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【エッセイ】生きる意味

 昨日のこと。わたしはTwitter(X)でこんなことをつぶやいた。
「魂にはレベルがあるらしい。現世はそのレベル上げの修行の場、らしい。で、レベルが上がるとどうなるか考えたら、それは『多くの人を幸せに出来ること』だと行き着いた。だから、生きる意味とは、結局のところ『自分以外の誰かを幸せにすること』なのだと思う」

 と、お気づきの方もいらっしゃると思うが、これは仏教の考え方だ。
「輪廻転生」
 命あるものはみな転生(生まれ変わり)を輪廻(繰り返し)する。
 それは、人間だけではなくて、動物など、命あるものはみな、そうであるようだ。

 わたしはアニメが好きなのでよく見るのだが、一昔前「転生もの」が流行った。(いまでもその流れはある)
 よくあるパターンが、現世ではダメダメ人間だった主人公が、死んで、異世界へと転生する。そこでは何か特殊能力のようなものを持っていて、そこで無双する。というものだ。

 わたしはこの手の物語が好きではない。特に無双するという点が嫌いで、結局のところそれって特殊能力を得たからうまくいっているのであって、何も力のない現世ではまったく約に立たない人間を意味し、それは見る人を「異世界」へと転生することを誘い、悪く言えば、現世での「自殺」を促し、助長させる。と、わたしは思うのだ。

 それよりも、現世で奮闘する物語のほうがいいような気がする。
 どうだろうか?

 転生ものに否定的な意見だけど、例外もあって、例えば『無職転生』や『Re:ゼロから始める異世界生活』なんかは物語としてとてもよかった。

 2つの物語の共通点は、現世を反省している点であった。
「どうしてオレは前世であんなにクズだったのだろう」と。

 2つとも、転生をしたことで特殊能力はある。その特殊能力を使って転生先で奮闘するという図式はよくある転生ものと一緒なのだが、優れている点は転生先でも悩み、苦しんでいる姿だった。

 あたりまえだけど、フィクションだ。
 彼らは(主人公)転生先で得た心を持っていれば、おそらく現世にもどってもうまく生きていけるだろうと、わたしは思った。

 ところであなたは現世に満足していますか?

 わたしは、満足なんか全然していないし、うまくいっていないことのほうが多い。特殊能力もないし、ハーレムでもなんでもない。独身を貫いているし、履歴書に書くスキルなんて初級技術と「普通自動車第一種免許」しかない。
 でも、わたしは、この現世が好きだ。

 SNSでよく見かける「生きる意味」への問い。
 それは何も、SNSがあるからではなくて、SNSなんてなかった時代からずっと人間が持っている問いだ。
 たぶんきっとデカルトも夏目漱石も思っていただろう。
「生きる意味」「なぜ生まれてきたのか」そういうことを考えるのは、人間の本能なのかもしれない。

「生きる意味が見出せません」という悩みをよく聞く。青少年に多いのだが、それは中年になっても、あるいは老人になっても思うことだろう。

 わたしの中の答えは、冒頭にあるとおりだ。
「自分以外の誰かを幸せにすること」
 それが、答えだ。

 SNSを見ていて、現代の世の中は「我」が強くなったなという印象を受ける。
 おそらく「承認欲求」を満たしたいために、「もっとわたしをみてよ」と訴えているのだが、なんか、見苦しいなと思ったりする。

 わたし、わたし、わたし、わたし、わたし、わたし、わたしを、認めてよ。と。

 承認欲求の件ではブログか何かで書いたと思うのでここでは省きます。

 なんとなく、わたしが言いたいことは、「いったん『自分』から視点を変えてみたらどうだろうか」ということだ。

 それは、逆説的だが、結局のところあなたのためにもなる。
 ことわざで言えば「情は人のためならず」ということで、他者に対してかけた情はめぐりめぐって自分のところへ返ってくるのだ。

 これを脳科学的に説明することもできる。

 オキシトシン、というホルモンがある。
「幸せホルモン」とも呼ばれていて、1906年にヘンリー・ハレット・デール博士が発見したもので女性の妊娠、出産、授乳などに多く関わっている。
 オキシトシンが脳内で分泌されると、不安や心配などが緩和され、リラックスした状態になり、「幸せ」を感じられるという。
 そしてそれは、若い女性だけに現れるものではなく、老若男女みな、分泌されるのだ。

 そして、どうやら、「他者のために動く」と、人間はオキシトシンが分泌され、幸せを感じられるように出来ているらしい。

 それが、脳科学的に見た「情は人のためならず」という考え方だ。

 この、ことわざなり、脳科学的な視点が、仏教の考え方に通じる。

 輪廻とか転生とかはわたしはあまりどうでもよいのだが、この世の中で生きていく意味は、結局のところ自分以外の誰かを幸せにすることなのだ、という結論はぶれない。

 自分以外の誰かを幸せにすることで、最終的には「自分」も幸せと感じ取ることができる。

 これはある意味、「生きていくためのコツ」みたいなものである。

 人生、生きていれば辛い時もあれば、苦しい時もある。
 死にたいと思うこともあるし、自分の命の存在意義に疑問をもったり、自信を失ってしまうこともある。

 だけど、そんなな中でも、幸せに生きていくためには、「他者」が必要なのだ。

 個人的なことだけど、最近わたしはクラウドファンディングを立ち上げて、支援者様を募っている。
 他者の助けが必要で、奔走している。

 プロジェクトの目的は、「書籍を出版する」というものだ。

 プロジェクトを立ち上げた当初は、誰も支援者が現れなかったし、アクセス数も低かった。
 でも、目的を変えて、慈善事業としてプロジェクトを再構築すると、アクセス数も増えて、支援額も上がった。

 そして、わたし自身のモチベーションも変わったのだ。
 それまでは、「自分だけのため」だけのプロジェクトだった。そこではどうも自分のやっていることに対して自信が持てなかったし、まわりに「おすすめ」もできなかった。
 でも、その目的が、「自分以外の誰か」のためとなったとき、わたしのモチベーションは上がった。
 自分のやっていることに「意味がある」と、思えた。

 このプロジェクトを通して、わたしは「学んで」いるのだと思う。

 生きていくための理由。夢の叶え方、そういうものを、プロジェクトを通して学ばせてもらっている。

 なんだか話がそれてしまったが、そういうことである。

 自分以外の誰かを幸せにすること。

 それが、生きる意味であり、自分を、あなたを幸せにすることなのだ。

 もし、いま、生きていくことが辛くて、「生きづらい」と感じているのなら、少し立ち止まって周りを見てみるといい。

 たくさんの人達が、あなたを支えてくれているはずだ。

 その人達に恩返しするでもいい。その人達だけでなく、知らない誰かを幸福に導く、でもいい。もっと軽く言ったら、隣りにいる家族、友人、恋人を「笑わせて」あげるだけでもいい。

 それだけで、きっとあなたは「しあわせ」を感じられるはずだ。

 窮屈で、生きづらい世の中だけど、一緒に、この世界を生きていきましょう。

 読んでくれてありがとう。

 余談だけど、クラウドファンディングのプロジェクトを貼っておきます。

 よかったらページだけでも覗いてみてください。
 
 よろしくお願いします。

 

 

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