偏るのが私たち。

難しいことを簡単な言葉で説明できる人が本当に頭がいい人だよね、
ユーザー目線に立ってもらわなくちゃ。

でも、それって教えてもらう側が言うことじゃないよね。ユーザーもともに成長してもらわなくちゃ。

幸せを掴みたいって本人が言うのはセーフだけど、
幸せになってほしい(特に恋愛や結婚を指して)って周りが言うのはどうなのよ。

でも、誰かを心配するとき、私は私に見えている世界観で精一杯心配するしかないのよ。周りからは滑稽に見えてるでしょうね。

夜泣きするのは今だけだ、ワガママも数年経てば懐かしく思い出せるはず、と今を乗り切るために子育て中の親が希望を持つのは有効だけど、
今だけよ、すぐに手が離れるわよ、と外野が励ます言葉は時に「他人事」として冷たく胸を刺すこともある。

でも、自分自身の、「案ずるより産むが易し」的な体験は誰かに教えてあげたくなるものよね。特に思い詰めてる相手にはね。

過去よりも今は恵まれている部分もあるとありがたく感じるけれど、過去には乗り越えなくても良かった選択の局面も増えていてそれなりに気苦労はあるのよ。
「今はいいわねぇ、昔はね…」なんて、比較することに何の意味も感じない。

でも、不条理を当たり前に押し付けられ、反発の術さえも持たせてもらえず、それでもどうにか気持ちに折り合いを付けて生きてきた自分を、やっぱり誰かに認めて褒めてもらいたいじゃない。「闘うこともできたんじゃないか」と自分を責めるのはうんざりだよね。

どちらか一方の言い分に偏りすぎることなく、柔軟に朗らかな気持ちで視点を移すことができたらいいよね。

それは自分自身を豊かにするだけじゃなく、目の前の大切な人を必要以上に傷付けることも避けられる。

放っておけば偏るのが人間の常だから。
偏っていることを忘れないようにしなくちゃね。

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