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函館・札幌、20190320

 午前二時。函館フェリーターミナルに到着する。乗務員の人に「お客様!到着ですよ!」と叫ばれて起こされる。あの感じだと、何度も叫んでいたと思う。疲れた体をなんとか動かして、ついに人生で初めて北海道に上陸した。
 さて、これからどうしたものかと思っていると、一緒に乗っていたほかのお客さんがターミナルの待合室の椅子に寝転がって寝始めた。なるほど、寝ていいのかと思い、私も見習って寝ることにした。幸い、コンセントがある座席があり、スマートホンも充電できた。多分、本当は寝るのはあんまりよくないと思うが、何も言われなかった。

午前五時。函館フェリーターミナル。貧乏旅の朝は早い。
ベッドはない。皆この椅子に寝っ転がる。
午前六時。明るくなってきた。出発。

 ここから最寄りの五稜郭駅までは歩いて40分。バスもあると思うが、時間が早すぎた。とにかく一歩一歩頑張って歩く。洋式の星型城壁で有名な五稜郭はこれまた駅からかなり離れており、今回訪問することはあきらめた。

看板の文字の土台は星型。
これのせいか、北海道の道の雪は黒ずんでいる。

 函館は五稜郭から一駅。良港であり、長く北海道の玄関口として栄えた。しかし、北海道の中心地が札幌に移り、青函トンネル開通や航空機の発達によって、函館は単なる通過点になってしまった。発展もやや停滞ぎみだ。

 朝市場でしつこく朝ごはんを食べていけと話かけてくるおばさんに根負けする。割引するよ!といって割引されたが、おそらく全員にそう言ってるので、実質定価である。上の写真で多分千円。高くもないが安くもない。

 1859年に日米修好通商条約によって開港される。外国に対する玄関口ともなり、外国人も多く居住した。そのため、町には洋式建築が多い。また、函館は大火が多く、石造、レンガ造の建物が多い。これらが独特の景観を生み出している。東京の銀座でレンガ建築の街区を作ったものの、高温多湿の環境に対応できずに失敗に終わったのは有名な話だ。函館の環境が東京より適していたことも理由の一つだろう。函館は駅が町のはずれの方にあり、観光には結構歩く必要がある。とても疲れた。

国鉄がやってた青函連絡船。トンネル開通までの主要な青函の交通手段。船のなかにもレールが敷いてあり、列車に乗ったまま船に乗る。そのため、青森駅と函館駅は線路が海に向かって終わっている。

 今日中に札幌に行かなければならない。実は函館と札幌は意外と離れている。特急でも三時間以上、普通列車しか乗れない18きっぷだと半日かかる。

函館駅。道内交通の起点。

 森行普通列車に乗る。森は北海道駒ケ岳麓の漁港。乗り換えまで時間があり、駅前を歩く。しかし特に見るものはない。続いて長万部までまた列車に乗る。午後はほとんど移動。

奥に見えるのが北海道駒ケ岳。
片方は長万部へ、もう片方は函館へ戻る。

 長万部駅近くには駅弁「かにめし」が売っていた。どうやら有名っぽいので購入。駅弁には共通して言えることだが、量は少ない。列車の中で食べることを想定しているので仕方ないのだが。温泉も有名な土地だが、そこまで時間はない。次の列車で苫小牧まで移動。地図で見ると長万部から苫小牧はかなりの距離だが、本当に何も記憶に残っていない。
 午後八時、札幌に到着。久しぶりの都会の賑やかさと明るさにすこし安心する。函館から少なくとも苫小牧まで、自分以外の乗客はずっと数人だった。

夜の旧北海道庁。

 駅ビルで味噌ラーメンを食べて、ホテルに向かってすぐに寝る。時計台近くの「ホテル時計台」。古いが悪くない部屋。明日が18きっぷ使用の最終日、明後日に大阪に帰る。この日の旅行記は写真ばかりになってしまった。

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