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【連載小説】悩み のち 晴れ!sideケイイチ(ライトブルー・バード第3部&FINAL《3》)

す🌟前回までのお話です↓

🌟そして今回の登場人物はコチラ↓

白井ケイイチ(21)  ファストフード店でアルバイトをしながら、地元の理系大学を目指している元サラリーマン。ユウスケ曰く『顔良し・性格良し・頭超良し』

土居ユウスケ(21) 『今が楽しければ全て良し』が信念(?)のフリーター男子。自他共に認めるチャラ男だが、ケイイチと一年ぶりに再会したことで様々な変化が……。

🌟更に登場人物たちの相関図はコチラ↓

  《白井ケイイチ》


「あれ? ケイイチくん? ねぇ、白井ケイイチくんだよね!?」

 土居ユウスケのマンションに向かう途中、快活な女性の声が不意に自分の名前を呼んだ。

「…………えっ?」

 驚きながら後ろを振り向くケイイチ。そして声の主である女性が誰なのか判ると、彼は慌てて頭を下げる。

「……あ、えっと…お久しぶり…です」

 果たして今の自分は彼女このひとの前で、自然に振る舞えているだろうか?…と心配になりながら。

 そして……

 ユウスケの外見DNAは、ほぼ母親このひとから受け継いたんだな…と改めて思いながら。

「ホント、久しぶりだね! ケイイチくん元気してた?」

「は、はい、僕は元気です。えっと……おば……」

 彼女に向かって『おばさん』と呼ぼうとすると、脳がバグり、毎回滑舌がおかしくなってしまう。
 自分の母親も50代にしては若く見えると思っているが、この人の横に並んだら、きっと『普通のおばさん』に見えてしまうに違いない。

 小学生時代は彼女を『ユウくんのお母さん』と呼んでいたケイイチだったが、流石に21歳男子が使う表現ではないと思っている。ケイイチは瞬時に気持ちを落ち着かせ、無理矢理笑顔を作ると「おばさんもお元気そうで何よりです。前にお会いしたのは、確か…2年くらい前したよね?」と滑らかに言い直した。

「そうだね! 多分2年くらい。そうそうケイイチくん、来年は大学受験するんでしょ? ユウスケから聞いてるよ! ……それにしても、う~ん…相変わらずキレイな顔してるね。ホント、男の子にしておくのが勿体ない。あ、これってセクハラかな?」

 ユウスケの母は、人差し指でケイイチの頬をつつくと、いたずらっ子のように笑った。

「えっ?…い、いえ大丈夫です」

 なんだか気まずい。

「もしかして、これからユウスケあのバカの部屋に行くのかな? あの子なら留守だったけど……」

「……は、はい」

 ユウスケの留守は元々把握している。ケイイチは今日、彼のいない間に掃除と夕食の用意をするつもりで来たのだから。

「部屋をどんな風に使っているか抜き打ちチェックして、汚部屋なら鉄拳でもくらわすつもりできたんだけど、留守で残念!」

「は、…はぁ」

 『母親のアポ無し突撃』は同じ成人男性としてユウスケに同情はするものの、これまでの彼の行いを考えれば仕方がないよな…とも思う。
 それにあの部屋は彼女が一括で購入したのだから、『大家さん』としての権利もあるだろうし…。

 (一括購入か…。1DKの中古マンションとはいえ、改めて考えると凄いことだよなぁ)

 有名企業の役員として忙しい日々を送っているユウスケの母。彼女にとって、あれは懐が痛まない出費なのだろうか。

「でもケイイチくんが面倒見ているようだから、十中八九部屋は無事なようだね」

 そう言って彼女は、ユウスケが持っているレジ袋を見て微笑んだ。中には今夜の夕飯の材料が入っている。

「…………」

 やっぱり気まずい。

「ありがとうケイイチくん。ユウスケが世話になっているみたいで」

「い、いいぇ、そんな…」

「世間一般からは、私みたいな親を『バカ親』って言うんだろうね。仕事の忙しさからあの子をずっと甘やかしていたから。今回のマンションだって…。でも1人暮らしをしたいなら、さっさと出て行かせた方がいいと思って、背中を押すつもりでつい奮発しちゃった」

「つ、『つい』…ですか」

 『つい』のレベルが違う。

 そういえば彼女は大学時代、『急に違う世界が見たくなった』と言って、相談無しに休学し、ふらっと渡米してしまったことがあるらしい。彼女は元々スケールの大きい人間なのだろう。

「今のところ、ユウスケは毎月の『家賃』はしっかり私に納めて、運送の仕事も長続きしているから、私的には充分満足。『そんなの当たり前』って周りは言いそうだけど、ユウスケが頑張っているなら、わざわざ他の子供と比べる必要はないと思う」

「はい、そうですね」

 固くなっていたケイイチの心が少しだけほぐれる。自分に合鍵を渡す時「俺はこの部屋を買い取るつもりで必死に頑張る」と言っていたユウスケ。どうやら約束はキチンと守っているらしい。微々たることではあるが、親友の成長は素直に嬉しかった。

「ねぇ、ケイイチくん、今時間ある? よかったらそこのカフェで一緒にお茶しない? 好きなものご馳走するわ」

「あ…、えっと…」

 ケイイチの心に再び緊張が走った。この女性ひとを嫌いなわけではない。むしろ彼女のカラッとした性格には好感を持っているくらいだ。

「ん?」

 『問題』は自分側にある。

「…す、すいません。おばさんの気持ちは嬉しいのですが、レジ袋の中に冷凍品が入っているので、また次回に機会があれば…」

 妥当な理由を秒で見つけ、密かにホッとしている自分がいた。

「そうなの? 残念ね」

「はい、残念です」

 それらしい表情を作って、会釈をしながら彼は思う……。

 『目の前の青年が、自分の息子に対して、実は幼馴染み以上の感情を持ち合わせている』と知ってしまったら、彼女は母親としてどんな気持ちになってしまうのだろうか?……と。

「では、失礼します」

 罪悪感が自分の心をえぐった。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


「え?……うちの母ちゃんが部屋の『抜き打ちチェック』に来たってぇぇ!!??」

 顔面蒼白になったユウスケは、しばらくの間、靴も脱がずに玄関で固まっていた。

「『大家さん』だと思えば仕方ないよね? 留守宅に黙って入られなかっただけでも有難いと思った方がいいんじゃない?」

 キッチンでおでんを煮込みながら、ケイイチは素っ気ない態度で答える。

「…そりゃそうだけど……いやぁ、今日が仕事で良かったぁぁ!!」

 ガッツポーズをしたユウスケは、ようやく靴を脱ぎ部屋へと入る。よく見ると彼の髪や服にはたくさんの水滴がついていた。

「雨……降ってきたの?」

「いや、雪。もう道は白いぞ」

「えぇぇ!?」

 暖房効率を上げるため、暗くなる前からカーテンを閉めていたので、ケイイチは空の変化に全く気がつかなかった。そもそも雪の予報など聞いていない。

「ケイ、泊まっていけばいいじゃん。明日はバイトないし、そのリュックの中に勉強道具は入ってるんだろ?」

「うん…まあね」 

 (ホント、ユウくんはバカだ)

 無防備もいいとこだ。いや、泊まったからといって、夜中にユウスケを襲うつもりは全くないのだが……。  

 むしろ過去に襲われたことがあるのは自分こっちの方だ。寝ぼけたユウスケに唇を奪われたことを思い出すと、今でも顔面の体温だけが上昇しているように感じてしまう。

「どうした? ケイ?」

「な、何でもないっ! 僕、向かいのコンビニに行って来るから、ユウくんはちょっとだけ鍋を見てて。急いで歯ブラシ買ってくる」

「オッケー……けど、歯ブラシくらいこの部屋に置いておけよ。たまに泊まっているんだから」

「そういうワケにはいかないよ」

 ケイイチはそう言い残すと、コートを羽織って部屋を出た。

 
 母親にLINEを送りながらケイイチはエントランスを通り抜ける。

「うわぁ、真っ白!!」

 自動扉が開いた途端、彼の目の前には別世界が広がっていた。

 突然の雪は、あっという間に道路を白く染め上げてしまったようだ。

「確かに、下手に動くくらいなら、泊まった方が得策だな」

 ここは温暖な地域で、雪が積もることはめったにない。それは『雪に対して免疫がない』と言い換えることもできる。つまり雪国の人たちが鼻で笑うような積雪量で、この地域の交通はパニックになってしまうのだ。  

 ケイイチの溜め息は白い気体へと変化し、冷たい夜の中に消えて行った。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★

「う、うめぇ! めちゃくちゃ味が染みてるよ」

 ユウスケは幸せそうな表情で大根を口に入れる。

「切った大根を凍らせてから煮込むと味が染みやすいんだって。テレビでやっていたから真似してみた」

「うちの母ちゃんが作る『洋風おでん』も美味いんだけど、やっぱりスタンダードな味の方が俺には合うんだよね。あー、この出汁も最高!」

 ユウスケにとっての『食』は、おそらく祖母が作っていた和食が基本になっているのだろう。そんなワケでケイイチは、好きな相手の胃袋をしっかりと掴んでしまったのだが、その気持ちはやはり複雑だった。

「ねぇ、ユウくん」

「ん? 何?」

「僕が作った料理をベタ誉めしてくれるのは嬉しいけど、もしも彼女が出来たら、間違っても比べちゃダメだよ。自分の母親なら鉄拳一発で終わるだろうけど、普通の女の子だったら傷ついちゃうからね」

「元カノとかじゃねーんだし、別にいいじゃん」

「いや、絶対に傷つくって。幼馴染みで…それも男にだよ?」

「ふ~ん、そんなもんかなー?」

 ユウスケはピンときていないらしい。

「とにかくっ! 彼女は『出来て終わり』じゃないんだからっ! デリカシーのない発言ばかりしていたら、すぐに愛想尽かされるからね」

「へ~い」

 (ユウくんに彼女か……)

 自分から言ったにも関わらず、ケイイチは密かに切なさを噛み締めていた。言葉に代えたらこんな気持ちになるのは分かっていたのに。

 (話題を変えよう)

「それにしてもユウくん、キミのお母さんは相変わらずビシッとしていたね。見た目もメチャクチャ若くて、とても50代には見えないよ」

「あぁ? 母ちゃんは化粧で上手く化けてるだけだから。部屋着でノーメイクの時は、どこにでもいるおばちゃんだよwww」

「ユウくん……君はそのうち本当にボコボコにされるよ。あ、そういえばおじさんの方は元気?」

 箸で卵を掴みそこねたユウスケを見ながら、ケイイチは微笑む。

「え? 知らん」

「……『知らん』って」

 確かに母親に比べてユウスケの父親の印象は薄いが……。

「仕事忙しいから、実家にいた時から顔合わせることは少なかったんだよね。……なんかさ、『いてもいなくても同じ』みたいな?」

「…………」

「あ……、ごめんケイ」

 慌てて口を押さえるユウスケ。ケイイチの父親は自分たちが高校生の時に天国へ旅立ってしまったのだから、これは流石に失言だったと判断したようだ。

「大丈夫だよ。ほら、熱いうちに食べちゃおうよ」
 
「あぁ、そうだな」

 そう言ってユウスケは卵にかぶりついた。

「うめぇ!!」

「…………」

 雪の降る夜に好きな相手と暖かい部屋で二人きり……ケイイチが幸せを感じないワケはない。

 (もしもこのまま時間ときが止まるなら、この幸せにもっと寄りかかってもいいのに)

 ケイイチは掛け時計の秒針に己の哀しみを重ねる。
 
 それは叶わぬ願いなのだから、ユウスケに恋愛感情を持っている自分の方が、常に冷静な部分を残しておかなければならない…と思いながら。

 歯ブラシをユウスケの部屋に置かないのは、その考えからだった。
『合鍵は持っているクセに』と言われればそれまでだが、個人的な感覚として、ケイイチは歯ブラシなどの生活用品の方に重みを感じている。

 我ながら、細かいヤツだと思う。


★☆★☆★☆★☆★☆★

 それから数日たったある日…。

 ケイイチは今日もユウスケの部屋を訪れていた。さっきまでは何かに取り憑かれたように必死で勉強していたが、今はソファーで休憩中だ。

「…………え~っと、何だっけ? 確か…『近すぎて遠い君』…だったよね?」

 彼の手にはスマートフォン。検索欄に『近すぎて遠い君』というワードを入力し、そのまま画面を見つめる。

「……これか」

 画面をタッチするケイイチ。すると少女漫画風のイラストと共に『近すぎて遠い君』というタイトルが現れた。

 勉強をほぼ趣味としているケイイチだが、彼は漫画を読むことは嫌いではない。いや、むしろ好きだ。子供の頃、理科全般に興味を持ったのは、ドラえもんの漫画がきっかけなのだから。

 ただしBLボーイズラブを読むのは初めてだ。

「…………」

 
 ケイイチがこの作品を知ったのは、昼間のバイト先での女子高生の会話からだった。 

「アンタ、本当にこの漫画好きだねぇ。それってBLでしょ?」

 フロアを掃除していた彼の耳に、女子高生たちの会話が飛び込んでくる。

 (BL?)

 男子ユウスケに片思い中であるケイイチの耳は敏感だった。

「だって『リュウイチ』も『サトル』もメチャクチャ尊いんだもの!」

「うん、私も最近読み始めたから分かる!!」

 
 その後も彼女たちは『近すぎて遠い君トーク』をハイテンションに続けていた。
 
 その時にケイイチが得た情報は3つ。『主役の2人は幼馴染み同士である』ことと『刺激的なシーンは皆無で、内面的な繋がりを中心に描いている』こと。彼がこの作品に興味を持った理由はこの2つだ。

 そして3つ目は『《るなP》というペンネームの作者は完全正体不明』であること。

 (まあ、描いたのは若い女性だとは思うけれど……それにしても……この主人公って……)

 ケイイチは画面の中にいる『リュウイチ』を食い入るように見つめた。

「リュウくんにそっくり……しかも名前まで似ているし……」

 ボソッと声を出すケイイチ。そう…主人公の一人である『リュウイチ』は、バイト先で彼が可愛がっている星名リュウヘイにそっくりだった。

 『るなP』の正体はリュウヘイの幼馴染みである井原ナルミで、彼女はリュウヘイをモデルにして漫画を描いていたのだから、キャラの顔がそっくりなのは当然だ。しかしそんな事情を知るワケがないケイイチはただただ驚くばかり。

「『どこかで見たような…』っていうレベルじゃないよね」

 『リュウイチ』のビジュアルにはかなり驚かされたが、その後はあっという間に作品に引き込まれてしまい、ケイイチは夢中でスマホ画面のスクロールを続けた。

「…………」

《男子高校生の『リュウイチ』と『サトル』は、お互いに惹かれ合いながらも……いや、惹かれ合うからこそ、その想いを隠し通している》

「………」

《特にリュウイチは、サッカー部のエースであるサトルの立場に気を使う日々……》

「…………」

《それでもリュウイチがピンチに陥った時や悩んでいる時には、誰よりも早く察知し、彼の側に駆けつけるサトル》

「………」

 サトルの『俺は男が好きなんじゃない。リュウイチ…お前が好きなんだ』という心の声に、ケイイチは共感してしまった。

 ケイイチが21年間生きてきた中で、恋愛感情が芽生えた相手はユウスケただ1人。他に誰も好きになったことがないので、実は自分がゲイなのかバイなのかはよく判っていない。

 このセリフは彼に、そんな『カテゴリー分け』など不要…と言っているように聞こえた。

 自分の心を見透かされているようなセリフが所々に散りばめられていて、ケイイチは共感と恥ずかしさが交じった

「これがラストエピソードか……」

 どうやらこの作品は、先週最終回を迎えたようだ。

《小さな頃から『サトル』にサッカーを教えていた叔父が、海外の少年サッカーチームからコーチのオファーを受け、甥であるサトルに「休学してオマエも一緒に行かないか?」と声をかける》

 《サトルは悩むが、リュウイチとの未来を考えたら離れた方がいいと判断し、退学して海外へ行くことを決意。近所に住む幼馴染みの女子『カナエ』の元を訪れ、「リュウイチのことをよろしく」と頼む。それは彼女がリュウイチを密かに想っていることを知っていたからだった》

 《カナエは快諾。そして「3人で『お別れ会』をやろう」と提案もする》

 《そして『お別れ会』当日。3人は会場であるサトルの部屋で、ジュース片手に思い出話を繰り広げていた》

 《その途中、カナエがスマホを家に忘れたことに気がつき、一旦家に戻る》

 《しかし彼女が部屋に戻ることはなかった》

 《その代わりにカナエからのメッセージが、グループLINEの着信音を鳴らす》

 《『急に眠くなったから、私はこのまま家で寝るね。おやすみなさい。あとは2人だけでどうぞ。…っていうか、サトルもリュウイチもいい加減素直になりなよ』と……》

 《カナエに背中を押されたことで、2人はやっと今までの想いを口にする》

 《そっと唇を重ねるサトルとリュウイチ》

 《それが最初で最後のキスだと2人は分かっていた》

「………これで終わりか」

 ケイイチはスマホを閉じた。ハッピーエンドなのか、そうでないのかは、読み手の受け取り方次第なのだろう。

「トゥルーエンド…ってトコかな?」

 そう呟いて、ソファーにもたれ掛かるケイイチ。何気なく視界に入った電波時計は、16時20分の時刻を表示していた。

「なんか……疲れた」

 生まれて初めて手に取ったBL漫画は優しい世界が展開されていて、読後感は良かったのだが、一気読みをしたせいで脳細胞から全ての糖分を抜かれた感覚に陥ってしまった。

 そして同時に考える。

 自分は何故……よりによってユウスケの部屋でこの漫画を読んでしまったのだろうと……。

 (迂闊だった)

 BL漫画を読了したからといって、変な気を起こすつもりはないのだが、感情を刺激されてしまったことは間違いない。

 噂どおりの名作だった…というワケだ。

 (参ったな……なんか今はユウくんの顔を見たくないや)

 彼の帰宅予定時間は19時。勉強しながらユウスケを待ち、一緒に夕食を……と考えていたのだが、そんな気分は一気に失せた。『余韻』の残っている自分の顔を彼には見られたくない。

 (女子かよ!? 僕は…)

 ケイイチはソファーから立ち上がり、帰り支度を始めた。ユウスケには後で『急用ができた。ごめん』とLINEするつもりだ。時間的な余裕は結構あるのだから……。

 それなのに

 突然、玄関ドアから鍵が刺さる音が聞こえた。

「…………えっ?」

 自分の他に部屋の鍵を持っている人間なんて、彼を除いて他にはいない……いやいや家主は彼の方なのだから、こんな言い方は本来おかしい。

 (ユウくん!? 何で!? まだ5時前なんだけど!?)

「ケーーーイ! たっだいまぁ!」

 ドアが開くやいなや、部屋中に能天気な家主ユウスケの声が響いた。

「お、おか……えり、ユウくん。そのぉ…どうしたの? 早いね」

 自分でも顔がひきつっているのが分かる。そして顔も赤くなっているハズだ。

 やはり自分は動揺してる。

 (『るなP』……恐るべし!!)

「あぁ、なんか俺、シフト勘違いしてたwwww  18時半アップは明日だった……っていうか、ケイ、その顔どうした? また熱出た?」

 そう言いながら、ケイイチの額に手を伸ばそうとするユウスケ。

「いやいやいやいや! 至って平熱だから心配しないで!!」

 上半身をのけ反らせながら、手のひらを必死でバタバタさせている今の自分は、完全なる挙動不審者だ。

「ケイ????」

 さすがのユウスケも首を傾げる始末……。

「えええ~っと、僕は用事を思い出したから、今日はもう帰るね」

「え? マジぃ? 昨日、職場から美味いって評判の日本酒貰ったから、ケイと飲もうと思ってたのに」

 (い、今の僕に酒を飲ませようとするなよっ!!)

 ケイイチの心の叫びなど聞こえるハズない(聞こえても困るが)ユウスケは、呑気に口を尖らせている。

  
 とにかく今は1人になりたい!!

 
 自分の願いはそれだけだった。


「……ごめんねユウくん。また今度……。あっ! せっかく早く帰宅できたんだから、久しぶりに女の子の友達と遊んだら? 僕とばっかりつるんでいたら、出会いのチャンス逃しちゃうよ?」

「……………」

 嘘臭い笑顔を作りながら、なんとか話をまとめようとするケイイチ。出来るだけ軽いテンポで喋ったのだから、ユウスケにも軽い気持ちで受け取ってもらう段取りだった。

「じゃ、僕はこれで」

 ユウスケの横を通り過ぎようとした彼に想定外の事態が起こったのはこの直後だった。

「ケイ!! あのさぁ!?」

 強い口調と共にケイイチは後ろから手首を掴まれ、そのまま背中を壁に押し付けられてしまった。  

「!?」

 そして進行方向を塞ぐようにユウスケの腕が伸びる。半端ない圧だ。

 (え!? ここここれって『アレ』だよね? 『アレ』!!)

 一昔前に流行った恋愛ワードが、ケイイチの脳内に飛び込んでくる。

 その名は『壁ドン』

 (いやいやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って…本当に本当にちょっと待ってっ!!)

 『壁ドン』だけでも意味が分からないのに、ユウスケが不機嫌な顔をする理由は更に理解できないでいる。

「なぁ、ケイ?」

 呆気にとられているケイイチの顔に、自分の顔を近づけるユウスケ。その口調は相変わらず不機嫌モード全開だった。 

「…………な、何?」

 通常であれば、強い口調で相手やりこめていたのは、しっかり者のケイイチで、タジタジするのはお調子者のユウスケだった。

 完全に立場が逆転している!!

「ケイがちょくちょく会話に挟んでくる『彼女トーク』って一体何なの!? 俺は今、彼女作る気なんかねーよ!って言ってるよな?」

「はっ?」

 (へっ? ユウくんの不機嫌な理由って、ソレ……だけ?)

 ユウスケが不機嫌な理由は分かったものの、それは却ってケイイチの頭を混乱させた。

 そんなケイイチにユウスケの顔がグッと近づく。

 (近い近い近い近い近い近い近い!ユウくん近いったら近い!!)

 母親にそっくりなユウスケの切れ長の目が超至近距離になり、心臓が飛び出しそうになるケイイチ。

「俺のタイミングは俺が決める。ケイはいちいちうるさいんだよっ!!」

「…………はっ?」

 その言葉でケイイチのこめかみがピクリと動く。

 (『うるさい』……だと!? 人の気も知らないで!!)

 イラっとした途端、ケイイチは本来のペースを秒で取り戻した。

「心外だよユウくん! 僕はキミの為を思って言っているのに!! 僕とつるんでいるせいで彼女が出来るタイミングを逃したり、フラれたりしたら、後で絶対に苦情を言いたくなるよね!? コッチはそんなの面倒だから、今のうちに色々と気を回しているんだよ!」

 ユウスケの為を思ってあれこれ言っていたのは本当だ。ただし、これらの言葉たちは、ケイイチの『心の準備』という重要な役割も同時に兼ねている。

 『ユウくんにはいつか恋人が出来るのだから、自分キミは覚悟しておけよ』
 
 言霊に代えた未来がケイイチに警告し、その度に自分の恋心の増殖を必死に抑えていたのだ。

 (ばかやろう! ユウくんなんか、さっさと恋人作って、僕の側からいなくなってしまえ!)

 久しぶりに怒りが込み上げ、ケイイチの頭からは『るなP』のことなどすっかり吹っ飛んでしまった。

「オイオイ……ケイ、お前はそんな気ぃ使う必要ねーから」

 ユウスケが進路を塞いだままの体勢で寂しそうに笑った。

「??」

「俺に彼女が出来る前に、オマエは俺から離れて行くんだよ」

「…………え?」

 イミガ……ワカラナイ。

 目を丸くするケイイチに向かって、ユウスケは続けた。

「ナニ驚いてんの? そりゃそうだな…って思わない? オマエが大学生になったら、価値観が同じようなヤツにいっぱい出会うんだぜ? ケイのように頭のいいヤツは、自分を高めてくれる相手とつるむようになるんだよ」

「……………」

「打算じゃねー。それは自然なことだよ」

 ユウスケがそんなことを考えているなんて、思ってもいなかった。『いつか自分たちは離れることになる』という終着点は自分が描いていた未来予想図と同じだ。

 が、そこに行き着くまでの過程は全く違う。

 (……ユウくん、違う) 

 2人の体勢は相変わらず『壁ドン』状態だ。このままユウスケの首に手を回し、顔と顔をグッと引き寄せ、本当の気持ちをぶちまけたい……ケイイチはそんな衝動に駈られた。

「ユウくん……僕は…」

「ん?」

 ケイイチの腕が……そして指先がユウスケの首元に向かって、そっと伸びる。

「僕は…………」

 その時、

 リリリリーーン リリリリーーーン リリリリリーーーーン

「えっ?」
「あっ?」

 スマホの着信音が静寂だった空間を引き裂く。黒電話の音を設定しているのはユウスケだ。

「ケイ…ちょっと待ってて」

 足元のバックからスマホを取り出し、耳にあてるユウスケ。画面には『母ちゃん』という文字が見えた。

「もしもし? 母ちゃんが俺に電話なんて珍しいな。一体どうしたんだよ?………え?」

 最初はかったるそうな口調で対応していたユウスケだったが、瞬く間にその声に緊張が走った。

「親父が!?」

 (え? おじさん)

 それだけで、ユウスケの父親に関する『悪いニュース』だと分かる。緊張は自分にも感染した。

「……病院はっ? 着いたらどこに行けばいいの?……えっと…えっとメモする……あれ?」

 スマホを当てながら視線をキョロキョロさせるユウスケ。家主ユウスケよりも家の中を把握しているケイイチは、すぐに気がついて彼にメモ帳とボールペンを渡した。

 『病院』ということは、急病か事故のどちらかなのだろう。

「サンキュ、ケイ。……あ、母ちゃん、もう1回よろしく……………あ、あれ?……」

 ボールペンを持ったのはいいが、ユウスケはボールペンの先を紙の上で上手く滑らせることが出来ていない。

 (ユウくん?)

 彼の手は震えていた。傍目から見ても分かるほどに……。更に表情からは生気が抜け、唇にまで震えが伝染してしまった。スマホからは「ちょっと、ユウスケ聞いてるの!?」という声が思いきり漏れている。

「………………」

 いてもたってもいられなくなったケイイチは、ユウスケからスマホを奪うような形で自分の手に取った。

「もしもしっ! おばさん、ケイイチです。ユウくんの代わりに僕が聞きますので詳しい場所を教えて下さい! はい、すぐにそちらに向かいます!」


☆★☆★☆★☆★☆★

 
 ケイイチはタクシーを手配し、病院に着くと、あらかじめ聞いていた通用口へと向かった。

 そして今、2人は廊下の長椅子に座っている。ここがユウスケの母親との待ち合わせ場所だが、彼女はまだ現れない。

「多分……先生と話をしているんじゃないかな? ユウくん、とりあえず待とう」

「…………うん」

 ユウスケは青ざめた顔色のままで頷く。

 ユウスケの父親は急に激しい頭痛を訴え、そのまま倒れてしまったらしい。今日はたまたま夫婦で休暇を取っていたので、すぐに救急搬送できたのが不幸中の幸いだった。

 (脳梗塞? くも膜下出血?……いや、まだ何とも言えないけど)

 ケイイチは隣にいるユウスケを見つめる。

「……ケイ、ありがとな。俺……頭が真っ白になっちゃって、何も出来なかった。情けねーよな。ハタチ過ぎた野郎がよ」

 ユウスケはうつむいたままで口を開いた。

「大丈夫だよ。自分の家族に何かあったら、誰ってパニックになる」

「………なあ、ケイ?」

「何?」

「オマエは……何歳まで親が『スーパーマン』だって思ってた?」

 唐突な質問にちょっと驚いたが、ケイイチは視線の先を天井に変更し、「う~ん……小2くらいかな?」と答えた。

「俺もそんくらいだな。学年上がるごとに、親が徐々に『普通の人間』に変わっていくんだけどさ、それなのに『自分の親はまだまだ病気なんてしないし、死ぬのは遠い遠い未来』なんて錯覚はずっと続いていた。変だろ? 親父さんを亡くしたケイが近くにいるのに……」

「いつか来る怖い現実を直視できないからだと思う。僕だって母さんには、ユウくんと似たような感覚を持っているよ」

「怖いよ。ケイ……物凄く怖い。俺さ、ちょっと前に『親父なんて、いてもいなくても同じ』って言ってだだろ? それなのによ、今になって楽しかった思い出が後から後から湧き出てくるんだよ」

「…………」

 彼の顔を確認しなくて分かる。ユウスケは泣いていた。

「今更そんなこと思い出すくらいなら、いっそ俺は……サイコパスになりてぇ。周りに顰蹙かってもいいから、淡々としているメンタルが欲しい……」

「………………ユウくん」

 しゃくりあげなから、必死に思いを口にするユウスケに、ケイイチの気持ちが乱れる。そして気がつくと彼はユウスケを抱きしめていた。

「ケイ?」

 腕の中にいるユウスケの驚きが自分に伝わってくる。それは当然だろう。

「ユウくん、まだ確定していない未来を悲観するのはやめなよ」

「ケイ」

 事の重大さは全然違うが、ユウスケとの未来を考えて慎重になっていた自分には特大ブーメランだな……と思う。

 だけど、今はそんなことどうでもよくなった。

 ……とは言っても、相手に拒否権があることは分かっている。これ以降、ユウスケに距離を置かれる可能性だってあるだろう。しかし今の・・彼を抱きしめられるなら、ケイイチはそれすらどうでもいいと思った。おかしな話ではあるが……。

「……ケイ」

 そんなユウスケは、最初は驚いたものの、すぐに自分の方からも腕を回し、ケイイチにしがみついて泣いた。

「ユウくん、おじさんを……信じよう」

「あぁ」

 ケイイチは腕の力をぎゅっと強めた。

 
★☆★☆★☆★☆★☆

 
 そして……
 
 ユウスケの父親は、くも膜下出血と診断されたものの、発見と処置が早かったことで、一命を取り留めることができた。

 しばらくは入院が必要だが、経過は良好だ。

「ユウくん、今日は病院行かないの?」

「あっ? だって親父のヤツ、ピンピンしてるじゃん。別にいーよ。そんなに話すことないし」

「……………」

 あの時、泣いていたカラスはどこへやら……。ユウスケは元の『バカ息子』に戻ってしまった。

 『喉元過ぎれば熱さを忘れる』。これはユウスケの為に作られた諺では?……と溜め息をつくケイイチ。

 それでも

 2人で生花店の前を通った時、ユウスケは無意識に足を止め、店先の花をじっと見つめていた。

「ユウくん、どの花にするの?」

 ケイイチはクスクス笑いながら尋ねる。

「えっ? い、いや俺は、別に親父のことなんか考えてなかったし……」

 鼻の頭をこすりながら、ユウスケは口をへの字に曲げる。

 (ユウくんは意地っ張りだな。それとも新手のツンデレ?)

「明日は行ってきなよ」

「ヘイヘイ」

 病院で抱き合ったからといって、2人の関係は特に変わっていない。しばらくは、こうやってケイイチがユウスケの世話を焼く日が続くだろう。

 しかし、ケイイチは己の考えを1つだけ変えた。

 自分はもう未来まえを見すぎない。

 2人でいる現在いまをもっと大切にしよう。

 やっぱり自分はユウスケが好きだから。

「………どうした? ケイ」

「何でもない。早く帰ろう」

「あぁ」

 2人の足はユウスケの部屋へと向かう。

 ケイイチが持っているエコバッグの中には、昨日購入した歯ブラシが入っていた。ユウスケの家で使う自分用の歯ブラシとして、そのまま置いておくつもりだ。


    《4》↓に続きます。


 こ、今回は約12500文字💦 最後まで読んで頂いた方に感謝です🙇

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