見出し画像

働くことと生きることが同じになって大丈夫なのか

私が大学で勉強している研究テーマは、
「日本の労働」である。

労働に対する意識の歴史、労働と自由の関わり、新卒一括採用、ジョブ・メンバーシップ型、インターンシップの意義、ワークライフバランス、過労死などを、自分の分かる範囲で学んでいる。

だから、もう1年以上“はたらくって何?”と勝手に考えている。

“はたらく”について考える事は、けっこう楽しいため、就活でも、はたらくに関わる人材業界をみたりした。

そして、いろいろな人材の会社を見てみると、

せっかく働くなら、仕事は楽しい方がいい!
AIに代わらない、人間らしい仕事をしよう!
はたらくを面白くして、人生も面白くしよう!

と、人にとっての“はたらく”は、「楽しい」「おもしろい」ものにして、生き方そのものも楽しい方がいいよね!という動きがあることが、分かる。

それを聞くたびに、これまで仕事は楽しくないこととして捉えられてきたのか——と、しみじみ感じる。


——なるほど、ならばたのしく働きたい!

けれど、よくよく考えてみると、


働くことと生きることが同じになって、「仕事はおもしろくなければ!」という考えになりすぎたら、

逆に、“おもしろくない仕事=おもしろくない人生”ということになるのだろうか?

だとしたら、「『少しの辛さは楽しさを得るための手段である』とするような楽しく働く人たち」が表に出る社会で、病院、刑務所、介護施設、療養所、相談所などのような、日常の中ではあまり目にしない場所の“はたらく”はどうなっていくのだろう?

もちろん、「楽しい」「面白い」にはいろいろな意味があることは分かっている。

けれど、だんだんと、「やりたい」「好き」「楽しい」「面白い」が、ひとりで先にスタスタと歩いて、いつの間にか、見たくないものは見ないようになってしまうのではないだろうか。


自分の視野が狭いからそう思うのかもしれないし、これまで見たいものだけを見てきたから、
この考えになったのかもしれない。

実態はよくわからないけれど、もっとちゃんと、自分で選ばないといけない気がしている。

んー、難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?