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タンスの引き出し

音声言語だけで判断するといけない簡単な理屈。

あるASD当事者の方とお話ししていると、
「頭の中から言いたいことを取り出そうと思ったら、頭の中のおもちゃ箱をひっくり返さないといけないの。」
と。
 
僕らも、「特別着たい訳でもないけど、タンスの手前の服を選ぶ」みたいなことはありますよね。
 

ASDの方は、同じことが言葉で起こります。
 
「これが言いたい訳じゃ無いけど、引き出しの一番手前にあった。」
 
なので、音声言語ではなく、一旦アウトプットする。
 
書くでもなんでもいいんですが、視覚的な情報になると、
「いや、言いたいのはこれじゃない。」
と確認できる。
 

ASDを含む発達障害の方にはワーキングメモリ(ほんの今言ったこと、考えたことの記憶)に制約がある方もおられるので、視覚的に確認できることは、ワーキングメモリの節約にもなる。
 
タンスの中を一旦引き出しから出す訳です。

着たい服を探すのに引き出しから全部出す人もいますし、引き出しから出す過程で、例えば今シーズンかどうか、探してる色かどうか、で、選別する場合もあります。

スペクトラム

 
この"程度"は、「これが正解」というものはなく個々に違うと思います。
これがASDが「自閉症スペクトラム」と、呼ばれるところ。
 

スペクトラムとは、CDを光にかざした時や虹など、様々な色がグラデーションになっているように、バシッとした境界がない、ということ。
 
言い換えれば、自閉症スペクトラムのグラデーションは、健常者にもある訳です。
 
「なんの色もなく真っ白、純白」という方は、おそらくそれはそれで暮らしにくいと思います。

言葉は見えない待ってくれない手元に残らない。

タンスの服なら床にひろげてもいいんですが、言葉は口から出た瞬間に相手に届いちゃって、さらに口から出たあとは見えないから確認しようがない。
 
いわば床の広さがワーキングメモリです。
 
ワーキングメモリの制約も重なると、自分や相手が口から出したことが、時空の彼方に消えちゃうんです。

そういえば、僕の好きなエレファントカシマシの宮本浩次さん、服を選ぶことにエネルギーを使いたくないから、黒いパンツと、黒か白のシャツしか着ないと決めているとか。
ダウンタウンの松本人志さんも、そういうことを話していました。

話を戻して。
ASDの方が発する言葉は、おもちゃ箱の一番上か、全部、なのだというのがご理解いただけるでしょうか。

「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」

本意を伝えるには、おもちゃ箱の中から探し出す過程が必要になる。
 
これを視覚的な情報にすることで、いわば床の面積を広げているんです。

そしてこれはグラデーションだ、ということ。この要素は誰でも持っている。

このnoteが良い例ですが、私たちは言いたいことを表に出すために、整理しながら言葉に変換しています。

だから、多かれ少なかれ、一旦アウトプットする必要が出てくる。

「言った、言わない。」はもちろんのこと、いわゆる「言葉のアヤ」みたいなことで起こるトラブルのリスクを考えた時、
目に見えない上に残らない音声というのはとても都合が悪い。
 
音声言語のスピードに脳は追いつけないんです。
だから、脊髄反応的に返してしまうことが私たちの日常にも多々ある。

「もうかりまっか」
「ボチボチでんな」

"What's up?"
"I'm so fine!"
みたいなやりとりがそれに当たります。

これらはほぼ、脊髄反射的に返せてしまう。
意味よりもスピード。

そこから、
「昨日見たニュースでさ…」
となると、
「へー。」
「なるほどねー。」
と、脊髄反射で返せる人と、
「そのニュース、僕も見たんだけど…」
と、脊髄反射で返せない人の差が出てくる。
これは優劣ではないんです。

ニュースの話なら脊髄反射で返せた人も、
「ところで、お昼何食べる?」
となると、一旦頭の中でいろんなメニューを回す。これがワーキングメモリを使っている状況。
床面積広いほど有利。
 
ワーキングメモリ、床の面積が狭い人は色んなメニューを回せない。
なので一番手前にある
「カレー!」
と答えちゃう。

カレーが好きな訳ではないけど、カレーと答えておけばトラブルにはならないって経験から、いつもカレーが引き出しの手前に来ちゃう。
 
あるいは、
「えー。何でも良いよ。」
と、責任を相手に転嫁する。

(ところで1950〜1960年代生まれの人ってやたらカレー好きじゃない?)

この程度の差がグラデーション≒スペクトラムなんです。

メニュー表のないレストランなんて。 

そんな時にどのグラデーションの人でも、あれば助かるもの。
 
「メニュー表」
「飲食店リスト」
ですよね。
 
ファミレスで全メニューを口頭で伝えられたら、9割の人が2度とそのお店には行かないでしょう。

なぜメニュー表や、飲食店リストがあれば楽になるのか。
 
目に見えない頭の中や音声を視覚情報にしてるからです。

僕が、○○の一つ覚えの様に「パワポ」「スライド」と言っている理由がコレなんです。
 
相手に伝わるように伝える。
 
そのために自分の頭の中を整理する。
 
たまたま、それに好都合なのが、
「相手を商談で説得するために作られたツール」として作られたものだったということ。


どこが簡単な理屈やねん。

ね。
「簡単な理屈」
って書き出していながら、こんだけ冗長な文になる。
これが僕のスペクトラムです。

「伝わるかどうかは、伝える側の責任」
というのは、写真から教わりましたが、
コミュニケーションはおおよそすべて、そうだと思います。
 
その点赤ん坊は偉いですよね。
「泣く」と「笑う」だけで生きている。
彼らほどシンプルにコミュニケーションを成立させられないから、私たちは言葉を使う。

進化の過程をたどってみても、人間は他のどんな動物にも自然界では敵わなかった代わりに、言葉を使うしかなかったんです。

だからこそ、長い長いながーーーい歴史で、人間はその言葉から絵や文字など、多く視覚的な情報伝達手段を発明してきました。

やっとこさ二足歩行した300万年前くらい前の人類から、言葉を発明したのは7万年前。
からの、人類最古の絵は4万5000年前。

音声言語だけでも十分大したもんやったんですけど、そっから293万年かけて言葉に辿り着いて、295万5000年かけて絵で伝える方法を発明して、
文字を使える様になったのは今からせいぜい5000年前。

299万5000年かけて発明したのが、文字なんですよね。

パソコンやらスマホ、否、電話も電気も、それに比べたらひ孫や玄孫、可愛いもん。

だけど、そのどれもが今の暮らしに欠かせない。

せっかくそんな便利な発明品があるのにあえて使わないなんて、
手洗い洗濯と雑巾掛けとへっついだけで暮らす様なもの。

なんのこっちゃ。

そんな酔っ払いであるフィ。

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