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踊る大捜査線ムービーで織田もオレも寝た

映画といえば、「踊る大捜査線ムービー」が思い出深いですね。
たしか、1998年だったと記憶しています。
あの頃は、大学生で、片っ端から映画を観ていました。
でね、この踊る大捜査線は内容よりも、あるエピソードと紐付いて記憶しているんですよ。

本日は、そのエピソードを核にすえて綴っていきますね。



映画の時代

1998年……
このころは、ブラッド・ピット主演の「セブン」、「アルマゲドン」、「インデペンデンスデイ」、豊川悦司主演の「 八つ墓村」、北野武監督の「キッズリターン」などなど、洋画も邦画も百花繚乱状態だったんです。

この1998という年が、また微妙でして、
ようやくインターネットが普及したけど、まだあまり使えない、そんな時期なんですよ。

ワタシなんぞは関西ウォーカーを楽しみに、楽しみにして映画情報を仕入れていた口です。
「デッドマンウォーキング」だったかなあ、これは知る人ぞ知る映画でして、単館上映で火がついて、一般上映に出世しました。
関西ウォーカーでこのマイナー映画の存在を知って、単館上映を観たワタシとしては、やはりうれしいですよね。
なんだか、自分だけが応援しているYouTuberがメジャー歌手デビューしたような感じですかね。
この時は、この映画の意味がよくわからなかったですが、いい思い出です。

トレンディドラマの時代 そして残り火

ふたたび1998年……
このあたりは、テレビドラマの当たりが徐々にだが、確実に少なくなってきた時代ですね。
1990年代に入り、トレンディドラマというジャンルが出来たんです。
きっと、広告代理店さんの作戦だったんでしょうねえ。

ひとつ屋根の下、101回目のプロポーズ、男女7人夏物語、男女7人秋物語……
まあ、私の偏見込みが許されるならば「刑事貴族2、3」もランクインです。

これらトレンディドラマの中から、1人図抜けた存在が輩出されました。

「振り返ればヤツがいる」、でクールかつニヒルな司馬先生を演じた織田裕二です。
当時、織田裕二が出れば視聴率20%はいくと云われていました。
その集大成がテレビドラマ、「踊る大捜査線」。
織田裕二がこれまでとはうってかわって、コミカルな警察官役を演じ大ヒットとなりました。
モスグリーンのロングジャンバーが懐かしいなあ。
これが1996年前後の話しです。

テレビと映画 シナジーの時代

だがしかし、ここから徐々にインターネットの影響が強くなり、トレンディドラマと銘打っても視聴率が伸びなくなったんです。
いま思えば、趣味の多様化が始まって、テレビ離れが起こっていたんでしょうね。

そこで、業界あげて映画へと活路を求めた。
かつてテレビで人気となった作品を、映画にしてリバイバルする。
今でこそ手垢にまみれた顧客囲い込みメソッドですが、当時はもの珍しかった。

そういったことも手伝って、私は98年にまんまと「踊る大捜査線ムービー」を観にいく羽目になった訳です。

織田もオレも寝た

よく覚えていますよ、大阪は梅田の茶屋町にある百又のシアターで、踊る大捜査線ムービーを観たんです。
彼女みたいな人とみたんですよ。
彼女みたいな人、ごめんやで、まあでも私の中ではそんな感じで、、言えなかったけどね。

さて、
百又の映画館は当時からボロボロの建物で、ボーリング場などが併設されて、ちょっとした総合アミューズメント施設ですね。
ここの7階ぐらいじゃないかな、踊る大捜査線ムービーをみたのは。

それでね、ここからネタバレ含みますから、注意ですよ。
この映画を観た人はよく知っていると想うのですが、劇中たけなわで
織田裕二が眠るんですよ。
この時、前日のバイトで疲れていまして、
ワタシも眠ってしまった訳です。
いや、けっして映画がつまらなくて眠っていた訳ではないですよ。
とにかくグーグー(-.-)Zzz・・・・とよく眠っていたようなんです。

それに気づいて、
彼女みたいな人が起こしてくれまして、エンドロールには間に合いました。
大団円みたいなものも、見届けましたよ。


また織田もオレも寝た

しかしながら、すっかり眠っていたもので、やはり大詰めの核心部分が抜けている。

そこで、「もう一回、観ていいかな?」ってワタシは彼女にささやいたんですよ。
まあ、映画なんてどうでもいいけど、もうちょっと一緒にいたかったんでしょうね。多分。

彼女みたいな人は、なんだかバカウケして笑ってましたね。
あまり笑わない人なんだけど、映画館の中でバカウケしてました。

それでね、今だと映画館というのは、断固として全員入れ替え体制ですよね。
当時だって、それらしき風潮はありましたよ。
だけど、全員入れ替え体制のザルのザルもいいところ。
幕がおりても、
そのまま座って談笑していたら、余裕で居残れました。
これは機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙の際にも、オヤジと実践しましたから、まず間違いない二度見メソッドです。
いまは難しいでしょうねえ、残念ながら。

そして、踊るの二回戦開始です。
やはりね、前日のバイト疲れがたたったみたいで、
また眠りました。
今度は中盤から堂々と眠りましたよ。だってね、さっき観た場面のリピートでしたからね。
いや、けっして映画がつまらなくて眠っていた訳ではないですよ。
とにかくグーグー(-.-)Zzz・・・・とよく眠っていたようなんです。

まあ、さすがに三度目のお願いはしなかったですね。
なんたって踊る大捜査線ムービーは、予告編込みで2時間超の力作ですから。
都合、百又シアターに5時間近くいた計算になりますね。
あれから四半世紀が経ちましたが、よく覚えている5時間です。


テレビ・映画からネットの時代

この踊る大捜査線ムービーが上映された1998年は、テレビ・映画にとって分水嶺でした。
1997年にアジア通貨危機が起こり、日本企業の体力が一気に削がれたんですよ。
ただでさえ、バブル崩壊の後遺症で日本企業が軒並み苦しんでいたタイミングですからね、弱り目に祟り目でそれは酷いものでした。

そこからはテレビも映画も、企業スポンサーが尻すぼみになり、クオリティが担保できなくなっていきます。
そこでテレビ・映画にかわって台頭してきたのが、ネットコンテンツ。 

娯楽全体がネットに引っ張られていったんですね。
やがて、テレビと映画の系譜をつぐコンテンツも現れました。
いまならば、NetflixやYouTubeなどがあがりますね。

このように、
踊る大捜査線ムービーが上映された1998年というのは、テレビ・映画からネットへと中心がうつろう分水嶺だった訳です。


ここから先は、また別の機会に聴いてくださいな。

では、また、
逢いましょう。

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