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死に触れた体験について書き出してみる

先日Twitterでとあるお坊様が死について書かれていたので、自分の考えをリプしてみました。

良い機会なので、自分の死生観というか、今まで直接的に触れてきた死について、少しまとめてみたいと思います。

0. 母親の口癖

後述のそれぞれの死に触れた心情をうまく表現するためにも、母親の口癖に触れておきます。

母はことあるごとに、「美人薄命、50歳まで生きられたら奇跡」と言っていました。

実際のところ、幼いころから重い喘息持ちで入退院を繰り返し、結婚してから兄を生むまでくらいが不調のピークだったようです。

この口癖はお医者様から言われた内容を少し偏屈に受け取ったものだったようですが、
自分が小さい時分から、「あー、お母さんがいま生きてるのってラッキーなんだな。」と常に思っていました。

ちなみに母は今年で還暦を迎えています。
※美人かどうかは個々人の主観に寄るもののため言及を避けますw

1. インコの死

生まれて初めて直接的に触れた死は、飼っていたインコのピィちゃんが死んだことだったと思います。

その前にも金魚や熱帯魚などは飼っていたので、その死はあったのですが、普段手で触れてその温かさや柔らかさを感じていたものが、硬く冷たくなっている経験をしたのはこれが初めてだったと思います。

正直、このときまだ6歳くらいだったので、住んでた平屋の裏に穴を掘って埋めて、弔ったくらいの記憶しかありません。

2. 野良猫の死

忘れもしない小学校4年生のとき、今実家にいる愛猫と出逢ったときの経験です。

地元愛媛県松山市では、毎年10月の初旬に地域をあげてのお祭りがあるんです。

そのお祭りの3日くらい前、いつも遊んでいる友達の家の近くの空家で、まるで漫画のように段ボールに捨てられている、生後間もない7匹の真っ黒な猫に出逢いました。

その子猫たちは本当に生後数日で捨てられていたようで、手の平よりも小さく、当然目も開いていませんでした。
お祭りまでの3日間ぼくらはご近所中を廻り、飼ってくれる方を探し回ったのを覚えています。

1匹も引き取られないまま祭りの当日、前夜から降り続いた雨で子猫たちが震えていないか心配で、朝5時に目を覚ましました。
急いで駆けつけたのですが、、

そのときには既に息があるのは、2匹しかいませんでした。

その2匹を胸元で温めながら帰宅し、母親に家で飼えるように懇願します。
が、そのときには既に1匹は息を引き取っていました。

もし母猫がいて、警戒するといけないからと、満足にご飯を与えなかったこと
降り続く雨の中、明日朝早く見に行けば良いかと、一夜を寝て過ごしてしまったこと
どちらも今でも後悔の念が残っております。

ただ、あれからもう約20年、猫のぷぅはまだ存命し、兄弟たちの分まで頑張って生きています。

3. 初めての人の死

物心が付いてから初めてお葬式に参列したのは、確か母方の曾祖母のお葬式だったと記憶しています。

90歳を超えた大往生だったためか、みんな和気あいあいとお酒を飲んで笑ってたのが印象的でした。

4. 愛犬の死

大学生のとき、小学2年のときから一緒に育ってきた愛犬が亡くなりました。

最後の1週間くらいは、大学を休んで夜中までずっと同じ部屋で寝ていたのを覚えています。
いつも目を覚ます瞬間に「まだ生きているか?」が物凄く不安になって、飛び起きて駆け寄り、撫でて声を掛けていました。

最期は母と二人見守りながら、とても苦しんで息を引き取るまで看取りました。
病名は記憶しておりませんが、癲癇(てんかん)や白内障を伴う病気で、目も見えなくなっていました。

簡易に火葬を終え、骨だけになると、もう何とも切ないんですよね。
確かにあったはずの顔が、肉が、温度が、
全て灰になってしまうんです。

愛犬くりんの死は、『心に穴が空く』って在り来たりな表現が、絶妙にハマるのを感じた瞬間でした。

5. 父親の死

詳しくはまだ別途書いていきたいと思いますが、昨年の12月に実の父親が亡くなりました。62歳でした。

実は、私が20歳のときに、父と母は様々な問題ですれ違い、離婚をしていました。
色々あるのですが、その後父にステージ4のガンが見つかったようで、兄に懇願されて会いに行ったんです。

で、私が父と病室で再会したとき、傍らには母がいました(笑)

正直キョトンとしました。。
でもよくよく思い返してみると、母は父と別れてからの10年弱、ことあるごとに「父さんといたときは」「父さんはこうだった」と呟いていたんです。
多分、わたしだけが気づいていました。

こう見えて勘が良いほうなので、この瞬間、2人が何を考えているのか悟りました。
だから、「なぜ看病しているのか?」から始まり、決して怒りなど持たず、一つ一つ話を聴いていきました。
案の定、2人の口から「病気が良くなったら再婚したい」という言葉が出たんです。

ここで初めてわたしは怒りを覚えました。

ナンデ "イマ" シナイノ?

コンサルという仕事をしているが故ですかね。
「良くなるの定義は?」「良くなる可能性はあるの?」「良くならないと再婚できない理由は何?」
懇々と2人への説教が始まります(笑)

そこから予定していた滞在期間を1日延長し、翌日婚姻届けを取りに行って、保証人の署名を行って、地元の愛媛から福岡へと戻りました。

それから婚姻届が提出されたのが、昨年の11月7日のことです。

そして、翌月12月1日、父は10年振りに帰った自宅で母に看取られながら息を引き取りました。
たったのひと月足らずの新婚生活でした。
ただ、父はたった一人の戸籍ではなく、母と同じ姓を冠して亡くなりました。
母と同じ墓に入ることもできます。まだ考えたくはありませんが...

ただわたしは、
自分のしでかしたこの結果が、良かったのか悪かったのか、まだちゃんと答えが出せていません。


以上、少々長くなりましたが、わたしが触れてきた主だった死について整理してみました。
少ないですね。こんな状態で、いま自分の築いた家族の誰かをまた失うと立ち直れる気がしません。

大人も子どもも、もっと死に触れて抗体を付けるような素敵なソリューションは絶対必要だなと考えています。

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