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目覚まし時計は普段耳にしないような不快な音なので役に立つ。あれが緩徐楽章みたいな曲なら目が覚めない。

 私の東京時代はバブル時代好景気時代と重なっている。ぬるいきつくない高給バイトが山ほどあった。私は東京でそれらのバイトをするより、夏と冬~春の長期間の大学の休み期間は札幌に帰省するほうがよかったので学部4年間ずっとそうしていた。東京で二ヶ月暮らす生活費より往復飛行機代を払って帰省していたほうが安く済むなとか思った。もう本当にケチだろう。私はこんな計算ばかりしてすごしていた。運よく帰省期間中にもおいしいバイトがあったのだが、それはそのうち書く。

 私の時代は七月から九月まで夏休み、一月の試験終わりから四月まで春休みという感じだったので、東京時代一年の半分弱は札幌にいたことになる。住んでいたのが前述のケチさから木造の玄関共同トイレ共同風呂なしのアパートがずっとだった。前述のように、好景気バブル期なので、バイトでもすれば風呂付ワンルームも楽に借りられる時代で、東京以外から来てる多くの学生はそうしていた。私はそっちを選ばなかった。札幌で一軒家を借りられるような家賃をあんな小さいもんに支払う不条理を納得できなかった。共同トイレとか風呂は銭湯とか、不便だったが、仮住まいの土地気分で東京にいたのと、半分弱は札幌にいるのに無駄な高額家賃を払うものかと思っていたのでそうしていた。

 今回のメインの話はここから。

 大学を卒業しそのまま進学したが、進学以降の生活費(授業料は出してくれた)は自分で好きに選んだ道なので私が稼がねばならない。
 私は前述アパートでよかったのだけど、ちょっといろいろ事情があって、引き継いでワンルームマンションに引っ越すことになった。とうとう風呂付になった。ただ、当初は「こんな贅沢なところにこんなに家賃払うのか」と思っていた。板橋のはずれだったので当時のワンルームマンション相場より家賃は安かった。
 あの当時、北区板橋区の家賃は安かった。下北沢方面吉祥寺方面はかなり高かった。あっちには住めないなあと当時思っていた。
 あと、バブル期に建てられたワンルームマンションだけの建物系、造りがちゃち。レオパレスに住んでいた友人が「壁の薄さがすごいよ。隣の音全部聴こえる。」と愚痴っていた(以下が起こる張本)。
 そこに住んでしばらくして、早朝、隣の家の目覚まし代わりの爆音の音楽がタイマーかなんかでセットされてるのだろう、聞こえるようになった。隣の部屋の私がその曲で起きるくらいなのだからその部屋ではかなりの音量だろう。なかなか曲がとまらない。まあ一日二日くらいなら我慢するかと思ったが連日だったので壁を蹴った。とまらない。その後、確か一度、直接そいつに、早朝のあれはうるさいのでやめてもらうようお願いしてる。まあ、ころあいも適当だと思い、身支度を整えて、安全靴を履いて、隣の玄関ドアを思いっきり蹴ってそいつを起こした(注 この行為に至るまで、二ヶ月くらいかかってる。カワイとても我慢強い)。そして、曲をとめてくださいとカワイ的に丁重にお願いした。

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