勝村誠

私立大学教員です。政治学専攻、日本と東アジアの政治史・外交史を担当。 noteでは韓国…

勝村誠

私立大学教員です。政治学専攻、日本と東アジアの政治史・外交史を担当。 noteでは韓国語史料の現代日本語への翻訳や、韓国における研究の紹介を進めます。 お気付きの点などあれば、コメントをいただけるとありがたいです。 https://www.katzmaklab.info/

マガジン

  • 中西伊之助(プロレタリア作家・社会運動家) 中西伊之助研究会

    • 3本

    【中西伊之助研究会のマガジン】  中西伊之助(1887年2月8日〜1958年9月1日)は、プロレタリア作家、社会運動家として、様々な被抑圧者の解放のために力を尽くしました。 京都府久世郡槇島村(現・宇治市槇島)の農家に生まれ、少年時代から、農業、陸軍宇治火薬製造所、鉄道機関車掃除夫など様々な労働にたずさわりました。朝鮮での新聞記者時代に、総督を批判し鉱山労働者の虐待を新聞に暴露し投獄された経験を書いた『赭土に芽ぐむもの』で作家デビューし、以降『農夫喜兵衛の死』『赤い絨毯』など著作多数。アジア・太平洋戦争中も反戦反ファシズムの立場を一貫し、戦争協力の「筆」は持ちませんでした。  終戦とともに自宅で神奈川の日本共産党を再建し、戦後初の総選挙で当選(次点繰上)し、衆議院議員2期。

  • 「安重根関連一件書類」の紹介

    韓国の国史編纂委員会がウェブ上で公開している史料「安重根関連一件書類」を現代日本語に改めて公開していきます。「ほぼ日刊」を目指しますが、まあ、息が長くのんびりとやっていければと思います。

  • 安重根についての基本情報

    日本社会では「安重根=伊藤博文を暗殺したテロリスト」というシンプルな理解が定着し再生産されていますが、はたしてそんなに単純に理解していいのでしょうか。ここでは、もう一歩踏み越えて考えていくための基本的な情報を公開していきます。

  • 安重根のテキスト

    ここでは、安重根自身が残した著作、口述記録、文書などを公開していきます。

最近の記事

(266) [旅順監獄における安重根の第二次 陳述內容]

(韓国)国史編纂委員会「韓国史データベース」 http://db.history.go.kr/ * このサイトで公文書原本の画像も公開されています。 統監府文書 7巻 > 一、安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一~六、伊藤公遭難事件書類 一~四、安重根及合邦關係事類 一~三、哈爾賓事件憲兵隊報告一~三)>(266) [旅順監獄における安重根の第2回陳述内容] *1 *1 []で示されたタイトルは原文にはないが補われているものである。 国史編纂委員会, 1968,『

    • (365)[安重根 死刑執行状況 報告 件]②

      (365)[安重根 死刑執行状況 報告 件]① の続きです。 [要旨]  ①では本文書に「別紙一」として添付されていた統監府通訳官の園木末喜による「死刑執行報告書」を紹介した。②では安重根が近親者らに宛てた最期の書簡のうち、弟たちに宛てた「別紙二」と、母親の趙マリアに宛てた「別紙三」の写しを紹介する。これらの書簡は関東都督府法院の用箋に筆写されたものであり、吏員が原文を日本語に翻訳してペン字で書き写したものと推定される。現代日本語訳では、適宜、原史料にはない改行を入れた。

      • (365)[安重根 死刑執行状況 報告 件]①

        (韓国)国史編纂委員会「韓国史データベース」 http://db.history.go.kr/ * このサイトで公文書原本の画像も公開されています。 統監府文書 7巻 > 一、安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一~六、伊藤公遭難事件書類 一~四、安重根及合邦關係事類 一~三、哈爾賓事件憲兵隊報告一~三)> (365) [安重根 死刑執行狀況 報告 件] 国史編纂委員会, 1968,『韓国獨立運動史 資料7』:515. [要旨]  この文書の別紙一は、統監府通訳の園

        • 再開します

          私、去年の2月22日にこちらのnoteを使い始めたのですが、2週間ももたず、3月7日で書き込みを中断してしまいました。 ある範囲の史料すべてを載せていこうとしたことに無理がありました。 今日からは目についた重要な史料から、ランダムに公開していきます。

        (266) [旅順監獄における安重根の第二次 陳述內容]

        マガジン

        • 中西伊之助(プロレタリア作家・社会運動家) 中西伊之助研究会
          3本
        • 「安重根関連一件書類」の紹介
          5本
        • 安重根についての基本情報
          2本
        • 安重根のテキスト
          3本

        記事

          (3)(伊藤公遭難に対する李完用の弔電)

          統監府文書 7巻> 一、 安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一~六、伊藤 公遭難事件書類 一~四、安重根及合邦關係事類 一~三、哈爾賓事件憲兵隊報告一~三)> (3) [伊藤 公 遭難에 대한 李完用의 弔電] 文書題目:(伊藤公遭難に対する李完用の弔電) 文書番号:往電 発信日時:明治四十二年十月二十六日 午後五時十五分發電 発信者:總理大臣 李完用 受信者:伊藤 公爵宛 ------< 勝村による現代日本語版 >------ (伊藤)閣下が今朝思いがけない遭難

          (3)(伊藤公遭難に対する李完用の弔電)

          (2)(伊藤公の受難痛恨慰問電)

          統監府文書 7巻> 一、 安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一~六、伊藤 公遭難事件書類 一~四、安重根及合邦關係事類 一~三、ハルピン事件憲兵隊報告一~三) >(2) [伊藤의 조난 痛恨 위문 電] 文書題目:(伊藤公の受難痛恨慰問電) 文書番号:往電 発信日時:明治四十二年十月二十六日 午後五時 發 発信者:曾禰 統監 受信者:哈爾賓總領事館 氣付 伊藤 公爵 ------< 勝村による現代日本語版 >------ (伊藤)閣下が今朝思いがけない遭難にあわれたと

          (2)(伊藤公の受難痛恨慰問電)

          (1)(伊藤公遭難情報件)

          統監府文書 7권 > 一. 安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一∼六, 伊藤 公遭難事件書類 一~四, 安重根及合邦關係事類 一~三, 하얼빈事件憲兵隊報告一~三) > (1) [伊藤 公 遭難 정보 件] 文書題目:(伊藤公遭難情報件) 文書番号:第一五一號 発信日時:明治四十二年十月二十六日 午後三時四五分 東京發 発信者:小村(小村寿太郎外務大臣) 受信日時:明治四十二年十月二十六日 午後三時三七分 京城着 受信者:曾禰統監(曾禰荒助) ----

          (1)(伊藤公遭難情報件)

          伊藤博文射殺後の安重根関連略年譜

          安重根の年譜を準備中なのですが、取り急ぎ、伊藤博文射殺後の略年譜を公開します。随時、アップデートしていきます。 主として尹炳奭編訳(2011)『安重根文集(韓国独立運動史資料叢書 第28輯)』独立紀念館韓国独立運動史研究所を参照し、適宜、追加しました。 ■1909年10月26日  午前9時30分にハルピン駅で安重根が伊藤博文を射殺する。 ■1909年10月26日  安重根がハルピン駅構内でロシア官憲の調査を受ける。 ■1909年10月26日  午前11時35分にロシア当局が

          伊藤博文射殺後の安重根関連略年譜

          安重根関係日本語文献目録(更新中)

           この文献目録のベースは、康銀成「安重根義挙100年--日本における安重根研究の現況と課題」(『朝鮮大学校学報』9号・2010年)に掲載された「安重根研究日本語資料目録」を元に、勝村が加筆修正して『安重根と東洋平和論』(2016年・日本評論社)の巻末付録として掲載されたものであるが、その後、勝村が(気まぐれではあるが)随時アップデートしている。  単行本については可能な限り網羅的に再録したが、論文・雑誌記事については、学術的・資料的価値が極端に低いもの(「嫌韓反中」的なものな

          安重根関係日本語文献目録(更新中)

          安重根所懐

          底本は『亜洲第一義侠 安重根2』529ページ。 ( )内は勝村が補った語句、[ ]内は原文の語句。 注記はすべて「*」で示し、テキスト末尾に一括で示す。   ------              明治四十二年十一月六日午後二時三十分提出  韓國人安應七所懐  天は万民[蒸民*]を生み、天下[四海*]の人びとをみな兄弟とします。各々が自由を守り、生を好み、死を厭うのが普通の心情[常情*]です。今日、世の人はつねに[例]文明時代と称しています。しかし、私はひとり「そうではない」

          安重根所懐

          安重根「伊藤博文一五の罪悪」(安應七第1回訊問調書より)

           伊藤博文を敵視するに至った原因は多々ありますが、次の通りです。  第一、いまから十年ほど前に伊藤さんの指揮によって韓国王妃を殺害しました。  第二、いまから五年前に伊藤さんは兵力を以て五ヵ条の条約 を締結しましたが、それはすべて韓国にとっては非常なる不利益をもたらす箇条でした。  第三、今から三年前に伊藤さんが締結した十二ヵ条 の条約は、いずれも韓国にとって軍隊上(軍事的に)非常なる不利益の箇条でした。  第四、伊藤さんは強いて韓国皇帝の廃位を図りました。  第五、韓国の兵

          安重根「伊藤博文一五の罪悪」(安應七第1回訊問調書より)

          安重根の獄中口述記録「聴取書」現代日本語版

          ( )内は勝村が補った語句、[ ]内は原文で用いられた語句です。 底本は國家報勲處編『亜洲第一義侠 安重根3』1995年,621~633ページ. 勝村誠「[史料紹介]安重根の獄中口述記録『聴取書』を中心に」『コリア研究』(立命館大学コリア研究センター)11号, 2021年3月, pp.47-52. https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_mai

          安重根の獄中口述記録「聴取書」現代日本語版

          伊藤博文の満洲旅行関係件 7

          機密 号外     <明治 四十二年十月 二十五日>    在奉天 総領事 小池張造 * 外務大臣 伯爵 小村壽太郞 宛 伊藤公爵の今回の満洲巡視については、北京政府においても多大な注意

          伊藤博文の満洲旅行関係件 7

          伊藤博文の満洲旅行関係件 6

          電報 第一七三号                   <明治 四十二年十月 二十五日>                     在奉天 小池 總領事 小村 外務大臣宛 伊藤公は本朝當地を出發し哈爾賓に向った。 ------< 原文 >------ 電報 第一七三號               <明治 四十二年(一九◯九) 十月 二十五日>                  在奉天 小池 總領事 小村 外務大臣 앞 伊藤公 本朝 當地出發 哈爾賓으로 向하였다. 国史編纂委員

          伊藤博文の満洲旅行関係件 6

          伊藤博文の満洲旅行関係件 5

          電報 第一七一号     <明治 四十二年十月 二十二日>    在奉天 小池 総領事 小村 外務大臣宛 伊藤公爵は今夕 奉天 安着した、 総督 巡撫は賓客として接待し、両国の官民の歡迎は熱誠を極めた。 ------< 原文 >----

          伊藤博文の満洲旅行関係件 5

          伊藤博文の満洲旅行関係件 4

          電報第三六号       <明治 四十二年十月 十七日>      在清国 伊集院公使      小村外務大臣宛 小池から左のような電報があった。 第八五号 外務部は伊藤公の來遊に対して接伴補助について、かねて督撫に対して日本との交涉問題について中

          伊藤博文の満洲旅行関係件 4