第二章 父母にはもっと何の意味もない

 当時そんな言葉はなかった。父も母も終戦後「ヤングケアラー」として過ごしている。特に母の当時の苦労の話は母の入院中にびっしりと聞いた私の記憶にがっちり残した。この記憶も私の消滅とともにこの世からなくなるが、私の生きている間は「貧困と社会福祉不備は親の仇である。私はいまでもその仇討に喜んで参加する」気分で毎日過ごしている。
 父のそれは、父にとってそれは本当に嫌で思い出したくもない口にもしたくない様子で、祖父あたりからの断片的な情報と父の経歴から類推できる。父母が道を踏み外さなかったのは今思い返すと奇跡のようなもんだと思う。 

 父よ母よ、あなたらを表す文字文言が、あなたらの死後数十年でようやく人の口にのぼるようになったぞ、ただ、人の口にのぼったところで、父母のその記憶その経験が足の小指の爪の先ほども癒されない、もうこの世にはいないから。この世にいて今のこの惨状を目にしたら憤死してしまうかもしれない。みたくもないものをみないで死んでいったのは幸いかもしれない。

 父母の時代的にそういう人らは今よりずっと多かった……とここまで書いて、もしかすると今の方が多いかもしれない。ただそんなもん、多寡の問題ではなくて、そこの面倒を見るのが現代国家の基本なのだけど、その面倒をみる気がないような、もう大雑把にざっくりいえば貧困対策と社会福祉がなってない国、だいたい為政者が腐敗している、王朝交代はだいたいそのあたりで叛乱内紛その他が起きて滅亡するのは歴史上決まりきったものだなあというのは中国史ダイジェストでもさらっと目を通せばわかるのだけど、そういうところはそのうち滅亡するんだよざまあ、とも言っていられないのは、人類の一部を構成している人間である私がマクロでみればそんな判断ができるというだけで、人類の未来を明るいものに、とか、我ら種族の未来の繁栄のために、などという気持ちをこれっぽっちも持たない持つ気もない最近などは「誰が明るい豊かな未来などこの世に残してやるものかバーカ」と思う個人としてのミクロな私にとっては、私の生きてる間に諸問題が是正されなければ、私の死後10年目で滅亡したところで、新王朝新体制によるその是正及び環境改善は私にはこれっぽっちの意味もない。父母にはもっと何の意味もない。ただその仇はいつでも討つぞの気分で私の生きている間は過ごす。あっち方面は全て私の親の仇だ。いつでも仇討してやる。

だいたい滅びる。滅びるのに何百年かかかる。人間の寿命たった80年くらい。

 ああ、東京の不動産の話だったなあ。これだ。十年以上前だ。(つづく


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