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母親というモテ期をのりきるために。

うちは今とにかく「ママがいい!ママー!」。どこのお家でもそうかもしれないけれど。お風呂に入ったりするのはもちろん、絵本を読むのも、食事の時に袖をまくるとか顔を拭くことや、着替えの服をとるのも、細かなことまでみんな、他の家族でなく「ママにやってほしい!」すぎて少し大変になっている。好いてくれるのは嬉しいけどだいぶトゥーマッチ状態である。

(最近の息子を描いたものより)

夫がせっかく休みの日なのにママがいい!となるので、結果、私が忙しくて夫が暇しているという時間も多々生まれる。親という仕事は夫婦に平等にあるけど、女にはそこに母親という仕事が別にプラスされる。(料理できる旦那さんだとこういう時期ほんとにバランスが取れる)

料理していても、だいたい一緒にやる!と割り込んでくる。それならと皮むきを手伝わせるけど、ああー散らかさないでおくれー。

わかっているのです  こんな時期は二度と戻ってこない。いつか反抗期などきて、こっちからあそぼ◎といっても相手にしてくれないような時期があることはわかっている。忙しい忙しい、と言っているときが一番幸せなのよーーと、私の母はよく教えてくれるけれど、言葉ではわかってるというだけで。もちろん日々の成長に幸せを感じているけれど、日中は幸せより責任感の方を強めに感じでいるとは思う。

じゃあどうしたら、忙しい=一番幸せ!に直結するのかな。せっかくならリアルタイムで存分に感じたいのに。

結果、やはり過ぎないとわからない。あの忙しい時が一番いいのよ、というのは子育てが終わった時の自分になっていないから、心からはわからない。だから、書いておこ、と思いました。そういうときのために日記があるんだな。

いつかこの大変そうな日記を見て、あの時は気づかなかったけれど、という発見も含めて私は幸せな気分になるはず。

そういえば、過去の幸せな日記を見ると、リアルタイムでなくても、自分の持ち物だなあという気がして満たされてくる気がする。その後つらい時に引っ張り出す記憶は、生きていくための貯金でもある。

リアルタイムで完結しなくていい。この時間が熟成されたときに、また違う感情も生まれるでしょう。リアルタイム後でも続く幸せなのだこれは。忘れそうなことを書いておけば、その楽しみもあるなと思う。

ひとまず、モテ期という言葉に置き換えることにした。これまでモテてこなかったのが一度にここで味わえている。お前じゃないとダメなんだ、なんて誰かに今まで言ってもらったことがあるだろうか。いや、みじんもない。今後もないでしょう。

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