妹からのメッセージに「私は母の年齢になったわ」とあった

 何度も母の思い出の話を書くなぜなら私は母が大好きだからだ生きていた時も死んだ後もずっと大好きだ父も好きだぞだから父のことは別で書くので父よ草葉の陰で悔しがるな私は平等に大好きだ短歌にすれば、

今回は母のターンだ父のターンが来るまでしばし待て父よ #短歌

 たまたま私の帰省時に母の病気がわかったので私は東京の仕事系をすべてキャンセルし、母の残り時間を母と一緒に過ごすことに決めた。母の残り時間がなくなったあとの私の残り時間(私の残り時間はかなり長期間、いまもその残り時間の最中)は私の人生でのおまけ程度のものだと思っていたし、いまでもその選択が正しかったと自信をもっていえるのだが、病名がわかる前まで母は職を持っていた。帰省していた私の前でぐったり倒れ込み疲れたーという日が続くので、
「母よもう仕事を辞めてしまうとよい。あとは遊んでくらすとよい。その遊びの金くらい私がこれから全部用意する、学校も全部終わったし、あとは私が食わせていく」
と伝えた。
 これを古舘伊知郎で表現すると、「おーっと、これは母ちゃんみてくれこの姿的、美輪明宏(正確には丸山明宏)逆ヨイトマケの唄であります」という。
 母も「じゃあそろそろ辞めよう」という矢先のそれだった(ただ、母はずっと病院から出られなかったわけでもなく、経過観察その他で長期或いは短期の退院をすることができ、その期間はやりたいこと楽しいことを存分にしていた但し残り時間は数年間だけここはどうやっても動かせない)のをさっき遅めの昼食(午前二時)をつくりながら、併せて、妹からのメッセージに「私は母の年齢になったわ」とあったのも思い出したのでここに記す。午前三時。

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