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1991年プチてっちゃんユーレイル旅11

【まとめ】朝のうちに、何だかここが気に入ってしまいもう一泊予約をしてからバスでダッハウへ。強制収容所跡のメモリアルパークを見学。
午後遅くにはミュンヘンの宿近くを散策。ミュンヘン泊。

11月15日 (金) 

晴れると本当、気持ちいい。

妙にリアルなヘンな夢をみて4時半頃いったん目覚め、トイレに行ってきてまた寝て7時半。
朝食、肌がつやつやと黒い紳士と黒髪の女の子と○○(※注:当時の取引先)の○ちゃんみたいな人と同テーブル。お互い遠慮し合って、かなり静か。

なんか急に面白くなってしまい、もう一泊することに決めて受付に行く。

ポストに寄って銀行に寄っていざ、元々決めていたDachauへ!

一回バスに乗り違え、反対ルートに行ってしまう、しかもR.B.Str.に停まらないのに乗ってしまい、途中で降りて引き返す。

Sie spreche Englisch? こんな言い方あるのかどうか分かんなかったがバス停の所にいた男の人に使ってみたら、ちゃんと、やー、a little bitと答えてくれ、たどたどしくも丁寧に道を教えてくれる。
たいがい道を訊くとこんな感じでありがたや。

Dachau着。
今は囚人用のバラックは一つだけしか残されておらず、バラックの跡だけ地面に残されている。
他は数棟の建物のみ、資料館として整備されている。

資料館とバラック跡遠景

小川を渡ったところに煙突のついた赤い建物があったが、火葬場のようだった。

囚人たちは堀、鉄条網、監視塔、塀に囲まれていた。

KREMATORIUM DENKET DARAN WIE WIR HIER STARBEN
石碑にはこう刻まれていた。
ここで死んだ人々について考えて、という意味らしい。

さんざん中を歩きまわったが、50年という歳月のせいだろうか、31597だっけ(死者を示す数字なのだろうが)これだけの死者が出たというのに、この風景を見て、さまざまな処に触れてみて尚、これといった激しい感情が湧かないのは、なぜだろう?
後あとになって何かに気づくのだろうか?
それとも、ずっと気づかないままか?
小川の上の鉄条網を目にした時、何かいっしゅん感じたような気がしたのだが。
それでも、そのまんまずっと、今後に持ち続ける光景となりそう。

14:00頃、S-Bahnの駅に戻る。
バスはすし詰め。ドライバーは観光客が多いせいか英語を解しているよう。

後で思い出して後日追記した分。地下鉄駅の案内のおばさまが強烈だった。

めっちゃ怖そうだったが、ゆっくりした英語で丁寧に説明してくれた。
しかしツヤツヤピンクの長い爪に気を取られて分かったような分かってなかったような……

駅近くのImbissで遅い昼食。お店の人はとても愛想いい。
近所なら毎日行くんだが。

文具屋にも入る。店の半分はもうクリスマスの飾りが。

いったんMunchenの中心にもどり、アナベルパルクという所に行ってみる。公園かな―と思ったから。そしたら高級住宅地みたいな場所。
一階にちょいと小粋なショッピング街。

こちらはアンティークショップ。

近くに小さなメリーゴーラウンドが「♪さらば、さらば、わが友……」の曲を歌っていた。小さな男の子がうれしそうな声をあげて乗っかり、そばで母親らしき人が見つめている。日常的だが、よいながめ。

宿にかえる前にデパートに寄って、オリンピックスタジアムを見物。
スタジアムの上につんつんの屋根らしき覆いが見える。BMWのビルが、ガイドブックの表紙のまんま(当たり前だが)。あの四つ葉のクローバーみたいのが、夕暮れの中明るく輝いている。資本主義のタワー!

桜の木だろうか、赤や黄色の葉がはだかになった木々のまわりに散り敷いて、芝の緑と鮮やかなコントラストを見せている。

宿に帰ると思った通り、他の3ベッドがふさがっていた。それでも今度はみんなバラバラの寄せ集めらしく、かえって気は楽かも。

 M。はちみつ色の髪、30歳くらいだろうか、フィレンツェ出身だがドイツ在住。宿には3週間位いると。自然愛好者(?)で車、煙草、甘いもの、肉、カフェインが嫌いだと。敵が多そうな感じだが、色々話をしてみると結構親切で、なぜか寝る前に『モヒカン族の最後』の本を貸してくれた。
ごめんでも読めないや。18,19世紀の文学が好きだそうな。
 H。暗い髪色、無口な感じだけど愛想は悪くなかった。アイルランド生まれのロンドンっこ。煙草を吸うのでMと同室なのが居辛そうだった。
 長い金髪の彼女は名前を訊き忘れてしまった。イタリアに2年ほどいたドイツ人。くまのぬいぐるみと寝ている。めっちゃ陽気な人で、ここに泊って求職中だとのこと。小さな刺青を腕にしていた。

 混迷の中(?)、Mと部屋で夕飯となる。私はデパートで買ってきた揚げ魚のマリネ(やや小ぶりのEin Stick。50グラムほしいと伝えたら、お店の人が、じゃあアインシュティックだね!と売ってくれた)、シャンピニオンサラダ、野菜のゼリ寄せ、牛乳。Mは何食べてたんだろう、記憶なし。たぶん、身体にいいものだったろうね。

なんだか疲れ果て、21時前にはシャワーも浴びずに寝てしまった。
エアコンの音だろうか、夢の中でもすごい勢いで風が吹いていた。

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