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源氏物語を読みたい80代母のために 21(源氏物語アカデミーレポ②)


 開講式が終わると即始まった講義。
「藤原道長と信仰」朧谷寿
 このために慌てて読んだのが
「天下第一の母 藤原彰子」朧谷寿

 藤原道長の超有名な歌:
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の
 欠けたることのなしと思へば」
 これが詠まれてからちょうど千年という節目に出た本だそうです。内容は完全に「大学生が専門科目のレポート書くために読む本」といった趣で、怒涛の情報量。つくづく歴史本(一般向けとはいえ)を多めに読んでいてよかった(ほぼ一夜漬けに近い流し読みだけど)。紫式部が仕えた彰子さま、案外長生きの上にかなりの波乱万丈。面白かった。しかし平安時代って火事多すぎの治安悪すぎ。
 さてレジメは引用元を明確にした漢文がズラズラズラ~と列挙され、いきなりハードル高い感むんむん。この時点で
(母、大丈夫か)(というか私も大丈夫なんか)
 と不安がよぎったが、語り口は穏やかでお話もわかりやすく、母も熱心に聞き入っているようでややホッ。とはいえポンポン出て来る平安の年号や地名や、藤原一族の名前にうわーちょっと待ってえええとついていくのに精いっぱいだったというのに、周囲はまったくたじろぐ様子もなく、時折笑い声も起こったりして、非常に落ち着いた和やかな空気に満ちみちておりました。
 講師がニコニコしながら時折、というかしょっちゅう差しはさんでおられた
「まあこの辺は皆さん、よくご存知かと思うんですが」
「皆さんご承知の通り」
 などという言葉はマジのガチでそうなんだな、と確信せざるを得ないあの場の雰囲気でした。
 で、肝心の内容ですね。レジメをひと目みただけでも
「え、一時間じゃ無理なんじゃ」
 という内容の多さ濃さ、私のような浅学の徒にはとても全部は網羅しきれないですが、必死で書いたメモを元に覚書きしときます。間違ってたらすみません(大汗)。※は私見です。
〇道長は誰よりも信仰心が強かった。
〇自身が何回も死にかけているが生き延びたこと、後継者たる兄二人が相次いで亡くなったことが大きかったのかもしれない。
〇都の内側、しかも自邸のすぐ近くに寺を作ったのは道長が初。
〇道長の「信仰に対する態度」でよくあるのが、風雨や雷や地震などの後にカラリと晴れたりすると、一転「吉兆」として捉えていた、とのこと。
※つまり、何か起こると加持祈祷だなんだと盛大にやって、収まると「加護があった」とした―――人心を収め混乱を避けるために腐心していた凄腕政治家だったということですね。本当に心底信じていたかどうかはともかくとして、常々こういうポジティブな考え方をしていたが故に長生きできたのかな。
〇紫式部が武生にて詠んだ歌:
「こゝにかく日野の杉むら埋む雪小塩(をしほ)の松に今日やまがへる」
 小塩山というのは京の大原野から見える山。藤原氏の氏神は奈良の春日大社だが、参詣するには特に女性の身では遠すぎるので、春日大社の神を勧請した大原野社にもっぱら通っていた。藤原氏の筋である紫式部にとっては大変身近な場所であった、ということらしい。
※紫式部が道長の愛人だった説、は私は与さないのだけど、当時道長が作り上げていた信仰の世界の影響は絶大だったと実感。紫式部にはきっと道長が何をやろうとしているか、深いところまで理解できてたんじゃないだろうか。

 あっという間に一時間が過ぎたが、雨あられと降ってきたものに脳を刺激され、母と二人ボーっとしてる間に休憩が終わってしまった。
 ちなみに朧谷先生も80代。聴講してる人たちも、半分以上はおそらく私よりずっとお年上。いやまったく恐るべし。
<つづく>

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。