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働き人


2021.10/21


僕は最近、一緒にいる人、働く人や環境がものすごく大事だなと実感した。

先週まで、僕は農業法人へ短期アルバイトをしてきた。その時に確信した。

今まで、「何」がしたいを基本的に活動するWHYにしてきたし、一番に考えてきたと思う。

でも、「WHAT」は僕にとっては手段の一つで、手段の目的化になりやすい。

「WHAT」、「WHO」、「WHERE」も、どれも大事だけど、一番大切なのは全部がバランスよく整うことかもしれない。

興味がある農業も、はっきりいうと一歳ここで働きたいなとは思わなかった。

全員がそうではないが、
具体的に言うと愚痴が多く、文句ばっかで、お互いギスギスしてたり、イキイキしていない。楽しそうな様子が全くない。別にこの仕事をしたいわけでもないみたいだ。決まり文句は「仕方ない。」「疲れた。」「嫌」

僕のことを話したり、聞いてくださる方が初日にいた。僕がこれからカンボジアに行くことを話すと、
「お金にならんがな」
「君経済学部卒なのに、なんでそうなるかな~」「意味はなんなの?」
「なんでボランティアとか、そっち系行っちゃったかな〜」

と固定概念を押し付けてきた。そして、何言っても「でもね」と未来の現実的なこと、お金の話しかしない。それを押し付けてくる。

イメージだけで括るな。
概念で蔑むな。
意味なんかないわ。


言い返す気力もなかった。

でも、はっきり答えられない自分も悔しい。
そして、怖くなる。正当化できなくて。



「あ、マジでこんな大人になりたくねぇ。」



前にいたところもそうだし、就活中も思っていたけど、なんのために頑張るのか。


もちろん、プライベートやお金のため、家族のために。っていう頑張り方もしたい。

でもいつ死ぬかもわからにこの世の中で、今を、楽しまなくてどおするんだ。
やる活動や仕事の時間は、しんどいことも含めて楽しんでる自分でありたいと僕は思う。
その道に行ってないからわからないし、否定とかではなく、僕は、サラリーだけを求め毎朝顔を暗めて出勤したくない。


僕はその人に「お金だけを目的とする生き方をしたくないので」と言い、ハウスを出た。

お金はもちろんほしい。今はいつもぎりぎりで、ありがたいことに生かされてる状態。いつまでもこんな自分はコンプレックスだし。何かするうえでも、現代の経済圏の中で心地よく生きるためにも、誰かにカッコよく使うためにも。

でも今はその答えだから。その辺の歳の未来になったらそのアドバイスが正解だったと思うかもしれない、だからわかんないけど、今の僕は違う。


「お金のため」「生涯生活のため」「キャッシュを稼ぐ」「社会的成功」への終着。
働く目的や幸せの価値観は人それぞれである。
この2年、理想と現実の表裏一体に幾度となく考えさせられた。お金はほんとうに大事。
人間として生きていくためには、
リスクに対応するためにも、
誰かを守るためにも、お金が必要。
活動やビジネスを継続するには、お金が必要で、逃れられない。
自分で何か作れやしない、稼げやしないことがコンプレックスだ。
でも"僕は"、金稼ぎや名声が悪いことではないけど、第一になるのは好きではない。でも会社となるとどーしてもそうなるのかな。雇われ身だったり、
利益出してなんぼやし。利益=社会的価値になりがちやし。

でもそれだけだと、誰かと心を通じ合わせたり、一生懸命になることは難しいなと思った。


バイト選びもやっぱり、人と場所なんかもしれないと気づく。
良い時給ややりたい仕事もやけど、人、環境によってがんばれたり、続いたり、苦じゃなくなる。
お金も結果的に溜まりやすくなる傾向が僕の人生にはある。
僕には付き合いが長い、学生時代からすごく良くしてもらい、今現在も有難いことに働かせてもらってる家族経営のお店がある。
きっかけは家が近いだけやったけど、その場所に関わる人が僕にとっていい人たちだったからなのか、続いたし、頑張ろうと思ったし、嫌なこともたくさんあったけど、総じたらその時間が楽しかったなと振り返れる。
そうなったら、飲食で働く自分も好きになっていた。
そして、お金を稼ぐことはもちろん前提にあるけど、お店が「好き」でやってはるから、なんだか憧れもあった。
いまも歳相応ではないエネルギッシュな働き方をしていはる。
女将さんはめちゃくちゃな人やけど笑、口癖は仕事が「好き
だから今、次への渡航のチャレンジに向けた資金貯めが目的ではあるけど、
必要とされ、むしろ楽しいし、限られた期間になるけど頑張りたい、貢献したいと思うようになった。
それはジャストナウの僕の、1つの生きがいとなっている。
立派な社会の一員だと思い込んでいる。

必要とされたり、頑張れる環境があることって、凄く有り難く、幸せなことだと気づく。
頑張れるものや環境あることは、人を生き生きとさせる。




今まで僕は幸い、イキイキしてる人、ワクワクしながら自分のため誰かのため地域のために楽しんで頑張って生きている人をたくさん見てきた。

自分と向き合い、戦っている人をみてきた。

稼ぐことや、将来の保証がなくとも、自分の気持ちに正直になり、好きで生きている人を見てきた。
うちなる自分のワクワク、夢や目標、情熱、思想を持ち、それを描く人、カタチにしてる人を見てきた。

愛や優しさを持って生きている人に触れてきた。


「あ、こんな大人になりたいな。」


ほんとにすごいな。と思った。

僕はいい意味でも悪い意味でも環境に左右されるなと思ったし、言われる。
行ってみなければ何もかもわからない。

「人」

身近な周りにいる「」の、言葉で、行動で、自分の生き方は変わる。自分の心の調子は変わる。エネルギーが変わる。楽しさが変わる。”頑張る”が変わる。自分への「好き」が変わる。


自分に合った心地よさや楽しい場所、輝き方が必ずあるはず。

同時に、環境や人のせいにしていてはいつまで経っても成長できないなと、最近感じてきている。何にも持ってない自分。何も形に、行動したことないくせ、
違う。と思い、今まで逃げてきた自分。辛かったから、その時はそれで正解。
でも、突かれると痛いところで、甘いところだと感じている。

レールを外れ、自分自身が常に成長できているのか、大丈夫なのかと、不安で仕方ない。


僕は、自分の気持ちに正直に、周りに迷惑をかけながらも、自分の足で立っている人が好きだ。自分もそうでありたい。
これから、価値観重なる、方法性が合う人と一緒にいたいし、感情を共有したい。
ありがたいことに、現状の僕には、こんなどうしようもない奴の、自分そのままを受け入れてくれる人たちがいる。

いま僕が自分でワクワクすることを描き、カタチにしていく、何か始めるには至れていない。
明確な夢や目標も、やりたいことも、やるべきことも、自分のポジションや役割も、バリューも何もかもわからない。
どんな状態が自分の幸せなのか、わからない。
特別なできることや才能、専門性があるわけじゃない。特段駄目なやつかもしれない。

これから身一つで飛び込む環境でいろんなことに飛びついて、アクションして、飛び込んでくる自分への刺激に、素直に学び、そしてその時々楽しみ、
自分なりの世界観や、面白いことを描けるように成長していきたいし、自分ならではの仕事を持ちたい。


これから全くどーなっていくかわからなさすぎるし、迷惑かけまくりで、不安ばかりでグルグルするけど、

「こんなオトナになりたいな」

と思ってもらえるような生き様にしたいことは定まっている。


そう思えば、その通りの行動になり、偶然のようで必然なができていく。出会いと別れがあるけど、好きなたちに出会える奇跡を、僕はすでに知っている。その中で、自分のため誰かのために「やりたいこと・やるべきこと」を常に探して行きたいし、熱量もった自分になりたい。

それがどんな形やゴール、数であれ、道のりや時間が自分の人生の誇りになるはず。

もっと真っ直ぐに生きていきたい。



前回のベトナム、今回、

胸張って見返えせれる自分になりたい。



*発言はあくまで個人的意見です

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