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こすぎの大学、10周年

2013年9月に開校した「こすぎの大学」。みなさんのご支援・ご協力のおかげで10周年を迎えることができました。ありがとうございます。
130回目となる10周年の節目の授業で初めて先生役をし、こすぎの大学の10年を振り返ると共に、僕自身がこすぎの大学を通じて変化したライフスタイル、コミュニティの価値をお話ししました。


こすぎの大学の10年を振り返る


毎月第2金曜日の夜に開催。毎月1回の開催でサザエさんや水戸黄門みたいにテンプレート(型)があることもあり、毎月毎月での変化には気づきにくいのですが、10年を俯瞰して見ると1年ごとに変化や出来事があるんだと実感します。こちらから仕掛けた変化ではないので周囲の方々に刺激をギフトしてもらっていることに感謝の気持ちしかありません。

開催実績とこれまでの先生役
毎年ごとのトピックス


こすぎの大学を通じて変化したライフスタイル


いつもお話ししていることですが、武蔵小杉に友人、それ以前に知人さえいないまま10年以上過ごしていたこともあり、こすぎの大学を通じて友人・仲間ができ、街で「おーい、オカポン!」と声をかけられたり、僕からも声をかけることができるのが何よりもうれしいんです(涙)。ありがとうございます!

Before|自宅と会社の往復
After|知人と友人


そもそも、こすぎの大学って。


大学という名前が付いていることもあり、学校に準えて存在価値を表現していました。学校の思い出って、勉強や部活、給食、帰り道など、人によって様々であることから、これまでは「オトナたちの十人十色の思い出をつくるきかっけの場」と僕自身の考えとして表現していました。

大学と言いながらも、実際は公立の小学校のイメージ。公共(パブリック)には、オフィシャルに加えて、オープン、コモンの意味もあることから「誰もが参加できる場所」であり、つまり、「参加者を限定しない場所」を心がけてきました。こすぎの大学は誰もが参加してもいいし、参加したい時だけ参加できるオープンの場。こすぎの大学で得た気づきや学びは自分だけのものでなく、みんなのもの。

NEC未来創造会議を通じて「コモンズ」を探求してきたこともあり、こすぎの大学を表現する言葉を一部変更(加筆)しました。「思い出をつくるきっかけの場」から「“よい”思い出をつくる場」に変更
大切にしたい思いは、自分だけが正しいのではなく、みんなちがっていい…ということ。

公共性の3つの意味
そもそも「こすぎの大学」って
オトナたちの十人十色の“よい”思い出をつくるきっかけ


コミュニティの価値

こすぎの大学を通じて街づくりに関与することで、そのアウトプットに寛容になりましたし、微責任も抱くようになりました。他人事だと完璧さや正しさを求め過ぎてしまいますが、自分事・自分たち事になることで「仕方ない」と「一緒にやる」をいい感じに織り交ぜることができるようになりました。

優しさや温かさ、微責任を抱くことができるコミュニティ(共助)が、自助と公助の分断・対立を解決するCORE・HUBになると信じています。


長々と失礼しましたが、伝えたかったのは「こすぎの大学10周年、ありがとうございます!」という感謝の言葉でした。これからもよろしくお願いします!ありがとうございます!

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