スキなきフォロワーという黄色い悪魔
フォローをしたが断じてスキをしない、という妖怪が徘徊している。
約束はしたが守るとはいっていない、というレトリックを彷彿させる悪魔だ。
フォローは自由であり、その下部構造たるスキもまた自由である。
だがちょっと待って欲しい。
確かに、フォローをしたからといってスキをしなければならない謂れはない 。
スキと云うことを阻むなにかが、生物学的人類の中にあることも承知している。
しかし、noteというリトルコスモス存続の見地にたった場合、スキなきフォロワーは悪魔となる。
とてつもなくたちの悪い悪魔だ。
スキがあるからこそ、noteの心臓は拍動している。
畢竟、スキなきフォロワーは天使を殺す悪魔ではないだろうか。
いや敢えて問い直そう、
スキなきフォローはnoteに対する侵略戦争ではないか?
人類が歴史から学んだ教訓がたった一つだけある、
それは人類が歴史から何一つ学ばなかったことだ。
これは大英帝国宰相チャーチルの言だが、我々は先の大戦から果たして何を学んだのだろうか。
大戦の反省もそこそこに、我々は新たな侵略戦争に加担してはいないだろうか。
チャーチルが云う、歴史から何一つ学ばなかった人類に我々は学ぼうとしている。
いささか逆説的なれど、我々がスキなきフォロワーという悪魔を打ち倒せば、チャーチルの箴言に逆説の接続詞を付け加えられる。
人類が歴史から学んだ教訓がたった一つだけある、
それは人類が歴史から何一つ学ばなかったことだ。
だがしかし、
人類はスキをするフォロワーにより遂に歴史から学んだ、、、と。
だから、だからこそ、
冷静なフォローと、大胆なスキが求められている。
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