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違うカメラで撮る理由~脳はきっと知っている~

昨日神戸に遊びに行った話を書いたけれど、

カメラ2つとスマホを携えていた。
一つ目のカメラはSIGMA『fp』


もう一つのカメラは『デジタルハリネズミ』

fpはフルサイズと言うこともあって間違いなく映りもいいし、カラーも充実していて、撮りやすい。

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『明石海峡大橋と夕日』(fp)

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『追いかけるべき2つの背中』(fp)

それに比べて、デジタルハリネズミは、私が持っているのが古いタイプなこともあり、撮影時に画面に被写体が映ることはなく黒い画面のまま、シャッターを切らなければいけない。
だから光や陰を想像しながら撮るしかないのだけれど……
これが中々侮れない。

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『放置ベビーカー』(デジタルハリネズミ)

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『たこ焼きパーリー』(デジタルハリネズミ)

fpも首から下げていたから、さっと取り出して撮影できるように準備はしてはいたのだけれど、それでもデジタルハリネズミの手軽さには、到底敵わない。

意識しているわけではなかったのだけれど、サクサク撮りたいとき、それに古い商店街を映したいときには、自然とデジタルハリネズミを取り出していた。
逆に、夕日の色をしっかり残したい! とか、やはり鮮明に撮りたいと思う時には、これまた無意識にfpを構えていた。

カメラにも適材適所がある。
そんなことは当たり前だと、知識としては理解していた。けれど私は、全身で納得するためには、実行し、感じて、それからもう一度頭の中に舞い戻って来た感覚・理解を通してまた理解を深める必要があるようだ。
深まった理解は当然、初めに知識として得ていた理解とは全く異なるものになっている。
私の脳は理解しているだけの知識では納得しない性質の様で、少なくとも一度身体全身を通さないと本当の意味ではインプットされていないらしい。だからそうするまでは、こうして書き起こすこともできない。

フルサイズの『fp』とトイカメラの『デジタルハリネズミ』。
全く性質の違う2つのカメラを携える。
犬と猫のように、2つをうまく共存させるなんて、できないかと思いきや、案外私の手の中に仲良く納まってくれているから不思議である。
家に帰ってPCに取り込んでみると、確かにデジタルハリネズミの手軽さに甘えて、fpの撮影枚数は多少減っている気はした。
けれど、画像一枚一枚の精度は(自己満足かもしれないけれど)上がっている気がするのだ。
短時間で景色が変わる夕日の中で、2つのカメラを使いこなす努力をすることで、一枚一枚無駄にせず、集中して撮ることが出来ていたのかもしれない。

そう考えると脳は偉いなと思う。きっと私に足りていないところ、苦手と感じているところを、補おうとしてくれたのだろう。
私はfpを使う中で、カメラが良いからきれいな写真を撮れるように放ってきたけれど、構図は苦手だし、まだまだ技術も追いついていない。
デジタルハリネズミを見つけ出した時は、そんなこと全く意識はしていなかったけれど、でも、脳はどこかで分かっていたのかもしれない。同じカメラを使い続けるよりも、それとはまた違うカメラで撮ってみるのもいいよと、そんなことを脳が導いてくれた気がするのだ。
精度の高いカメラで撮ることも腕を上げる方法の一つだけれど、画質の粗いデジタルハリネズミを使えば、また違った角度や構図を考えようとするのだと。

技術については、デジタルハリネズミでは変更できる設定が限られる。それだけに、あまり意識せずに撮るしかない。だからこそ、一旦技術は置いといて、カメラを楽しむこと、構図を頭の中で浮かべて撮ることに集中できる。
背面の画面もシャッターを切る瞬間には写らない(撮影後にプレビューは可能)。でも、画面を利用しなくとも、感覚で自分の撮りたい画に近づけられることを知れるし、そして、自分の撮りたかった画とずれてしまったとしても、偶然でも味のある画が取れることがあると、楽しみながら気づかせてくれるのだ。

おっと、スマホも忘れてはいけない。

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『沈む夕日を追いかけて』

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『不揃いのたこ焼きたち』

やはりスマホは手元にある頻度が一番高い。キレイに手軽に撮れるスマホも侮ってはいけない。

カメラを2つ、スマホと合わせると3つを組み合わせて撮りたい画を探し続ける。
贅沢な楽しみだと思う。
まだカメラを始めてめて半年ほどだけれど、始めて良かったと思う。こんな贅沢を味わうことになるなんて思いもしなかった。

きっと私の脳は今、その贅沢を欲している。

脳はきっと知っているのだ。
欲望も、苦手を補うためにやるべきことも。

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