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小さな光、人生を照らすことはできないかもしれないけれど

いつも先の見えない闇の中をさ迷っている。そんな感じがしているのだけれど、でも時々希望のような光がちらつくから、それを期待してついついまた暗闇の中を進むはめになる。

その希望の光は一時的な楽しみで会ったり、喜びであったりはするのだけれど、闇を晴らすほどの輝きはない。手では触れられない星を無我夢中で掴んでいるような毎日を過ごして、いつの間にか年老いていくだけなのではと、そんな不安に駆られることが多い。

じゃぁ、煌々と自分の人生を照らす太陽のような存在って……
果たして今後現れるのだろうか?

仕事がそれである人もいるだろう
恋人や結婚、子供がそれである人もいるだろう
スポーツや芸術、音楽がそれである人もいるだろう

じゃぁ自分は?

仕事を一生懸命突き詰めてそれに没頭してと言うこともなく
誰か一途に思い続ける人もいない
バレーボールもするし、美術館に行くこともある。
音楽は一度ハマるとヘビロテで聞き続けることはあるけれど、
それを自分で奏でることはしたことがない。

いつもどれも中途半端

いつしか光なんて掴むことすら諦めてしまいそうだ。

けれど、でもどこかまだ自分を信じている部分はあって
だから今こうして立っていられる

それは単に自分が信じているだけではなくて
応援してくれている人がいると言うことも知っているから
いつか、自分を離れるかもしれないけれど
それでも今はまだ近くにいようとしてくれている

結局は自分を保つためには誰かが必要で
私一人で立ち続けることは難しいのだろう

そしてそれは、私が支えられているだけではなくて
私も同時に支えているのかもしれない
そんな風に考えるようになった

私は心理学なんて待ってく学んだことはないのだけれど
今私の大切な人の1人が大変な思いをしている
私は何が出来るだろう
連絡を取っていいのかすら分からない

いままで気軽に連絡を取っていたのに
その人が辛いを思いをしていると思うだけで
連絡をする手が止まる

私がフランスにいることもあってスグには会いに行けない

でも、迷った時に考えることはいつも同じですごくシンプル
もし私が明日死んでしまったら?
もしその人に明日不幸があったら?
連絡を取らなかったことを後悔するだろう。
行動せずに後悔するより
一歩踏み出そう

そう思って、思い切って、連絡を取ってみた
私の暗闇よりももっと深くて
希望の光が見えなくて
その中で必死にもがき続けて来たのだろう
届いた返信で私はまた息苦しくなった

けれどその人のためになりたいと
その人と話を続けたいと思った
少しずつ少しずつ心が開く音がする
今までの関係性もお互い思い出す

言葉にはできないけれど
そんなに頑張らなくていいよ
あなたの見えている世界が全てではないよと
そんなことを思いながら
少しずつ言葉を選んで綴っていく

自分にとっての太陽はまだ見つからない
その人にとっての太陽にもなり得ないだろう

自分も未だに暗闇の中にいると言う感覚は今でも変わらない
でももっと大変な人もいて自分の周りは真っ黒ではなくて
実は比較するとグレーなのかもしれない
もっと深い黒の人からすると今まで私が見て来た少しの希望に
私自身もなれているのかもしれない

おおきな太陽にはなれないけれど
誰かの小さな光に
いつかその光を忘れられたとしても
少し今が楽になる
そんな光に私もなれるかもしれない

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