媒体特性を理解する、をもう少し広く考えてみたくなった。
私はデザイナーという職種にレッテルを貼っている。デザイナーとは「相手に贈り物を届ける人」だと。そういうレッテルを貼っている。私はデザイナーにそういう側面を感じているからそうしている。
これは何かを否定する文書ではない。もしこれを読まれているあなたがデザイナーに対して違う意味合いを感じている場合、個人の思想だと思って流してもらえるとありがたい。
さて…相手に贈り物を届けるとはどんな行為なのか考えてみる。
贈り物を届けるとはどういう行為か
贈り物するという行為は難しい。私が好きだと思っているものを、他の人も好きというかは別であり、適切に届けるには情報が必要だと思う。
1.贈り物の中身を理解する
2.相手のことを理解する
3.届ける場所と方法を理解する <ここが媒体特性に繋がることが多い
デザイナーは作業者ではなく、贈り物をとどける当事者の一人である。
情報は必ずしもクライアントがくれるわけではない。また、ディレクターや営業マンがくれるわけでもない。
当事者は自分から汲み取ったり、調べたり、考えたりしたくなるものだ。作業として手を動かすのではなく、時間と命を使うのが生きることだと私のエゴが言っていた。
媒体特性とはなんなのか
媒体特性を理解してないとはどういうことなのだろうか。
ウェブサイトの動きや、レスポンシブ、情報を読み取り吐き出すという動きは媒体特性だろうか。
紙という素材は外では日焼けで色が飛ぶとか、電車の吊り広告は上部の留めを避けてレイアウトするとか、それは媒体特性なのだろうか。
ガイドラインを読めば媒体について知れるだろうし、仕組みを学べば媒体について知れるだろう。少々労力が必要だけど、全く答えがないわけではなさそうだ。
では「媒体という意味はなにか」「どこからどこまでが媒体か」と聞かれたらどう答えたらよいのだろう。少し悩む。変な問答が自分の脳内で始まっている。
媒体が人だったらどうする?
時々驚かれることがあるが、オウンド(私の)メディアという価値観の中では、人も媒体である。情報伝達を媒介するものすべてを指す。
上記のような考え方からも思うのだが、ユーザー自体を媒体と捉えるのもおかしな話ではなさそうだ。「情報伝達を媒介するもの(目的達成までの経路)」だとしたら...
相手に届けたいものが届き、相手が喜んでくれることを一つのゴールとしたとき「ユーザーの目に入る」はまだゴールではなく、道の途中のようだ。
人が持ってる特性
・人が歩きながら少し下を見ていること(危険を避けるためだ)
・色に印象・イメージ・心理的効果を受けること
・四角より丸の方に目が行ってしまうこと
・集中力は些細なことで簡単に飛んでしまうこと
・自発的に調べるのは好きだけど興味のないことは知りたくないこと
人の特性はいろいろ挙げられるのだろうけど「見た」だけでは道の途中だから、相手が見てからの時間も情報伝達の途中だと考える。
だとしたら、媒体特性というのはデザインが作る通り道の全てを理解することなのかもしれないと、一人で考えた。
思ったことを吐き出しただけのとりとめもない散文。
デザインについて考えだすと、楽しくて止まらない。今日はここまでとする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?