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2023年11月感想雑記

 こまごまとした軽い感想を残しておくための記事です。新しいものを上にして追記していきます。とか言いつつ、メモだけしていて書かなかったのまとめて書いています。
 長くなったやつは別に独立して書くつもりですが、はたして……どうかな……!? しばらくはこの形式でメモ的にやっていく気がします。

ゲーム

『ラチェット&クランク パラレル・トラブル』

 十三機兵防衛圏ロスに震えながら、とりあえずなにか……サクッと遊べそうなアクションゲームとか……! と探してサクッと遊びました。
 とにかく軽快で楽しく遊べる。会話の軽妙さもアクションの爽快さもいまの気分にあってた。

 アレコレ操作方法というかアクションの種類が増えていくんだけど、上手くデザインされてるからなのか、わりと思うように動かせて気持ちよかった。

『十三機兵防衛圏』

 これは単体でひとつの記事にまとめたかったけど、いつになるかわからないのでとりあえずちょっと書いておく。

 とりあえず言えるのは、最高だった。
 なんというか、ゲームやっててよかったというレベル。ゲームの意味があるシナリオ。
 もちろんたくさん面白いゲームあるし、やったけど、ここまで刺さってしまうのはUndertale以来かもしれない。
 お嫁も「今年いちばんの『面白そうに思わなかったのに面白かったゲーム』」と絶賛(?)。2人してしばらくロス気分を味わいました。公式の設定本は絶対欲しくなると思ってたので買ってあったんだけど、あまりのロスにアンソロジーコミック買っちゃうくらい。こんなことなかなかない。

 たぶんどのキャラから始めても、冒頭から意味のわからない話に放り込まれるが、戸惑いながら話にのめり込んでいった。
 開始直後に「焼きそばパンゲーだ」とツイートしたけど、食べ物ゲーだった。考えたらドラゴンズクラウンもそうだったな。
 お嫁が「比治山と三浦くんはハンバーガーを食べたらいいよ」と言ってたけど、公式設定本にそんな話が載ってて笑ってしまった。

『雲南省スー族におけるVRの使用例』

 帰りの電車でなにか、と思って、買ってあったこれを読みました。表題の短編とアイマスのVR体験記がついている。後者のオチに笑ってしまった。

 雲南省〜の方から引用メモ。

 我々の世界が一秒ごとに連続して繫がっていると果たして言えるだろうか。僅かな間、世界が閉じていて何もない状態が存在し、我々はそれを自らの脳で補完して繫がっているように錯覚しているのだとしたらどうだろうか。そしてスー族の人間にとって、ヘッドセットの充電などというのは些細な問題に過ぎず、生まれてから死ぬまで自分達が見続ける世界を、既に脳の中で構築しているとしたら。瞼を閉じようが、機械の故障によって映像が止まろうが、彼らは自らの脳で別の世界の光景を描き続けるのではないだろうか。ヘッドセットの有無など関係なく、彼らはまるで夢を見るように自分達の VR世界に生きているのだろう。
 スー族の例は、我々の世界の中に別の世界を作ることが可能だということを教えてくれている。それは未だ個人の認識から離れ得ないが、やがて他者と共有できる認識が生まれた時には形を変えるかもしれない。目を閉じるだけで別の世界へ入場を果たし、そこで我々は肉体に支配されない生を得られるのかもしれない。

『時を歩く』

「未来への脱獄」
 オレンジジュース美味そう短編。読んでからしばらくオレンジジュースブームに。

「終景累ヶ辻』
 どこに向かっているのか、読みながら混乱してよかった。

「時は矢のように」
 こういう無限のような時間の話、怖くて好きだなあ……。

「ABC巡礼」
 こういっていいのかわからないけど、なんともかわいらしい話だ。
 時がどういうふうにテーマになってるんだろう……? と思いながら読んだ。めちゃめちゃになってて面白かった。

 彼が語るところによると、デリディストは得てして理屈っぽく、おしゃべり好きという性質を持つらしい。
 なるほど。

 笑った。

「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」
 変なタイトルだけどめちゃくちゃいい。

 二〇一三年のコニー・アイランド条約締結によって〈ブラッド・ボトル〉の使用は公的機関にのみ限られるようになり、多くの非合法な時間移動者が〈時取〉に逮捕されることになったが、現在も作者が曖昧なままの芸術作品は数知れない。しかし、やはりこの美しい歌詞とメロディーを生み出せるのは、レイノルズやマッキンリーをはじめとするザ・ビートルズの二五人のメンバーをおいてほかにいないだろう。

「ゴーストキャンディーカテゴリー」
 人間の尺度じゃないスケールの話に弱い。

 三十億年先の未来まで、百年ごとであれば三千万回起きなければならない。六千年おきに起きる場合は──たった──五十万回でいいのだ。
 二十一世紀までの人類たち──たった百年ばかりの有限寿命の生命体たち──は死ぬまでに、およそ三万六千五百回目を覚ましていた。わたしはそのほんの十倍程度の回数だけ起きれば、三十億年後にたどりつくことができる。楽勝だ。

「Too Short Notice」
 ラストが素晴らしい……。

 どうか。わたしのことを、失わずにいてください。

『勉強の哲学』

 リンク先の文庫版じゃなくて、ソフトカバーで読みました。
 面白かったところを引用メモ。

 ユーモアのおもしろさとは、「え、そんな話だったっけ?」、「そもそもどこに向かってたんだっけ?」という、方向=目的喪失の感覚である。

p.96

 入門書は、複数、比較するべきである。

p.176

 入門書ばっかり読んでるけど、よし、これでいいな!

 通読しても、「完璧に」などを読んでいないのです。
 ならば、ここからだんだん極論へ行けば、拾い読みは十分に読書だし、目次だけ把握するのでも読書、さらには、タイトルを見ただけだって何かしらの事は「語る」ことができる。

p.179-180

『読んでいない本について堂々と語る方法』参照。『読んでいない本について堂々と語る方法』を読みたくなるという。

 アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない。

p.204

 長い文章を書くというのは、「ひとまずこの程度でいい」という思考の仮固定が、たくさん積み重なっていくことです。

p.211

 よし、これでいいな!(2回目)

 中断によって、一応の勉強を成り立たせる。
 どんな段階にあっても、「それなりに勉強した」のです。完璧はないのです。
 しかし、中断の後に、また再開してほしい。中断と再開を繰り返してほしい。

p.214

 よし、これでいいな!(3回目)

『心にとって時間とは何か』

 読む人間のコンディションが悪くて、あんまり消化できてないけど、かなりいい本な気がする。章立ての仕方とテーマが面白いので、再読したい。
 以下、気になったところを引用メモ。

 人々が感じているのは、速度というより短さである。つまり、二十代の十年より三十代の十年のほうが短く感じられる、といったことを、後者の「はやさ」として表しているわけだ。こうした短さの感覚は複数の要因をもつだろうが、そのなかでも、当該の期間に生じた出来事の質・量はとくに興味深い要因である。(心理学の知見では、たとえば、印象的な出来事が少なかった期間ほど、あとで振り返ったときに短く感じられる傾向がある)

p.26

 時間の過ぎるのが「早い」、という表記が優勢であるのは、河の流れの速さのように時間のそれを感じることはできず、ある出来事が思ったより早く生じたとの思いを経てのみ、過ぎた時間の短さを感じるからだろう。たとえば、四十歳の誕生日がとても早くやって来た──まだまだ先の気がしていたのに──というときなどのように。

p.28

 わりとよく知られている話だと思うけど、速さと早さと短さで整理されていたのでよかった。帰り道が「早く」感じるのもそうねえ……。

 C・S・スーンらの実験を見てみよう。こちらの実験では、被験者はたんに手を動かすのではなく、右手側のボタンと左手側のボタンのどちらか一方を選んで押す。
(中略)
 この実験でもやはり、被験者が行為を「意志」した時点(中略)より前に、特定の脳活動が確認された。だが、驚かされるのは、その脳活動が「意志」の自覚よりも最大十秒前に生じたという報告だ。
(中略)
 しかし、以上のことをもって、何が客観的に示されたのだろうか。(中略)ここで明らかに重要なのは、その「特定の脳活動」とは何かである。じつは、それが意味しているのは、多くの読者が思い描いたであろうものではない。つまり、どちらのボタンを押すかを脳が決定した(「意志」の自覚よりも最大十秒前に)と言えるような活動が発見されたわけではない。
(中略)
 この実験で調べられた脳活動のうち、ボタンの選択に関連するとされた脳活動を見てみよう。それはたしかに「意志」の自覚より数秒前に生じるが、その実体は、どちらのボタンを押すかと約六〇パーセントの確率で関連性をもった脳活動である。「予測
」という言葉を使って言い換えるなら、数秒後にどちらのボタンを押すかを約六〇パーセントで予測できるようなデータが脳活動から得られたわけだ。
(中略)
 とはいえ、私はスーンらの実験を貶めるつもりで紹介したのではない。
(中略)
 スーンらの実験は、脳が「意志」の自覚より先に決断していることを示すものではないが、他方で、自由意志の議論に関して無価値というわけでもない。六〇パーセントは六〇パーセントなのであり、その数値はあの実験の諸条件のもとで、たんなる偶然としては片付けがたい意義をもつとともに、自由意志を脅かすものとしてはまだまだ力不足である。
こんなふうにまとめると「面白くない」かもしれないが、ある専門分野に親しむことは、こうした抑制的態度が生み出す別種の面白さを知っていくことでもある。

p.62-65

 これも結構知られた話だけど、そういう話なのかとめちゃくちゃ面白かった。

『ドラゴンボール』の登場人物たちは、「精神と時の部屋」を使って過去に行けるとは考えていない。おそらく、本書の読者の多くも同様の意見をもつだろう。この部屋の内外の時間経過にどれほど違いがあったとしても、到着時点(退室の時点)は出発時
点(入室の時点)より外的時間においても後であり、これを過去へのトラベルと解釈するのは不自然である。
 ところが面白いことに、部屋の内外の時間経過を入れ替えると、それは未来へのトラベルに見える。たとえば、私がある部屋で一日を過ごすと外では一年が経っていた場合、私はその部屋の出入りによって未来に行ったと解釈できる。ここにある非対称性は、過去に行くことと未来に行くことが──少なくとも、いま述べた意味でのその二つが──たんな
る逆方向への移動ではない、という事実を私たちに気づかせてくれる。

p.132

 第3節 時制とパラドックスは全体的に面白かった。特に再読したい。タイムトラベルの分類がされている。同著者の『新版 タイムトラベルの哲学』を読むのもよさそう。

 あと第7章のエピソード(様)記憶についてのあたりは、『ヘテロゲニア リンギスティコ』で魔界の住人たちが、おはなし=フィクションを我々のようには捉えないことを思い出すけど、なんか難しいのでふわっとしてしまった。ふわっ。

『5A73』

 アメトークで紹介されてた本。
 どういう話なのこれ……? と思いながら読む本シリーズにまた1冊。

 ノンフィクションでもフィクションでも効果に差はないから。

p.5

 前書に書かれているとおり、たしかにアフターコロナの話で、ワクチンの副反応の熱中でもある。面白かった。

『ゲームが教える世界の論点』

 取り上げられている各ゲームのネタバレを見ないようにパラ見。
 イース8と選択と集中の話が面白かった。たしかに言われてみれば、選択と淘汰の話なんだからそうか。なるほど。

『ワールドトリガー』

 集英社のセールやってて、26巻までまとめて買って読んだ。11月の頭はずっと読んでたなー。勢いで設定本も買っちゃった。続刊を楽しみにするマンガがまたひとつ増えたね!

 たくさんキャラクターが出てくるので覚えるのがなかなか大変だけど、ネタバレ踏みそうなので検索しにくい。そんな困難も、読み進めたり再読すると、おお、このキャラがこんなところで! みたいな楽しさがある。

 チーム戦でかつ乱戦なので、なかなかあんまり見ないバトルの感じも面白いし、ゲーム的な設定も好き。自分はたぶんあんまりキャラクターに思い入れないほうだと思うけど、せっかくなので(?)考えてみると、諏訪、熊谷、若村あたりが好きかなあ……。

ドラマ

『魔法のリノベ』

 普段あまりドラマ見ないけど楽しかった。原作のマンガのサラッとした部分(それもそれで持ち味だと思う)を生々しくして、リノベ案件と各キャラの個人的な部分を絡め直して、キャラの関係性をテコ入れして(それこそドラマオリジナルキャラクターも出てくる)などなど、まあまあ大胆にいじってると思うけど自分としてはいい感じに思った。

 オリジナル部分で原田泰造がすごい存在感でよかったね。
 あと、意味わからん要素だったYOUが、ペットの家の回に出てきたときは「おおっ」と感心。たしかに犬飼ってるとか途中で言ってたわ!

「小枝、砂」→「こえだすな」→「声出すな」と、辰之助が上半身はだけて出てきた時は笑ったな。

 謎のRPG部分がなんともいえないけど、途中で「あっちがほんとで現実世界だと思ってたほうが夢だったらどうしよう」ってお嫁が言ってて、それは面白い! けどさすがになさそうな……?
 あ、そこでホビットって単語が出たけど平気だったのかしら?

 最終的に原田泰造のパートが、「ええ、そんなふつうに終われる話だったんかい……?」というところはあったものの、全体的にとても楽しめました。


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