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生き方を変えるってこと

みんなで暮らす家をつくる。川越につくる。
その決断は、私の生き方を変えることに近しい。
これまで私は、「上手にできる」「間違えないで生きる」ことをすごく大事にしてきたんだと思う。
そのために合理性を追及してきた。

健康に生まれてなに不自由なく、至極健全な学生生活を送り、ホワイトな会社に入ってこれまた健全な社会人生活を送り、ちょうどよく便利な川口駅近マンションに住む。
不妊治療はしたけど子供を授かり、三人目みたいな合理的な子育てをモットーにして、比較的イージーに子育てをしている。
大きな間違いのない、安泰の人生。

 でもなんか、40歳か…と思った時に、急に20年一区切りで見えて。
これまでの20年走ったみたいに、あと20年走るの?
と思ったら、それは無理よ、と思った。
その先の20年に何が残るの??と思ったら、それはそれで不安になった。

なぜそう思うのか考えたら、答えは明白で。
今の私は、仕事にプライオリティを置きすぎている。
仕事は動かせない優先事項で、そのために他のことを調整して、余った時間で家族や自分に時間を使う。
誰もそうしろとは言ってないのに、勝手にそうしてしまっている。
これでは、仕事によって評価や収入を得ても、仕事をとったらなにも残らない生き方になってしまうなと。

そんなに働いて、一体何のため??
今死んでも後悔しない?
今が本当にありたい自分??最高幸せな状態??
とぐるぐる考えた。

仕事は楽しいし、会社がどうとかではなくて。
どうにでもなる中で、私がどう生きるかの問題。

上手に生きてるようで、全然だった。

次の20年は、本当にしたいことを大切にする。

そのために、やりたいことにプライオリティをちゃんとおいてやると決めた。
やらない合理的な理由を捨てて。
安定を手に入れたからこそ冒険できることがある。
本当にやりたいこと、楽しいことはなんなのか、よくよく考えた。

みんなで暮らしたい。欲しい暮らしをつくる。家に帰るのが飲みに行くより楽しいような家。
その場所は私や人々にとって「意味のある場所」にあった方がいい。
利便性はその次。

そう思って土地を決めたら、元々の合理的な私なら考えられない立地になった。
駅は遠くて、保育園は20時までやってなくて、スーパーやコンビニも今より遠い。
建物の管理やごみ捨てなど、マンションという仕組みにアウトソースしてたこともやらなきゃいけない。
全然合理的じゃないし、数年前住もうとしてたら多分止めてる笑
でも、会社中心じゃなく、自分中心に考えたら、それがいいの。
意味があって、みんながいる。ずっと住みたい価値がある。
私にとっても、家族にとっても。

あと40~60年生きるかもしれないことを考えて、次の生き方をやってみる。
私や家族を真ん中に、合理的じゃなくても、その時その時したいことをして生きる。
それに飽きたらまた考える。
間違えたっていいし、ある程度のことはなんとかなるほどには大人だし。
人生長くて短いもんね。

「四十にして惑わず」では全然ない笑







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