私じゃないと出来ないことは何もないかもしれない

今の私にできることなら、隣に座るあの人にも出来ることかもしれない。

私が仕事にしていることは世界のどこかにいる優秀な人ならもっと上手く、早くやれることかもしれない。

私がたった今考えついたことなんて、とうの昔に誰かが考えて言葉にして、すでに世の中のどこかで浸透していることなのかもしれない。

私がかけた言葉よりももっともっと気の利いた言葉を、他の人ならかけられるかもしれない。

私にしかできないことは、きっとそんなにないだろう。
我が子や大切な友人に対するケアだって、お金を払えばその道のプロの方が丁寧に心穏やかに愛情深くこなしてくれるだろう。

それでいて、私らしさとは、
今この瞬間の積み重ねの過程にあると感じる。
この世界をどう見ていて、何をエッセンスとして感じ取り、そこから何を学ぼうとして実際に学び取り、それを深めたり広げたりしながらまと次の瞬間に移っていく。

何をどれくらい早くこなしてどれ程の成果を出したとか、
誰をどう上手く説得して味方につけたとか、
目に見えたり数字で表せたりする実績をいくつ示せるとか、
私を飾るいくつものスペックでは私を表現できない。

どこまでいっても、私はこの私として生きていくしかない。
誰にでも持ちうるスペックしか生み出せない、だけど唯一無二なOSを抱えたかけがえのない私だ。

私と、願わくばあと数人、この複雑さを愛してくれればいいな。

そして私も、私自身と、願わくばあと数人、誰かを愛したいと思う。

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