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『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』は本当か?

今回のタイトルは上司からおすわけ頂いた問いだ。『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』もともとぼくも知っている、ドイツのビスマルクさんの言葉だ。

ぼくは、30歳をすぎてはじめて歴史に興味を持った。きっかけは歴史小説家の伊東潤先生の作品を通してなんだけど、歴史から教訓を得て今を生きることの大切さを学んだ。好きな歴史上の人物は『今川氏真』だ。

※え?誰?というひとは↓の本を読んで欲しい。

歴史は確かに、様々な気づきをあたえてくれる(ぼくの知る世界は小説と大河ドラマくらいだけど)

しかし一方で、じぶんの手を動かして得た経験も貴重だと思っている。『知っている』と『やったことがある』『できる』の差は大きいはずだ。

なんで…経験から学んでいると愚者なんやろか。

まぁ引っかかるとすれば、じぶんで経験したからってそんなに価値あるんだっけという部分。じぶんが尊いと思っていても他者がどう思うかは別だよね。

さて、上司はこの言葉に疑問を持ち、あるアプローチをした。この言葉は日本語の意訳であって、原文をそのまま翻訳したらなにかヒントがあるのではないかと考えたらしい。原文をgoogle翻訳にかけたという。

ぼくもやってみた。

google翻訳使いやすーい

訳:自分の経験から学ぶことを信じているのは愚か者だけですが、私はそもそも自分の間違いを避けるために、他の人の経験から学ぶことを好みます。

なるほど、歴史と意訳されて箇所に、他人の経験という言葉が現れた。

要は、経験も歴史も学ぶ対象としてはふさわしい。でも意訳も入れると経験についてはじぶんの経験だけでなく、他人の経験からも学びましょうというはなしだったのであーる。

言われてみれば歴史というのは時間軸が果てしないけど他人の経験が積み重なってできているものだった。

今はSNSの時代なので、多くの人の経験を気軽に知ることができる。そして、もっと効率よく多くの人の経験に触れたいと思ったら、じぶんの持っている情報をシェアしていけばいいのだろう。コミュニティに所属していれば毎日のように仲間の人生に触れることができる。

そういえば以前、そんなことを書いていた↓

まとまりのない話になってしまったけど、ビスマルクさんが今生きていたら、情報を発信して、多くの情報を取り入れていく姿勢が大事ですよって言うんやろうな、なんて思ったのでした。

それでは本日はこの辺で。
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