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【魚河岸と大相撲ふれ太鼓】

両国国技館で行われている大相撲の5月場所ですが、本日5日目を終えて序盤から中盤へと差し掛かって来ました。

私は先場所優勝した関脇の若隆景を応援しているのですが、既に3敗となってしまったので今後の巻き返しに期待したいところです。
上位陣では休場明けながら横綱照ノ富士が1敗で頑張っていて、一方の大関陣は今ひとつ調子が上がらず。
幕内下位では碧山と一山本が全勝と健闘しているので、今場所の台風の目になって欲しいですね。


さて、あまりご存じの方はいないと思いますが、大相撲の東京場所が行われる際、初日の「前日」に築地の魚河岸には大相撲の「ふれ太鼓」が周ってきます。

明日から大相撲が始まるよということを太鼓を叩きながら歩いてお知らせして周るのですが、今回はその大相撲の「ふれ太鼓」について紹介します!

◇あれ、祭りかな?


築地が大好きな私は、豊洲に移転する前の築地市場を記憶に残しておいてほしくて、友人・知人を頻繁に案内していました。

そして2016年9月のこと。
その日も友人を案内しようと築地へ行きました。

まずは「築地」の地名の由来となった築地本願寺を案内し、市場へ向かおうとしていたときのこと。

本願寺の前に車が停まり中から半纏を着た男性たちがゾロゾロと降りてくるのを見かける。

「おっ、粋だね! 今日は祭りかな?」
と思って見てました。

本願寺前を築地市場方面に歩く和装の人たち
(撮影:2016年9月10日)
棒に括られた太鼓も運んでいる

その時はまだそれが何かは分からなかったので、さほど気にも留めずにいた。


波除神社にお参りをしてから、築地市場の場内の魚がし横丁へ向かうと、何やら軽快な太鼓の音が聞こえてくる。

「テケン テケン 
  テケレケテッケ テケンテケン」

心が踊りだしそうな太鼓の音がする方向に目をやると、なんと先程本願寺前で出くわした和装の人たちがこちらに向かって歩いてくるではないですか!

 2016年9月10日(土) 築地市場 場内の「魚がし横丁」にて⬆️


「あっ、やっぱり祭りだったんだ?」

と思って見てたら、御一行は飲食店の中に入っていく。

店の外から中の様子を伺っていると、何やら独特の節回しの声が…

よくよく耳をすませて聴いてみると、何やら知っているお相撲さんの名前が聞こえてくる。

「かく〜りゅう〜には とちお〜ざん〜じゃぞ〜」
「はるま〜ふじ〜には〜 かい〜せい〜じゃぞ〜」


ここでようやく状況が飲み込めた!

「そうか❗️ そう言えば明日は大相撲9月場所の初日だ!それで相撲の開始のお知らせをして周っているのだな。」
と。

◇そもそも、大相撲のふれ太鼓って何?

コトバンクにて「ふれ太鼓」を調べてみる。

ふれ太鼓
ふれだいこ

相撲の興行を告げるために打つ太鼓。本場所興行の始まる前日,太鼓を打ちながら町々を巡回,取組を読み上げ,相撲のあることを報知する。呼出しがこれを行なう。情報機関のなかった江戸時代の名残りである。
コトバンクより

なるほど、ふれ太鼓とは相撲の興行を告げるためのもので、江戸時代の名残りとある。  

ネットで調べてみると、両国にある回向院の境内で定期的に勧進相撲が行われるようになったのが、天保4年(1833年)からとのことだ。

これらのことより、ふれ太鼓は江戸時代から行われてきたことは間違いなさそうだ。

では魚河岸との関連性はというと、
築地魚市場銀鱗会の福地享子さんの著書「築地市場」に下記の言及がある。

市場を相撲のふれ太鼓が回るのは、日本橋時代からのならわし。触れ太鼓とともに回るのは、呼び出しさんたちで、取り組みの紹介など、土俵と同じ独特の節回しでやるので聞き入ってしまう。
「築地市場」福地享子氏著より


ふむふむ、魚河岸が日本橋にあったころからの習わしなわけですね。

具体的にいつから始まったものかまでは書かれていないが、日本橋に市場があったのは1923年の関東大震災まで。

今年が2022年なので少なく見積もっても100年は続いていることがわかる。

ただ、日本橋時代の末期から急に始まったとは思えないので、やはり魚河岸でのふれ太鼓も江戸時代から続いているとみてよいのではないだろうか。

◇もっと見てみたい!

この時は何の予備知識もなく出くわしたのと、友人を案内している最中だったので、それで終わってしまった。

でも、性格的に気になったことは掘り下げたくなるタイプなので、翌年の東京場所(2017年初場所)の前日にも、このふれ太鼓を見るために築地へと足を運んだ。

前回の経験があるので、多分朝9時ぐらいから始まるのだろうと予想できたので、その時刻の少し前から築地場内で待ち構えてみる。

すると予想通りに9時ぐらいに「ふれ太鼓」の人たちがやってきた!

2017年1月7日(土)  「魚がし横丁」にて⬆️


場内を一通り周り終えると、今度は「場外市場」へ移動。

築地魚河岸」という場外に新しくできた仲卸が約60店舗入る施設を練り歩く。

そしてその築地魚河岸の外に出ると、また相撲の取り組みを読み上げ始めた。

場内では飲食店の中だったため声が聞き取りにくかったが、ここは広くて声もよく聞こえるし動画もばっちり撮ることができた👍

◇2018年 豊洲移転

築地にあった卸売市場は、ご存知の通り紆余曲折あって移転時期が伸び伸びになったものの、2018年の10月にようやく豊洲へと移転となりました。

となると、このふれ太鼓はどうなるのか気になってしまう。
こういった慣習は是非残して欲しいものだと切に願う。

しかしながら、近代化された新しい市場でこの古い習慣が受け継がれていくものであろうか…
また場所も少しだけ遠くなるので、その影響もあるかと。

それを確かめるべく、豊洲へ移転後の2019年の大相撲5月場所の前日に豊洲市場へ足を運んでみる。

ところが、豊洲市場は築地市場よりかなり広いうえ、建物も水産仲卸棟、管理棟、青果棟と分散していてどこで待っていいかわからない…

そうなると探し回っているうちに終わってしまう可能性もある。

多少焦りながら、来るのかどうかすら分からない大相撲のふれ太鼓を探し求めて市場内を歩き回っていたら、

「あっ、見つけた!」

水産仲卸棟3階の商店街「魚がし横丁」に例のふれ太鼓の人たちが現れたのだ!

そして鳥肉の卸の老舗として知られている「鳥藤」さんの前で、相撲の取り組みを読み上げはじめた!

「たかけい〜しょう〜には えんど〜じゃぞ〜」
「ことしょ〜ぎく〜には たかやす〜じゃぞ〜」

2019年5月11日(土)   豊洲市場にて⬆️

そこが終わると移動し始めたので後をついて行くと、今度は飲食店街へ。

すると豊洲市場で一番の老舗の寿司屋「鮨文」さんの中へ入って行った。
この「鮨文」さんは、なんと江戸末期の日本橋時代の魚河岸で屋台の寿司屋として始まったらしいのだが、あまりに古すぎて、いつからやっているか正式な記録は残っていないらしい。

それだけ歴史があるので、ふれ太鼓も昔から立ち寄る場所の一つになっているのだろうなと思う。

◇築地場外はどうなるの?

市場の移転で、ふれ太鼓の風習が続けられるのかが心配でしたが、無事豊洲市場へも受け継がれてるのが確認できたのは良かった!

しかし、もう一つ気がかりなのは豊洲に市場が移転した後の「築地場外市場」では、ふれ太鼓は継続されるのだろうか?

豊洲と築地と離れてしまったため、豊洲でふれ太鼓をやるならば、築地場外は省略されてしまうのではないか?

それを確かめるべく、私はこの後に豊洲市場からバイクシェアリング(レンタル電動チャリ)を利用して築地に移動しました。

そしたら、やってきましたよ!
ふれ太鼓の御一行様が!

これで築地場外市場でもふれ太鼓が続いていることが確認できました!

築地場外の「築地魚河岸」へと向かう、ふれ太鼓御一行  2019年5月11日(土)


魚河岸を大相撲のふれ太鼓が周るのは、市場が日本橋にあった時代からの伝統です。

豊洲も築地も、この風習がずっと続いていくことを願います。

そして、市場も大相撲も益々繁栄してほしいものです。

◇おわりに

今回は移転前の築地市場で偶然に出会った大相撲のふれ太鼓について紹介しました。

おそらく江戸時代から日本橋の魚河岸で行われていたと思われる風習が、市場が築地から豊洲へ移転した今でも続いているって凄いなと思います。

しかしながら、2020年から続くコロナ禍の影響で、現在は大相撲のふれ太鼓も中断してしまっているようです。

残念ではありますが、こればかりはしょうがない。

早くコロナが収まって元の日常を取り戻し、また「魚河岸」にふれ太鼓の音と、取り組みを告げる声が響き渡る日が来ることを祈るばかりです。

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