、ちゃんと。

(長久允)僕自身は自分自身を超スキル派だとは思っていなくて。もっとスキル派だとすると、「すべてを綺麗な画作りにした方がいいんじゃないか」ってやってしまうところを、ここはiPhoneの画で良いとか、ここは普通の映画に比べて超ノイズが多かったり、音の切れ目「ブツッ」っていうのを残したりとかしてるんですよ。

(森直人)でもわざとやってるでしょ?(笑)

(長久允)もちろんわざとやってる(笑)

(森直人)「できるけどやらない」みたいなのが…(笑)

(長久允)例えはキツイですけど、ピカソ上手い絵描けるじゃないですか(笑)

(森直人)ほら、でたよ(笑)

(長久允)僕をピカソだって言ってるわけじゃなくて(笑)そういう子供が描いた絵の方が尊いし愛しいと思っているので、そちらに表現を近付けたいという想いです。

(森直人)8bit的な、子ども的な、アウトサイダー的な、あるいは『ふくろう』『青春の殺人者』的な、ゴロっとしたコアな魂を、すごく頭脳派で技術派の長久監督がやってる映画っていう公式を書くと、僕の中で腑に落ちるものがたくさんあるんですよね。

(長久允)それはなんか…ずっとコンプレックスで、小器用に生きていて。中学生の時から比較的不器用じゃなく、テストの点もそこそこいいし、楽器もそこそこ上手かったし。

(森直人)サックスやってましたよね。

(長久允)吹奏楽部でジャズをやってたんです。「小器用にそこそこなんでも上手くなる」っていうのがコンプレックスなんですけど、サックスにおいてもそうで、「これ以上超えられない」っていうコンプレックスがあって。器用さなんてものはダサいし、ある程度の線は超えられないなってことがすごくあって。大嫌いなんですよ、器用さというものが。意味もないと思っていて。「器用さよりも不器用な衝動性みたいなものが大事だ」っていうのを小器用な自分が思ってやっている。だから、そういう意味で小器用なんですよね。でも、そこに対してコンプレックスを持って否定しながらつくっているというのが、今ですよね。

(森直人)引き裂かれてるジレンマみたいなものを抱えながらの表現だから、すごく強度があるような気がします。そこに無頓着ではないですよね。すごく戦ってらっしゃると思う。

(長久允)突出してそこと戦ってますね。

(森直人)面白いなぁ。パンフレットのイントロダクションの中に、映画の記憶ということで、インスパイアされた作品・監督の名前を列記されているところがあるんですけども。触れたかったのは、工藤夕貴さんが出てるということで『台風クラブ』(1985年)。中学生映画としては確かに『台風クラブ』の末裔ですよね、『そうして私たちはプールに金魚を、』も『ウィーアーリトルゾンビーズ』も。します。これは明確に意識して?

(長久允)結構影響されましたね。言語化できない「謎のダンス」とか、そういうものの強さを感じるんですよね。ロジックを超えたものとか。

(森直人)本当にロジカルな人なのにね、ロジックを超えたものに惹かれるんですね。これポイントだと思いますよ。今後、長久さんのことを研究していく皆さん。

(長久允)『台風クラブ』で言うと、工藤さんの役は「大田理恵」という役名なんですが、旧姓は「高見」。『台風クラブ』の理恵がパラレルにその後生きて、もしかしたらアメリカなどに行き、永瀬さんと旅をしたかもしれないんですけど(笑)この理恵がここにいるとしたら、どういう佇まいなのかとかを考えながら書いたりしましたね。

(森直人)列記している監督・作品で「あれ、これ出てない」と思ったのがあって、それを最後にお聞きしたかったんですよ。大林宣彦監督。自主映画、広告業界、商業映画の偉大なる先駆者・ゴッドファーザー。「PVみたい」っていう批判、「じゃあ大林宣彦どうすんねん!」っていう。大林監督の末裔という言い方もできると思うんですよね。

(長久允)相当嬉しいですね。海外の方も「It's 『HOUSE』!」って言うんですよね。大林さんも技術があるのに、「合成は逆にこの荒い方が良い」ってやっていますよね。

(森直人)お話しして更に思ったんですよね。大林さんも超スキル派なのに、あえてチープな方に触れたり、ご本人が一番大切にしてらっしゃるのはたぶん「エモーション」とか「コアな魂の衝動」みたいな部分、「ソウル」ですよね。

(長久允)『花筐/HANAGATAMI』(2017年)は「どうなってんの!?これ」っていう映画ですよね。10歳が撮ったのかと思いました。

(森直人)『転校生 -さよなら あなた-』(2007年)が最後の転換点だと思うんですけど、アウトサイダーアートに近くなってますよね。あれって理想じゃないですか?

(長久允)理想です。ああなれたら良いなと思います。『北京的西瓜』(1989年)も好きなんですよ。ちょっとメタ入れるみたいな。

(森直人)『北京的西瓜』とか見たら、「この人どんだけ上手いねん」っていうのがわかるじゃないですか。ロジカルだし。

(長久允)その後、「もっとアウトサイダーでもうええんじゃ!」ってやっている、「映画とはこういうものでいいんじゃないか」ってやっているスタンスが好き。かつ、やっぱり『HOUSE ハウス』(1977年)が好きなんですよ。色のバランスと、現実と想像力との境界を無くしていくバランスであったりとか、それこそゴダイゴを一発目で使っている。

(森直人)『HOUSE ハウス』はもう言いたくないっていうぐらい近いか。21世紀の『HOUSE ハウス』ですよ。

(長久允)それは嬉しいですね。

(森直人)最後に…「今後」ってすごく聞かれていると思うので、「今後」と今の日本映画ってどうご覧になっているのか?1984年生まれ、この番組で言うと三宅唱監督とかも84年組なんですけども。全然違う才能なんだけど面白い人が出てきている。どんな感じですか?長久さんから見て。

(長久允)ここ2年ぐらい、「あれ?面白くなってきてるな」という感じがしていて。『カメラを止めるな!』(2017年)もそうだし、例えば『岬の兄妹』(2018年)とか。三宅さんの『ワイルドツアー』(2019年)とかも面白い。エネルギッシュで拡張映画。「今一度、映画の枠に対して拡張しよう」っていう想いの方々がいっぱいいるなと思っていて、すごく嬉しい。皆さんと話したことないので、色々喋ってみたいなと思っている。「なぜ拡張しているのか?」というと、商業映画のメインがキツいからっていうのは皆さん共通してあるのかなと思っていて。規定の起承転結的な、最大公約数的な感動みたいなものへの違和感はあるので。ビジネスとしては良いですけどね。そこに対しての何か答えができないかなっていう想いはある。

(森直人)『ウィーアーリトルゾンビーズ』はすごく実験的だしアバンギャルドなテンションではあるわけですけど、日活さんの商業映画でもあるっていうのはすごく良いですよね。「これができるんだ!」っていうのは驚きました。

(長久允)ギリギリ何とか(笑)皆さんにご納得いただいてやっています。

(森直人)ギリギリっていうのは重要ですよね。ギリギリを攻めていかないと拡張していかないってことだと思います。

(長久允)シーンの多さとか、なかなか普通じゃできないアングルだったり、人の多さだったりするとことが作家性だったりするので、やっぱりお金がかかるんですよ。自主みたいな形だとできなくて。なので本当にヒットしてほしいんですよね。また次もそれなりのお金で…じゃないとつくれないので。

(森直人)海外配給は?

(長久允)海外配給もいくつか決まっていますね。各国ヨーロッパとかアジアとかが決まっていて。

(森直人)世界で稼いでほしいなと思います。そろそろですかね?

(長久允)永遠に話しちゃいますね(笑)

(森直人)告知などあれば。

(長久允)映画をぜひ見てください。伝えたいことが多すぎて、映画に入らなかったことを小説版で書いていますので。小説も読んでいただけたら嬉しいです。

(森直人)結構違うんですか?

(長久允)例えば、酔っ払いの「タコの知能は3歳児」のおじさんのまた別の話が書いてあったり。全然関係無い、葬式を見ている「隣に住んでいるキャバ嬢」の話が書いてあったりとか、色んな話が。面白いと思います。

(森直人)長々お話しさせていただきました。番組を楽しんでいただけた方は、#活弁シネマ倶楽部、#活弁で投稿をお願い致します!活弁シネマ倶楽部のTwitterアカウントもありますので、ぜひフォローください。それでは今回はここまでです。非常に楽しかったです。ありがとうございました。長久監督でした。

(長久允)ありがとうございました。

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