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3/24インド ゴウハティ 粉の残る町を去って

これだけ揺れればインド人だって吐くだろう。後部に座っていた現地民は運転中の窓から嘔吐した。
目的地まであと少しに迫ったころ、エンジンの調子が悪くなって雨が降り出すなかバンは動かなくなる。
「トラブルだらけだよ。」ただ一人英語の話せる運転手は、遠くに聞こえる蝉の鳴き声のようなしゃがれた声で苦笑いしながら呟いた。


3/13

本来なら今日も泊まって明日出発の予定だったが、もう充分パゴダも見て回ったし他にすることもないので午前中のうちにまたバスに乗ってマンダレーへ戻った。
マンダレーのバスターミナルにインド側の国境の町タムー行のバス会社があるかと思っていたら、バイタクの運転手が違うターミナルだと言う。
確かにマンダレーにも3つくらいターミナルがあるので彼の言う事を信じてみることにした。

20分ほどかけて違うターミナルへ着き、無事に翌日のタムー行のチケットを購入した。
今回も快適性を重視してしっかりとVIPバスで行くことに。
今日は運転手の彼がオススメのホテルのシングルルームに一泊1200円ほどで泊まった。


3/14

夕方発のバスであったため、昼過ぎまで近くを散歩した。
街中から少し歩いて川のあるほうへ向かうと市場があった。海は遠いので川で採れた魚たちなのだろう。
市場のにおいは少しきつかった。しかしそれも活気に溢れる市民や魚屋たちを見れば気にはならない。そんな力があった。

夕方、バスに乗り込むと隣の席には欧米人カップルが座った。
人目を憚らずイチャイチャしている彼らは馬鹿のように見えた。


3/15

17時間半バスに揺られ、朝の10時頃ようやくタムーへと着いた。
徒歩で川にかかる橋を渡る。この橋の向こうは遂にインドだ。世界の終着点、いや始発点か。
俺のパスポートにはインドビザとパキスタンビザが貼られている。
今の両国は非常に不安定な関係であるので、入国の際に何か文句をつけられたりするだろうかと少し不安ではあったが滞りなく入国出来た。

インド最初の町はモレー。ここからとりあえずインパールへと向かうことにする。
モレーに入って人々の顔は多少変わったが、まだまだミャンマーの国境ということもありモンゴロイド系の顔立ちも目立つ。
モレーでは一人たりとも客引きがいなかった。そうなると少し寂しい気持ちになる。
インパールへ向かうにはバスに乗るか乗り合いバンかという情報はあったのでそこら辺の警察官に話を聞く。

インパールね。。。あ、丁度あのバスだ!乗れ!
いやまだインドルピー持ってないんだよ。両替ってどこで出来る?
あそこの銀行だ。
ちなみに乗り合いバンでインパールはいくらくらい?
1,600円だな

銀行へ行くと出来ないと言われる。理由は分からない。しかし彼らが出来ないと言ったら出来ないのだ。俺が出来るわけないのだから。
なので階上のATMでお金を下ろす。一気に5万円くらいは下ろしたかったのだが最高引き出し金額が1.6万円だった。

その後、両替出来る場所を探して大きなバックパックを背負ったまま歩き回る。
しかし上手く見つけることは出来なかった。
疲れも出てきたし上手くいかないので今日はこの町に滞在しようか。
目星を付けていた宿は満室だった。彼らにインパールへ行きたいと伝えるとバンの運転手の知り合いがいるらしく彼のバンに乗ってインパールへ行くことにした。
料金は800円だった。
乗り合いなので4人乗りのバンに6人が乗ってバンは動き出した。運転手は器用に俺の跨いだシフトレバーを動かし山道を抜けていった。
途中で何度か検問がある。と言っても厳しいものでなく名前や行先を告げてパスポートナンバーを記録するだけだ。

運転手が途中で買ったパコラという一口大のおやつ感覚で食べられるかき揚げのようなものを一緒に食べながら、問題なく4時間程でインパールへと到着した。

一泊1200円ほどの部屋へ泊まる。二日目は部屋が無いから値段が倍近くなるというので明日この町を出よう。
今の時間は16時。急ぎ足でまずはSIMカードを購入する必要がある。携帯ショップへカードを売っているか聞いてみると売っていないという。
だが俺に任せろといった感じで店員は歩き出した。彼に付いて行くと隣のショップへ入っていった。
しかしなんだかこのショップでも取り扱ってなさそうだ。
彼は電話を始めた。5分後に誰か来るそうで、その人間が設定してくれるようだ。
鼻から5分で来るとは思っていなかったが20分は経過したので、まだかと急かすとまた隣のショップへ連れていかれた。
そこでは直ぐに設定をしてくれた。値段も、「1日1.4GB使えるデータSIM、30日間分」が680円と激安で驚いた。

いくつか旅行代理店を回るも、丁度いいバスのチケットがない。
またホテルへ戻って不愛想な受付にバスチケットの在処を聞くと、すぐ近くの代理店で取り扱っているという話だった。
そこへ行ってみるとバスで10時間で多少大きな町へ行けるチケットがあった。
代理店の彼女は、当然飛行機を勧めてきた。
「それでも陸路で行くんだ。」
「飛行機って退屈だものね。わかったわ。」
明日の朝、5時にこの代理店の前で集合して5時半に出発するようだ。

予約の際、電話番号が必要だと言われたがインドの番号を持っていない。
「でもそれだと明日の朝あなたと連絡とれないわよね?」
「そうだけど、確実に来るから。絶対に。緑のバックパックの日本人って運転手にも伝えておいてよ。」
彼女は呆れながらも承諾してくれた。少しシニカルな笑顔に赤いカーディガンがよく似合う女性だった。


3/16

翌日4時45分頃にホテルを出ようとすると、シャッターが閉まっていた。開かない。
南京錠が内側からかかっていたのでホテルの中にスタッフがいる。
探し回るも見つからないし他の出口も閉まっている。2階の窓から下を覗くもさすがに高すぎて飛び降りるのは無理だ。

5時を過ぎ、もう駄目だと諦め部屋に戻る。前日に4時半にチェックアウトすると伝えていたのに。インドの洗礼を受ける。
絶対にチケット代を返金させてもらうぞ意気込んでいると階下で物音がした。
時刻は5時半。
すぐに荷物を抱えて階段を降りる。スタッフが掃除をしていた。
「早く開けてくれ!」
幸い代理店は歩いて1分程の距離しかなかったので思い切り走るとバンは動き出したところで、間一髪乗せてくれた。

そこからの10時間が地獄だった。

狭い車内で隣のおじさんと足をピッタリ合わせながらとんでもない悪路を行く。
揺れも激しく運転中に窓から吐く者もいた。
意外と俺は何ともなかった。

やっと、やっとのことで目的地まであと少しという場所まで来た。
しかし往々にしてアクシデントはこういう時に起こるもので、エンジンの具合が悪くバンは動かなくなった。
少し雨も降ってきてもう本当に気持ちがやられかけた。そんな時にローカルバスが通りかかり、運転手以外の乗客全員がバスに乗り換えた。
バスに乗ってからも想像以上に時間がかかって辛い思いをしたが最終的になんとかディマプールという町の駅へと到着した。
インド北東部の田舎町にドミトリールームなど無い。今日もシングルルームへ泊まる。


3/17

町は小さく、見るものなんて何もなかった。
若い女性もあまり外で見かけなかった。治安が良くないのだろうか。
日曜日の今日は店という店が閉まっている。薬局だけは何故か元気に営業中であった。

まずバラナシ行の列車のチケットを求めて駅へ行く。
ここで合ってるのだろうか、分からないがチケットと書かれた窓口の列に並ぶ。
しかし次から次へとインド人達は順番を無視して割り込んできて真面目に並ぶのが阿呆らしくなってくる。
そもそも窓口に職員が来ないので人も溜まっていく一方なのだ。

今日も旅行代理店へ行ったほうが楽だな。手間を金で買おう。
そう思って外へ出て代理店を求めて町を歩き回るもやはり日曜日なのでひとつも開いている所がない。
仕方なく駅へ戻って窓口で話を聞くと、ここからバラナシへの直行はなさそうで一度グワティという町を経由しなければならなそう。
俺のリスニング力と彼らのインド訛りが悪いほうに作用して理解するのになかなか時間がかかった。

そしてチケット売り場はまた別の場所だと言う。彼の指さす方向へ向かう。
外へ出て左へ曲がって真っ直ぐ・・・
それらしいものはなく、半べそをかいて宿に戻る。スタッフが言うにはやはり売り場は別の所にあるようだ。その辺の人に聞けば教えてくれるよとのこと。
時間は既に昼を過ぎていたので飯を食う。と言ってもレストラン等も全て閉まっているのでホテルの食事をオーダーした。美味しいチキンカレーだった。
そのあとでまた駅へ行って警備員に場所を聞くとしっかりと場所を教えてくれた。
これといった特徴もなければ看板もない四角い建物が空き地の奥にひっそりと佇んでいた。

小さな町の小さなチケット売り場はもちろん英語が下手な旅行者に厳しい。
なんとか購入の段になって、携帯電話の番号を教えろという。
ただのデータSIMなので番号はないと言うと、それでどうやって旅してるっていうんだパスポートを見せろ。
となってパスポートナンバーとビザナンバーだけ抑えて購入が出来た。
大体何がダメで何が良いか分かってきたような気がする。


3/18

列車は10分程遅れで出発した。5時間ほどの旅は、朝食・昼食ともに美味しくなんと20分ほど早くグワティ駅へ到着した。
インドの列車は意外と時間通りだ。
宿は既にネットで予約済だった。駅を出るとリキシャやホテルの客引きがいる。
彼らは少しずつ俺の想像していたインド人に近づいてきていた。呼び込みの際の決まり文句は大声で早口。腕を掴んできたりもする。
一人の客引きが少ししつこかったので半ギレでNOと言ったらSORRYと引き上げていった。
少し言い過ぎたかな。

宿はWifiも抜群に早いしベッドは大きいし綺麗だしとても良い所だった。
少しの休憩の後、チケットカウンターへ向かうと凄い行列だったので明日に持ち越し。


3/19

昼過ぎ、まずはチケットカウンターへ向かう。
ここではないと言われる。なんとなく分かっていはいたが。
そしてなんとか駅の反対側のまた別の建物で買える場所を見つけた。

そこでもインド人は列を守らない。これが一番インドの嫌な所だ。
飯はそこそこ食える。騙しも今の所ない。町は汚い。客引きがうるさい。
色々と好きになり得たり嫌いになり得る要素は沢山あるが、インド人が列に並ばないのが俺の一番のインドの印象だ。そしてそれは嫌いになり得る要素だ。

なんとか自分の番が回ってきた。
バラナシ行のこの列車の2Aクラス。
一杯だからWaiting Listね。
3Aでもいいんだけど
そっちも一杯よ。

というわけでWLの切符を手に入れた。
WL5番の俺の前にはキャンセル待ちの同じような人間が4人いるというわけだ。
ここでも再び電話番号を求められる。

SIMカード会社からたまに送られてくるメッセージに、俺の物らしき電話番号が載っていた。
カード契約してくれたスタッフも何か書類?がないとメッセージと電話は使えないと言っていたが、また面倒になるのも嫌なのでその番号を伝えた。
乗れるようになったらメッセージを送ってくるのだろう。
しかしもらったチケットに書いてあるナンバーをネットで照会すれば状況の確認が出来るようなので最悪メッセージが来なくても大丈夫なはずだ。

宿へ戻って一応チケット買ったけどWLだったよと伝えるとスタッフは、
「若い番号だから大丈夫。俺が99%保証する。前日の夕方には状況変わるよ。」
と、何の責任もない発言をしていた。
そもそもインド人を信用してないが、この言葉は今までのインド人から発せられた言葉で一番信用しなかった。

夕方からスーパーへ買い出しや床屋など、現地に寄り添った生活を送った。
こちら側から一方的に寄っているだけだったがなにとない日常を俺なりにインドで感じた日だった。


3/20

久しぶりに昼過ぎまで寝た。しっかりと休めた体から、これでもかというほどトイレへ行けと指令が出る。
旅に出て40日も過ぎた頃、ようやく本格的な下痢が来た。
昨日道端で飲んだチャイか?それとも半分キャップの開いていた水か?
何にせよ今日はほぼ絶食しようと思ったが、夜になりだいぶ調子も良くなってきたのでバナナと食パンで腹を膨らませた。

ただ宿で休んだ一日となった。Wifiが強かったのが救いだった。


3/21

今日はインドはホーリー祭だ。
当然場所によって規模は変わるようで、今いるグワティはそこまで大きな町でもないので割と大人しくホーリーを楽しんでいた。

見知らぬ人と色粉を塗りあうと言うが、ほんとに知らない人で雰囲気を出していない人とは何もしない。根っこからの無礼講というわけでなくインド人にも超えてはならない一線があるんだろうと感じた。こちらも本当に辞めてほしい雰囲気を出せば何もされなかったに違いない。
しかしむしろやってくれという雰囲気を出した結果がこちら。

若者や子供以外だって楽しむのがホーリー。

一年に一回の大きなお祭り、象もこの日はウキウキとしている。

目の前を通る時のあの迫力はここ数年で一番だったかもしれない。


3/22

町に残った色とりどりの鮮やかな粉を懐かしそうに眺めるインド人たち。
彼らを尻目に駅へと向かいバラナシ行の列車へと乗り込んだ。チケットは昨日の夜に確定していた。

列車に乗るや否や、警察官二人組が荷物検査だと俺のバックパックを漁り始めた。
封の開いたタバコを見せて罰金だという。意味が分からないが列車に乗れなくなるのも面倒なことになるのもいやだし、800円ほどだったので支払う。
そしてバックパックの奥底に隠せという感じでタバコを詰め込んで去って行った。

今度は3人組の警察官がやってきてまた荷物検査だと言う。
奥底にあるタバコを見つけ、また罰金だと言われた。

さすがにここは払うわけにはいかない。そもそもダメだったらさっきの警察官が没収するはずだろう。こんな罰金なんて存在しないんじゃないか。

さっきお前らと同じ制服の警官に払った。もう払わない。
彼らは俺の知らない言語でまくしたててくる。
だからもう払ったって言ってるだろう、800円払ったの。絶対お前らには払わない。絶対に。

割と長い問答の末に彼らはタバコだけ持って去って行った。
今までインド人で嫌な思いはしてこなかったのに、警察官で嫌なイメージがつくのは非常に勿体ないものだ。

列車の中はそこまで寒すぎなかったがトイレはとても臭かった。
飯の出来やサービスも会社で結構変わるものだと感じた。


3/23

到着は2時間遅れた。バラナシから車で2~30分ほどかかる駅だった。
構内で既にリキシャドライバーに声をかけられてとりあえず彼のリキシャの所まで歩く。
バラナシのこのへんなんだけど。
600ルピー(950円)だよ。
あ、高いわ。他あたる。
いくらならいいの?
300(476円)かな。
それは厳しい。400にしてくれ。

こうして635円で決着がついた。
人によっては、ボラれてる!だとか俺はこの値段で行った!とか言うこともある。

俺は、高いと思ったらとりあえず値段を下げてみるけど基本は相場より高くても気にしない。
旅行者向けの商売なんてみんなそうだし、旅行者も売る方も今までこうやってきたのだ。旅行者は地元民とは違うのだ。
そもそも日本にいても浪費癖が少々あるもので。

宿に着くも、13時のチェックインまで時間があったのでちらっとガンジス川を見に行った。
ここで人生観が変わるわけでもなく生き方が見つかるわけでもなかった。
確かに町に牛と犬が多く住み着いているしゴミの山がそこらじゅうにあるし車のクラクションは鳴りっぱなしだ。日本とは全く違う。
しかし人間ってのはそう簡単に変われないのだ。26年積み重ねてきたものは牛の糞やうるさすぎるバイクの音ではビクともしなかった。
それだけ色濃く、力強い人生だったのだろう。きっと。

美味しいと噂のバングラッシーを飲む。強さはライト。
ほんの少しだけふんわりとした感じがあったような無かったような。そのまま夜まで寝て外に出てビリヤニを食べたがこの時に少しだけボーっとしていたかもしれない。
そんな程度の効き目だった。拍子抜けだった。


3/24

バングラッシーのおかげか、疲れのせいか、ぐっすりと寝ることが出来た。
まずマクドナルドへ行く。普通にハンバーガーが食べたいのだがここはヒンドゥー教の土地だ。牛肉は食べれない。
そこでマハラジャバーガーの出番なのだがやはり鶏肉では少しインパクトに欠けるしドレッシングの味が少し気になった。別にベジバーガーを頼むとそっちもカレーコロッケだったがあまり美味しくなかった。
ポテトは変わらない安定の美味しさだった。

その後、バラナシ駅でデリー行のチケットを買う。
ここバラナシ駅は外国人が多いためフォーリナー向けの売り場がある。とても便利だ。
俺の前に職員と話していた白人の女性は、明日のデリー行が欲しいのに取れなくて泣いていた。今日は日曜日だからもうオフィスは閉まったと職員のおばさんは言う。
インドの日曜日の驚くべきお休み感は既にこの身をもって感じていたのでそれではしょうがないと俺は思ったが、彼女はついに泣き出してしまった。

そして彼女のパートナーと見える男性がやってきて、話を始めた。
よく聞き取れなかったがもうこの地は十分に見たから他へ行きたいだの泊まるところも云々かんぬん。

しかしとにかくオフィスが閉まってるから駄目だということを男性は理解したようでまた明日来ると言ってどこかへ行った。
チケットがうまく取れないくらいで泣くならインドなんて来なきゃいいのにと思ったが、彼女はきっと我慢の限界だったのだろう。
トイレも汚い、飯も不味い、ホーリーでセクハラされる・・・・
色々あってチケットもとれないとなれば泣くこともあるか。

リベンジとしてミディアムのバングラッシーを飲んだが全く効果は表れなかった。体質とかあるのだろうか?


ひと月の疲れも逃げも感動も
履いた靴下穴が開いてる

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