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【妄想公営住宅再生計画】

今回は、とても珍しい撮って出し。大体、こういう写真たちは僕のPCでしばしの眠りにつくことが多い。でも、今回は撮って出し。

なぜか?

うーん、ひとつ言葉を選べと言われたら、危機感かな。

今回のこの美しい集落は、何と、京都市内にある。

実に24棟もの平家が距離を保ちながら、建ち並んでいた。簡単な遊具付きの広場もあった。

そもそも、ここを知ったのは、25年くらい前じゃないかな。

知ったと書いたが、正確には、前の道路を通る時に目の端っこに入っていた程度。その時は、道路から家がちらちら見えているなくらいの印象で、その奥がこんな集落になっているとは、まったく知らなかった。

今年の4月くらいか、なぜか、ふと気になって、何かのついでに足を運んでみた。←これ、未だに不思議。

すると、道路からは見えていなかった集落の姿がそこにあった。
しかも、人っ子一人住んでいない完全に死んでいる集落。

ワンオーナーの賃貸集落なのか、それぞれの所有者がいるのか、公営住宅なのか、どこかの企業の社宅なのか。選択肢はこれくらいだろうか。

あー、なんて素晴らしいんだ。俺に再生を任せてくんねえかなー、夢の国になるのになー、なんて事を思いながら、その時は時間がなく、また改めて来ようと、その場を去った。

そう言えば、その時、その集落内に車が数台停まっており、何人かの人が何かをしている様子があった。

そして、時は流れ、数日前、たまたま近くに行く用事があったので、改めて、時間を取り、足を運んだ。

集落をうろうろし、写真を撮りながら、所有者は誰だろう?なんか手掛かりはないかな?などと思っていると、その集落内にヒントがあった。お地蔵さんがあったらしい小さなお堂があり、そこに張り紙がしてあった。

「お地蔵様は令和5年4月〇日に供養し、〇〇寺へ移動させていただきます。」その最後には役所の担当部署と電話番号があった。どうやら、公営住宅のようだ。

ちょっと待ってよ。僕がたまたま行ったのも、4月で、その作業をしていた日に行った可能性が高い。さっき、これ、未だに不思議。って書いたけど、お地蔵さんに呼ばれた可能性もあるな。不思議。

なんせ、25年前から知っていたところにわざわざ、急に足を運ぶかい?って話だもんな。行く理由なんてまったくなかったのに。

まぁいいや。今回はそういう話じゃない。

自分の事務所に戻り、役所に電話をした。
担当者が不在だそうだ。今日、もしくは、明日に折り返し、連絡をすると。

ほどなくして、電話があった。

住所を言い、ここは公営住宅ですよね?と聞くと、そうです。と返事が返って来た。しかし、今は誰も住んでおらず、公営住宅としての役目は一旦、終えましたと。

この時点で、担当者は、なぜ僕が電話をかけて来たか、わかっていない。
株式会社川端組という名前からか工事の件ですかね、的な反応だ。

相手は役所の一担当者である事はわかっている。その人に何の権限もない事も。

ただ、僕は足早に、自分が不動産屋で、ここを宝だと思っている旨、これから先、可能性しかないという話を伝えた。

そして、僕が今関わらせてもらっている集落再生の話なんかを、極力、熱量を下げて、伝えた。

その返答はこうだ。

そうなんですね、残念ですが、建物の老朽化も激しく、台風などがあった時に、近くの住民に迷惑がかかるといけないから、今年度中のすべての建物の解体が決まっていますとの事。

悲しいな。悔しいな。俺はなんと無力なのか。

少し、担当者の人と話をした。僕は話をしながら、もう大人だから頭を切り替えた。この集落はもう、しょうがない。決まったものは逆立ちをしても、ひっくり返らないだろうから。

だから、話の途中で、一回、そちらに遊びに行っていいですか?と伝えた。

先方は、え?ん?みたいになっていたけどね。

そもそも論を書いてみよう。

公営住宅では、集落再生というものが、そもそも、選択肢のひとつになっていない。

僕はいろんなまちの公営住宅を探し、近くに行った際には、足を延ばし見に行っている。ちなみに、事前調べの時にグーグルマップで見てみると、その多くが団地に建て替えられている。時に団地に建て替えられてしまった公営住宅にも足を運ぶ。しかし、現地に訪れてみると、ほとんど人が住んでいない。

何のために建て替えるのか?誰が望んでいるのか?

ちょっと待ってよ。ハード(建築)を変えずに、ソフト(コンセプト、人、コミュニティーデザイン)を変えるだけで、集落は蘇る。蘇るどころか、新たな価値を得る事ができるじゃないか。

平家の公営住宅はそもそも素晴らしいところが多い。過度なデザインをしておらず、建物に無駄がなく、建物と建物の距離、集会所や広場があったり、ハード面は完璧なんだな。

ソフトを耕そうとしなかった点以外は。
ランドスケープデザインをして、人に住んでもらったら、勝手にコミュニティーが生まれると思っていた点以外は完璧なんだ。

建築は何も間違っていない。建築は何も悪くない。建築には何の罪もない。

なのに、建物が古くなったと、団地に建て替えて、よりソフト、コミュニティーが生まれ辛い環境を作る。

ここの話をしよう。

仮にここが今の見た目のままでも、似通った価値観を持った住民が集うとなれば、興味を持つ人もわずかながらにいるだろう。

ここをリノベーションして、新たな住民を募集するとなれば、少し多くの人が関心を持つだろう。

ここを新たな世界観で包み、今の時代のニュータウンにしようとなると、さらに多くの人の心を捕らえるであろう。

マンションや建売の住宅街だけじゃない、たくさんの家族で暮らせる集落という選択肢。

必要なものは、宝だと感じられる感性と世界観を描く想像力と収支を合わせる普通の経済観念と正しいマッチングなんだな。

公営住宅とは、「公営住宅とは、都道府県や市区町村などの地方公共団体が建築し、低所得者向けに割安な家賃で提供している公的賃貸住宅のことです。」だそうだ。

わかるよ、わかる。ここまで書くと怒られるのかな?

低所得者向けに、という点。

それ以外にも困っている人たくさんいるよなーとか。

公のやるべき事って、その自治体に住んでいる人たちの笑顔を増やす事なんじゃないかなーとか。

観光客ばかりが喜ぶ施策ばかりで、京都に住んでいる人はあんまり喜んでいないなーとか。

子育て世代、応援してあげてほしいなー。集落全体で子育てしてあげたいなー。させてあげたいなー。

子どもは宝なんでしょー。どういう環境で育つかで、将来、大きく変わるよなーとか。

このままでは、子育て世代の多くが、京都市を離れて行っちゃわないかなーとか。

みんな、頑張って、税金払ってくれているんでしょー?そんなに詳しくないけどさ。

そういう集落を公でやったら、めっちゃ良い自治体だなーとならないかな?

移住だなんだって、いろいろやってるけど、普通に人来るんじゃね?離れる人、減るんじゃね?

そもそも、こういう集落が良いって人はいる。もし、こういう集落がリノベーションされたら、入りたいっていう人はいる。

でも、こういう集落は人知れず、その数を減らしていく。なぜなら、その集落にリアルタイムで関わっている人たちがその価値に気付いていないから。

そして、その宝のような価値を発掘して、昇華させている事例が圧倒的に少ないから。

それは、そこが、ワンオーナーの賃貸集落なのか、それぞれの所有者がいるのか、公営住宅か、どこかの企業の社宅かは関係なく、全部に共通して言える事だ。みんな作って、終わり。

集合している建物の築年数が同じくらいであれば、ひとつの建物が古くなってくると、当然、集落全体で古くなってくる。

集落のイメージがなんだか悪くなる。ああ、建て替えだ。となる。ついでに、ちょうど良いや、そこに根付いたカルチャーも根絶やしにしてしまえ、だ。

ああ、僕はもっともっと、動かなければいけないなと思った。

完全に川端は大反省した。

このままでは、僕らの代で、魅力的な平家の公営住宅、魅力的な集落がこの世から姿を消してしまう。

だから、とりあえず、明日、役所に遊びに行って来ます。大丈夫、ちゃんとアポは取った。

何にも繋がらないかもしれないし、何がしたいってわけでもない。
でも、少しでも、何かに繋がってくれるかもしれないから。

僕は動きます。

伝わらないかもしれない。いや、伝わらないだろう。

僕が行って、一担当者に説明をしたところで何も変わらないかもしれない。

でも、行く。行くんだ。

世の中レベルで言うと、ほとんどの人が関心がない事なのかもしれない。

でも、その目に捉えられないかもしれないレベルの愚直な積み重ねの先、長い長い時間をかけて、何かのきっかけに繋がる事があるだろう?

バタフライエフェクトってあるだろ?

力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象だそうだ。

あれ、実は、端フライエフェクトなんだよ。

僕が僕の小さな翼をバタバタさせる事で、その先で、未来で、何か変わるかもしれないって話。

変わらないかもしれないし、変わるかもしれない。

どっちの可能性もあるんだとしたら、完全に、バタは命ある限り自分にしかない翼をバタバタさせるだろうよ!

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